24・引き継ぐ命
義母の最期はあっけなかった。
旭川への旅行から帰って約一ヵ月後。桜の蕾が膨らみ始めた頃の夜中に、誰にも看取られることなく突然逝ってしまったのだ。
しかし、その顔は微笑みさえ残し、楽しい夢を見て眠っているような、そんな顔をしていた。
多分、その傍らにはみゆきちゃんが居たに違いない。周子はそう考えることで少し救われていた。そんな風に思っていないとあまりにも寂しすぎる最期で、入院を勧めずに自宅にいたことが本当によかったのだろうかと自分を責めてしまいそうだった。
出棺のとき、周子はあのお手玉を義母の手にそっと添えた。
お義母さん、みゆきちゃんと一緒にお手玉を楽しんでね。
微笑むように眠る義母の顔を見ているうちに、周子は涙が止め処もなく溢れてきた。
葬儀の間は何も感じなかったのに、棺に納められている義母の顔を見た途端、周子の中で何かがはじけてしまったのだ。
大往生なんだから、義母は満足して逝ったのだから笑って見送りたいと口角を無理に上げてみても、口元に変に力が入ってしまい口を歪めてしまうだけだった。目元を押さえていたハンカチがあっという間に濡れていく。
周子の横にいた美雪が、周子の喪服のスカートの裾を硬く掴んでいた。
美雪も肩を揺らし、鼻をすすって泣いていた。
「ママ、おばあちゃんは病気で痛かったの?」
「美雪……」
周子のぼやけた視界に、美雪の泣き顔が映った。
「ううん。おばあちゃんは痛くなかったと思う。最期まで、きっと楽しい夢を見て……娘のみゆきちゃんと一緒に……」
言葉が詰まった。胸が苦しくなった。話しているうちに義母が生きていたときのことが次々と思い浮かんできてしまったのだ。
もう耐えられなかった。周子はその場に屈んで美雪を抱き締め、人目をはばかることなく美雪と一緒に声を上げて泣きじゃくった。
一緒に暮らし始めて、いるのが当たり前の生活になっていた。部屋のドアを開ければそこにいる。お義母さんと呼べば静かに応える声がする。
でも、もう返事は返ってこない。
ただいまと帰ってくることはない。
お義母さんの最期はこれでよかったのだろうか。死を前にして一人で苦しんでいたのではないか。
こんなにあっけなく逝ってしまうものなのか。
悲しさと後悔とが入り混じり、周子の感情を高ぶらせた。
周子はお葬式に出たこともあったし、火葬場に来てお骨を拾ったことも何度かあった。でも、どこか他人事だった。
身近な者を亡くした経験がない周子には、突然その世を去ってしまった義母をありのまま受け入れることができなかった。
義母が亡くなるという覚悟は、主治医から告知されたときに充分できていたと思っていた。でも、感情は説得できないのだ。
供に生活していた家族ではあったが、血のつながりはないのだから冷静でいられるだろうと思っていた。こんなに重いものだとは考えていなかった。
実の母親を亡くした夫が涙を堪えているというのに。もっとしっかりしなくては。
抱き締めていた美雪のぬくもりと甘い匂いが心地よく、少しずつ周子を落ち着かせていった。
「おい、お別れだよ。そろそろいいだろう?」
「うん……」
夫の声で、すすり泣きながらも周子はゆっくりと立ち上がった。
くらくらした。天井の蛍光灯が白々として眩しく感じた。
義母の棺は火葬のため奥の部屋へ入れられ、重い扉が閉まった。
火葬の間、控え室でぼんやりと窓の外に目を向けていた。
東京は桜が咲くというのに、旭川はまだ雪景色だという。
雪を怖がっていた義母。でももう怖くない。今頃、雪の中をみゆきちゃんと手を繋いで楽しそうに歩いているのだろうか。義母は自分の人生に満足していたのだろうか。
「美雪、美雪はママより先に逝かないでね。ママもおばあちゃんのようになってしまうかもしれない」
そう言って、周子は傍に座る美雪を引き寄せて頬に顔をつけ、その存在を確認するかのようにきつく抱き締めた。
義母の四十九日が過ぎる頃、周子はふと考えた。
美雪が生まれたあの日、季節外れの雪が東京に降っていた。
あれはみゆきちゃんが降らせたのではなかろうか。
その夜、周子の枕元で囁いた「名前は美雪がいい」というあの声は、夫に訊いてもそんなことを言った覚えはないという。義母が言うはずもない。夢でも見たのかもしれないとも思ったが、あれはみゆきちゃんだったのではないか。
夫に話したらそんなことがあるものかと一笑に付された。
美雪は小学生になって、いつの間にか好きな色はピンクではなくなり、人参も食べられるようになった。
幼い時、美雪が長々と一人遊びをしていたのはみゆきちゃんと遊んでいたからかもしれないなどと今になって思う。
美雪は幼くして亡くなったみゆきの亡霊と供に育っていたような気がしてならない。
考えすぎだろうか。
遠藤シゲの娘、みゆきちゃんは多分もうこの世にはいない。大好きな母親を自分の居場所へ迎えたのだから。
位牌の中から、お手玉の中に入っていた鈴が焼け残っていた。周子はそれを形見に貰って新しく手縫いしたお手玉に入れたのだった。
今、美雪がそのお手玉で遊ぶ。
お手玉の中で、ちりんと澄んだ鈴の音が響いた。
「お母さん」
ママと呼ぶのは赤ちゃんみたいだからと美雪は照れくさそうに言った。
美雪の声がみゆきちゃんの声と重なってきこえた。
みゆきちゃんは今も美雪の中にいるのだ。