第7話 灰色の夜明け
長い螺旋階段を上り、地上への扉を押し開ける。
肌を撫でたのは冷たく湿った風だった。腐臭と花の香りは消え、雨上がりの土のような静謐な匂いが満ちている。
広場を埋め尽くしていた深紅のバラは、親株の消滅に伴い一瞬で枯れ果て、黒い灰となって石畳に積もっていた。
見上げれば、分厚い鉛色の雲が空を覆い隠し始めている。アッシュワルドを象徴する、陰鬱で、しかし優しい灰色の空だ。
「戻った……。私たちの、灰色の世界……」
リズが両手を広げ、空気を吸い込む。広場の「笑う死体」たちは糸が切れたように動かなくなり、花粉を吸って昏倒していただけの生者たちは、咳き込みながら正気を取り戻し始めていた。
「……父さん!」
リズがハッとして、南門の方角へ走り出す。ユートとシルフィ、そして老司祭もその背中を追う。
分厚い外壁の内側の窪みから、よろよろと一人の男が出てきたところだった。バラの蔦に巻かれていたが、枯れた蔦を自力で引き剥がしている。
「父さんッ!!」
「……リズ、か? 無事だったか……」
リズが父の胸に飛び込む。男は娘を力強く抱きしめ返した。
抱き合う親子を横目に、ユートは小さく息を吐く。どうやら間に合ったようだ。
「ねぇユート。感動の再会もいいけどさ」
隣でシルフィの腹が、雷鳴のような音を立てて鳴った。
「私、もう限界。魔力使い果たしてペコペコなの。約束、覚えてるわよね? ハンバーグ!」
ユートは呆れて肩をすくめる。
「分かってる。詰め所の厨房を借りるぞ」
◇
詰め所の厨房からは、肉の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
ユートが収納結界から取り出したのは、厳選された最高級の挽肉と、保存しておいた高級小麦粉。
ジュウウウ……という音と共に、特大のハンバーグが焼き上がり、特製デミグラスソースがかけられる。横には、即席だがふっくらと焼き上げた白パンが添えられた。
「お待たせ。約束の品だ」
「きゃあぁぁぁ! これよこれ! ユート、愛してる!」
シルフィが歓声を上げ、フォークを突き立てる。肉汁が溢れ出すハンバーグを口いっぱいに頬張り、至福の表情で身悶えする。
リズや父、司祭にも振る舞われ、全員が久々の「まともな食事」に生気を取り戻していく。
「行くぞ。腹が満ちたら仕事だ」
「え、まだあるの?」
「中央と地下は潰したが、他の地区と王城を確認していない。被害の全容を把握し、王族が生存していることを確認するまでが仕事だ」
ユートはパンをかじりながら立ち上がった。
「リズ、案内できるか」
「はい、もちろんです!」
◇
一行は南地区を出て、時計回りに街を巡回することにした。まずは西地区。
「ここは学園と研究所がある地区です。……よかった、静かだわ」
リズが安堵の声を漏らす。通りにはバリケードが築かれ、学生や研究者たちが建物内に立てこもっていた形跡がある。熱波で倒れている者は多いが、賢明な判断のおかげで、バラの直接的な侵食は防がれていたようだ。
「学者は頭でっかちだが、こういう時の籠城戦には慣れているようだな」
ユートは校舎に張られた簡易結界の跡を見て評価する。これなら復興も早いだろう。
続いて北地区、貴族街。
ここは酷かった。
「うわぁ……お屋敷が、飲み込まれてる」
シルフィが顔をしかめる。庭園の植栽が全て変異し、豪奢な屋敷を茨が覆い尽くしている。窓から中を覗くと、多くの貴族が蔦に巻かれて昏睡していた。
「『美しさ』に執着する貴族ほど、あのバラの影響を強く受けたようだな」
ユートは手帳に記録する。蔦は枯れている。命はあるが、精神的な汚染が深く、社会復帰には時間がかかるだろう。
そして東地区、商業区。
商店の窓は割られ、商品は通りにぶちまけられている。「笑う人々」が商品を使って、狂乱のパレードを行った跡だ。経済的ダメージは壊滅的だが、広場に人が集められていた分、ここでの死傷者は奇跡的に少なかった。
最後に、三人は湖にかかる長い石橋を渡り、東にある王城へ向かった。だが、城門の前でリズが足を止める。
「……な、なにこれ!?」
彼女が指差した先。城門が、巨大な「水の壁」によって封鎖されていたのだ。湖の水が巻き上がり、城全体をドーム状に覆い隠している。水流は激しく、中の様子は全く見えない。
「まさか……まだ異変が続いているんですか!?」
「いや、違う。……解析」
ユートが魔力を走らせる。バラの禍々しい気配はない。これは純粋な防衛術式だ。
「王城防衛機構【湖の守護】か。街の汚染レベルを感知して自動発動したんだな。外部からの侵入を遮断している」
「じゃあ、お城の中は……」
「ああ。物理的な侵攻は防げているはずだ。中は無事だろう」
だが、このままでは入ることもできない。
その時。ユートの懐で、カッ、と強い光が灯った。取り出してみると、地下で手に入れた【王家の指輪】が、水の壁に呼応して明滅している。
「……なるほど。鍵ってわけか」
ユートが指輪をかざすと、轟音と共に水流が左右に割れ、城門への道が開かれた。
◇
城内に入ると、予想通りバラの侵食は一切なかった。
だが、玉座の間に入った瞬間、別の異常が露見した。国王をはじめ、大臣や騎士たちが、糸が切れた人形のように床に倒れ伏していたのだ。
