素敵なプレゼントの季節
私は包装紙の手触りだけで、それが何か分かってしまった。
厚すぎず、安っぽくもなく、季節限定の色。
レジ横に積まれていた光景まで、簡単に想像がつく。
「流行ってるらしいよ」
その一言で、確信は決定に変わった。
中身を見る前から、もう分かっていた。
箱を開ける。
やっぱり、雑誌やSNSで何度も見た“定番”。
誰にでも無難で、外さないと言われているもの。
それはプレゼントの形をしているけれど、
私という人間には、ほとんど触れていなかった。
私は笑う。
反射みたいに、練習し尽くした表情で。
ありがとう、と口にする。
それが正解だと知っているから。
でも、胸の奥が静かに冷えていく。
流行っているものを選ぶこと自体が悪いわけじゃない。
嫌になるのは、そこで思考が止まっていることだ。
私がそれを持っているかもしれないこと。
好みじゃない可能性。
似たものを、もう大事に使っているかもしれないという想像。
そういう「私に向かうはずだった視線」が、どこにもない。
私が嫌なのは、物じゃない。
浅い知識で選んだそれを、
「ちゃんと喜ばせた」と誇るような態度だ。
調べた。
ランキングを見た。
みんなが喜ぶって書いてあった。
その程度の工程が、
考えた証明みたいに扱われるのが、どうしても引っかかる。
本当に相手のことを考えるって、
面倒で、効率が悪くて、正解が分からない。
だから人はテンプレートに逃げる。
失敗しない道を選ぶ。
でもそれは同時に、
「私じゃなくてもよかった」という宣言でもある。
引き出しの奥に、同じような箱がいくつもあることを思い出す。
似た色、似た重さ、似た気遣い。
どれも私の生活を、少しも変えなかった。
本当に欲しかったのは、
高価なものでも、流行りのものでもない。
何気なく言った一言を覚えていてくれた証拠。
ほんの一瞬、目を留めたものを覚えていた痕跡。
プレゼントは、物じゃない。
向けられた視線だ。
私を見ようとした時間だ。
それを省略しておきながら、
「喜ばせたつもり」になれることが、
どうしても理解できなかった。
私は箱をそっと閉じる。
また引き出しの奥にしまうために。
失礼って、
乱暴な言葉や態度だけじゃない。
考えなかったことそのものが、
一番静かで、一番深い無礼になることもある。




