17・手袋
美雪が寝付いた後、義母と話をしたくてラウンジへ誘ったのだが、疲れたからと言って体良く避けられてしまった。
周子は明日で旭川を立つことになるのだと思うと、気ばかりが焦って寝付けなかった。
暫く寝返りを繰り返していたが、そのうち、いつの間にか眠りに落ちた。
真夜中、風の音で周子は目を覚ました。
何気なく横を向いた周子は、息を止めた。横に寝ているはずの美雪がいない。
「お義母さん、お義母さん! 起きて下さい! 美雪が、いないんです!」
「ええ?」
ゆっくりと上体を起こした義母は、状況が飲み込めていないのか、隣の誰も寝ていないベッドに目を向けた。
トイレにもいない。周子はコート掛けを開けた。
そこにあるはずの美雪のピンクのコートと長靴がなかった。
「外に出たんだ!」
こんな真夜中に、どこへ行ったというのか。
ベッドサイドのデジタル時計は午前二時を指していた。
二時――。
明日二時に会うの。
美雪はそう言っていた。まさか、こんな真夜中に?
そう思ったのだが、周子はそれしか思いつかなかった。
まさか。まさかそんなこと。
周子はあることを思い出し、部屋の明かりをつけて旅行鞄をひっくり返した。
なくなっている。
美雪が女の子と交換した赤い手袋がないのだ。
周子の半信半疑だった考えが、確信に変わった。
間違いない。
「どうしたの? どうしたらいいの?」
義母は救いを求めるような視線を周子に向けておろおろしている。
「わからない。わからないけれど……お義母さん、服に着替えてください。今、タクシーを頼みます!」
「心当たりがあるのね?」
何がなんだかわからなかった。就学前の幼児が、見知らぬ土地で夜中に出歩いて、目的地にたどり着けるとは思わない。
でも、それしか考えられない。
周子は考えるより先に行動していた。
タクシーはロータリーを通って常盤公園に続く児童公園へ向かった。
午前二時過ぎ。ロータリーを彩っていただろう電飾は当に消え、マイナス十一度というデジタル表示が寒々しく光っていた。
降る雪もなく、空気が張り詰めたように冷え、雪が音を吸収した静かな夜だった。
真夜中の道路は、時折、トラックやタクシーがすれ違うだけだ。車が通るたび、排気ガスが生き物のようにうねり、白いスケートリンクのような道路には、雪煙がさらさらとすべるように流れる。
明るいときとは別世界のような深夜の雪景色。
昼間来た児童公園が周子の視界に入った。
タクシーの窓から、周子は公園の方に目を凝らし、街灯の下の青白い雪山に、屈んでいる小さな影を見つけた。
周子は急いでタクシーを降り、奥まった公園まで走った。だが、音を立てると美雪が逃げていくのではと思い、門の前で立ち止まりそろそろと公園の中へ入った。
みしみしと雪を踏む足音が大きく響く。
タクシーから降りた義母に、周子は振り向かないまま、車道脇の降りたその場に立っているように手で合図した。
「み、ゆ、き」
大声で呼んではいけないような気がして、周子は静かに名を呼んだ。
声をかけた後も、公園の隅にいる美雪はこちらに気付かないで、屈んだまま雪を丸めていた。
「美雪」
公園の半ばまで来て立ち止まり、周子はもう一度優しく呼んでみた。
美雪は動かしていた手を止め、こちらを向いた。
「美雪!」
そのとたん、周子は駆け寄った。美雪は立ち上がって一方後ろへ下がり、背を向けて反対側へ逃げるように走っていった。
雪山で同じ高さになった公園の柵を乗り越え、子供の足とは思えない速さでどんどん走っていく。周子は追いつけず、その背中を必死に追った。
「美雪!」
いつのまにかロータリーに出ていた。車が一台もいない車道に、美雪は飛び出していった。
「危ない! 戻ってきて!」
一瞬、美雪はこちらを振り向いた。
冷たい微笑。
周子は息を飲んだ。
美雪じゃない。
あのコートも美雪のものだし、顔も確かに美雪だ。でも、あれは美雪じゃない。
美雪の姿をした何か。