幕間1 勇者たちの征野と無自覚な殺意
アッシュワルド王国から西へ、馬車で数日の距離にある街道沿い。
日が落ち、辺りは漆黒の闇に包まれていた。
勇者パーティ〈スターダスト〉は、街道脇の平原で野営を張っていた。
「くそっ、なんだこのポンコツテントは! また倒れやがった!」
大柄な男の怒声が響く。戦士ブラウンだ。
彼は汗だくになりながら、傾いたテントの支柱と格闘していた。
以前までは、ユートが【固定結界】で地盤ごと安定させていたため、杭を打つ必要すらなく、一瞬で設営が完了していたのだ。
「おいブラウン、音がうるさいぞ。せっかくのワインが不味くなる」
「うるせぇよ! お前も手伝えザスター! ユートがいなくなってから、力仕事が全部俺に回ってきてんだぞ!」
ブラウンが悪態をつく。
ユートの不在は、魔法職だけでなく、前衛職にとっても「重労働の増加」という形でのしかかっていた。
「きゃっ! また虫! もう、最悪!」
焚き火のそばで、聖女ルミナがヒステリックな声を上げる。
豪奢な法衣は土埃で薄汚れ、自慢の金髪も湿気でボサボサになっていた。
「防虫結界はどうなってるのよ! ゲイル、あんたがやってよ!」
「無茶を言うな。ワシの魔力は攻撃と解析に特化しておる。結界のような繊細な調整は専門外じゃ」
賢者ゲイルが杖を磨きながら不機嫌に答える。
地面はゴツゴツして硬く、スープは煮込みすぎて焦げ付いている。
彼らはここに来て、ユートという「縁の下の力持ち」を失った不便さを痛感していた。
「まったく、あの役立たず……。追放して正解でしたが、新しい雑用係が見つかるまでは不便ですね」
ルミナが毒づく。彼らにとってユートの不在は「戦力ダウン」ではなく「生活水準の低下」でしかない。
「まあいい、些細なことだ」
勇者ザスターはワイングラスを傾け、上機嫌に笑った。
「それより、次は『自由都市同盟ネムレス』だ。……だが、聞いたか? あの国のふざけた風習を」
「ええ。なんでも、誰も本名を名乗らないとか」
「左様。あの土地には『名を奪う蟲』なる固有の魔物が生息しておるらしい」
ゲイルが得意げに知識を披露する。
「真名を口にすれば、地中から蟲が現れ、九十日後にその者の魂を狩るという。その蟲を殺せば助かるらしいが、有史以来、蟲を殺せた者は一人もおらん。ゆえに殺害方法は不明……。唯一の例外は『店名』のみ。だから住人はみな、仮名や屋号で呼び合って暮らしておるのじゃ」
それを聞いたザスターが、バン! と膝を叩いた。
「嘆かわしい! 実に嘆かわしいことだ!」
ザスターの碧眼が、独善的な正義感に燃え上がる。
「たかが虫一匹に怯え、親から授かった名を捨てて生きるなど、人間としての誇りがない! コソコソと仮名を使って生きるなど、奴隷と変わらないではないか!」
「でもザスター様、蟲は殺せないんでしょ? どうするの?」
ルミナが首を傾げると、ザスターは不敵に笑い、聖剣の柄を握りしめた。
「殺せない? 違うな。『勇者がいなかったから』殺せなかっただけだ」
彼の論理は明快だ。自分が倒せない敵など存在しない。
ならば、解決策は一つ。
「いいか、我々の目的は、彼らに『勇気』と『誇り』を取り戻させることだ。そのためには、まず蟲を引っ張り出さねばならん」
「フォフォフォ、なるほど。つまり……?」
「うむ。都市全域に、強制的に真名を名乗らせる『真実の布告』を行う。そうすれば、その『名を奪う蟲』とやらが大量に現れるだろう」
ザスターはワインを一気に飲み干し、高らかに宣言した。
「そこを私が一網打尽にする! 元凶の蟲さえ絶滅させれば、彼らは二度と名乗ることを恐れずに済む! これぞ根本的解決だ!」
ブラウンとゲイル、ルミナが「さすがです!」と拍手する。
彼らは疑わない。
もし、その蟲が「物理攻撃無効」だったら?
もし、数万匹の蟲が一斉に現れ、勇者の剣が間に合わなかったら?
ゲイルは知識として知っていたはずだ。「その蟲はネムレスの土地に縛られており、外には出られない」と。
つまり、事を起こした勇者が街を去れば、勇者だけは助かる。
だが、賢者は口を閉ざした。機嫌の良い勇者に水を差すのは、自分の立場を悪くするだけだと知恵が回ったからだ。
残されるのは、強制的に名を暴かれ、九十日後の死を宣告された住民たちだけだ。
勇者は止まらない。彼の目には、感謝してひれ伏す民衆の姿しか映っていないのだから。
「行くぞ! 名もなき臆病者たちに、私が『名』を与えてやるのだ!」
夜の闇に、勇者の高笑いが響く。
それは、自由都市ネムレスを未曾有のパニックに陥れる、虐殺の号令だった。




