18・昭和二十一年(1)
知らぬ間に、雪が降り出していた。大粒の牡丹雪だ。
周子は、辺りの景色に違和感を覚えた。
何か違う。
ロータリーが薄暗い。さっきタクシーで通ったときに中央にあった塔の形が明らかに違う。
塔が低く、電光表示がない。
慌てて周囲に目を凝らして見回した。
街灯が少ない気がした。それに加えてこの大粒の雪。そのせいで暗くてよくわからないが、遠くに立ち並ぶビルやホテルが見えない。
見えない? 違う、無いのだ。
建物が少ない。どうなっている?
降り続く雪の先にいる美雪は、ロータリーの円形の中央に立ち、こちらを伺っているようだった。
「美雪―!」
周子は尋常じゃない美雪に近づくのが怖かった。だがこのままにしてはおけない。捕まえて、この手で美雪を抱き締めたら、正気を取り戻すかもしれない。
車は一台も見えない。周子は恐々、車道を横切ろうとした。
「私が行きます」
その時、息を切らせた義母が、周子の背後で叫んだ。
「周子さん、私に、行かせて」
「お義母さん……」
「この雪、この景色……あの日と同じ」
「あの日と、同じ?」
周子は、もう一度辺りを見回し、義母の言葉を素直に納得することができた。
ロータリーの中央にある塔の下を、電車の軌道が通っている。街の明かりは少なく、ほのかな明かりの街灯が、白い街をかろうじて照らしている。
ああ、これは昭和二十一年の街なのだ。
義母が愛娘、みゆきと歩いた三月のあの日。季節外れの大雪が街を覆いつくした、忘れられないあの日。
あの日が暗闇の中に突如現れたのだ。
「みゆき……」
義母は呟くようにその名を呼び、ふらふらと美雪に吸い寄せられるように近寄っていった。
「お母さん」
そう言って、美雪は義母のほうへ手を伸ばし、微笑んだようだった。
美雪は周子をお母さんとは呼ばない。
やっぱりあれは、義母の娘なんだ。
「みゆきなのね!」
義母はみゆきを強く抱き締めた。
二人の姿は、次第に強く振り始めた大粒の雪に視界が遮られ、周子には僅かな人影しか見えなくなった。
ぞくぞくと寒気がしてきた。体が冷えたせいではない、何か胸の奥が凍るような感覚。
死――。
「美雪! お義母さん!」
周子は必死で叫んだ。叫んだつもりだった。だが、その声は吹雪にかき消され、二人にはまったく届かない。
嫌だ。こんなの絶対に嫌だ!
走っていこうにも周子は動けなかった。鉛の錘が鎖でがっちりとつながれているように、足が一歩も踏み出せない。
義母は美雪と何か話しているようだったが、周子には何も聞こえなかった。
ひと塊になっていた人影が、二つに分かれた。
小さい方の影はその場に留まり、大きい影は旭橋の方へ歩き出した。
お義母さん、行かないで。
周子のその声は頭の中で空回りするだけだった。
義母の横に小さな影がかすかに見えた。
雪の加減で人がいるように見えるのかとも思ったが、周子が目を凝らすと、やはり歩く人影は二つあった。
義母は一人ではない?
周子の娘、美雪は義母から離れたところに立っている。その他に、確かにもう一人いるのだ。
義母の手に繋がれて、横に並んで歩く小さな人影。
一人で歩いていったはずなのに、お義母さんと美雪の他に、誰かいる。
義母はその小さな人影に、微笑みかけているようだ。
表情こそ見えなかったが、周子はそんな気がした。
確かに誰かがそこにいる。
強い風で吹きつけるように牡丹雪の降りしきる中、親子が手を繋いで歩いていくのがわかる。
親子……そうに違いなかった。ピンクのコートを着ている、あれは、みゆきだ。義母は娘のみゆきと楽しそうに手を繋いでいるのだ。
六十年振りに再会した母娘。
ようやく会えたんだ……。
周子は目頭が熱くなっていた。自分と美雪に重ね合わせて二人を見てしまう。
想像もしたくないことだが、もし、美雪と死に別れてしまったら……亡霊でもなんでもいい、もう一度会いたい、きっとそう切望する。
親子はゆっくりと旭橋の方へ歩いていった。
亡霊のみゆきは義母をどこへ連れて行こうとしているのだろう。自分のいる場所へ連れて行こうとしている? このままお義母さんが亡霊のみゆきに連れて行かれたら……。
みゆきは六十年前に事故で死んでいるのだ。