「陛下!」
リズが駆け寄る。ユートは王の体に触れ、診断する。
「……魔力欠乏症だ。あと数時間遅ければ死んでいたな」
外敵は防いだが、内部からのドレインまでは防げなかったか。
ユートは王の胸に手を当て、自らの魔力を少し分け与える。治療用のポーションを含ませ、数分後。咳き込みと共に、王がうっすらと目を開けた。
◇
王の生存が確認出来てから三日が過ぎた。
街は少しずつ落ち着きを取り戻していた。枯れたバラの撤去作業が始まり、灰色の空の下、人々は復興へと動き出している。
四日目の朝、国王の意識がはっきり戻ったという知らせが入り、ユートたちは寝室に通された。
「……そなたらが、余を目覚めさせてくれたのか」
「応急処置をしただけです。……陛下、お体の具合は?」
ユートは椅子に座り、王の目を真っ直ぐに見据える。王は自分の掌を力なく見つめた。
「体が鉛のように重い……。それに、心にポッカリと穴が空いたようだ。一体、余の身に何が起きたのだ? 国は……民はどうなった?」
「国は存続しています。ですが、大きな傷を負いました」
ユートは淡々と、しかし隠すことなく事実を告げる。
勇者の儀式によって大聖堂の地下に親株が植え付けられたこと。地下に眠る初代国王の遺骸がその核として利用されたこと。そして、血の繋がりを通じて現国王からも魔力が吸い上げられ、それが花粉の毒となって国中に散布されたこと。
「単刀直入に言います。勇者の『善意』が、あなたの祖先を苗床に変え、あなたの魔力を使って民を襲わせたのです」
王の顔色が蒼白になる。
「な……ご先祖様が……余の魔力が、民を……?」
「はい。物理的な侵攻は城の結界が防ぎましたが、血の繋がりまでは遮断できなかった。皮肉な話です。あなたが王家の一員であることが、逆に仇となった」
王はガタガタと震え出した。
偉大なる祖先が怪物にされ、自分の魔力が民を殺す毒として使われていた。そのおぞましい事実に、魂が削られるような絶望が襲う。
「あぁ……あぁぁッ!! 余は……余はなんてことを……!」
王が頭を抱え、獣のような慟哭を漏らす。
勇者に騙されたとはいえ、許可したのは自分だ。その罪悪感は一生消えないだろう。
「……陛下」
ユートは静かに呼びかける。
「被害は甚大ですが、民は生きています。傷ついた街も残っています。泣いている暇はありませんよ」
「う、む……」
「まずは復興です。国民は、自分たちを守ってくれる強い王を待っています」
その言葉に、王が顔を上げる。
涙で濡れたその瞳に、次第に理性の光が戻っていく。
彼は騙された。善意という名の暴力によって、国を滅ぼされかけた。だが、ここで折れれば本当に国が終わる。
「……そうだな。貴公の言う通りだ」
王は涙を拭い、居住まいを正した。その目に宿るのは、もはや勇者への信奉ではない。国を守る王としての、静かな怒りと覚悟だった。
「まずは国を立て直す。民の生活を元に戻すのが最優先だ。……だが」
王は拳を強く握りしめる。
「余は……アッシュワルド国王として、勇者ザスターを断じて許さん。奴の『善意』とやらがもたらしたこの惨状、決してうやむやにはさせんぞ」
王の声に力が戻る。
「復興の目処が立ち次第、冒険者ギルドを通じ、正式に抗議文を送る。今回の被害総額、ならびに復興にかかる費用……その全てを奴に請求するつもりだ。これは国家としての意思表示だ」
ユートは無言で頷くと、懐から地下で回収した白金の指輪を取り出し、王の前に置いた。
「ならば、これをお返しします。地下の『親株』の残骸から見つけました」
王が目を見開く。
「こ、これは……【王家の指輪】!? まさか、初代様の……!」
「あなたの祖先が苗床にされていた、動かぬ証拠です。勇者を告発する上で、これ以上の証拠品はないでしょう」
王は震える手で指輪を握りしめ、額に押し当てた。
それは、勇者が王家を、そして国を道具として扱った決定的な証明。
「……かたじけない! この恩、決して忘れんぞ」
ユートは、事実を伝え、壊れたものを直しただけだ。だがその結果、勇者の輝かしい経歴に、消えない泥が塗られることが確定した。
◇
城門を出て、長い石橋を渡りきる。
街側の袂まで来たところで、背後から声がかかった。
「待ってください!」
リズだった。息を切らせて追いかけてきたようだ。
ユートが足を止めると、彼女は呼吸を整え、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめた。
「行っちゃうんですか」
「仕事は終わった。次の『現場』に行くだけだ」
「……そうですか」
リズは寂しそうに笑い、それから一歩踏み出した。
「私、今はまだ父さんの傍にいてあげなきゃいけません。街の片付けもあるし」
「だろうな」
「でも! 街が落ち着いたら……必ず追いかけますから!」
リズは宣言する。
「私、決めました。貴方みたいな、損な役回りばかりする人を放っておけません。だから……覚悟しておいてください!」
それは復讐でも、単なる感謝でもない。新たな仲間としての、合流の約束だった。
ユートは振り返らず、フードを目深にかぶり直した。
「……勝手にしろ」
ユートは背を向け、歩き出す。
「あらら、懐かれちゃったわね」
シルフィがニヤニヤと笑いながら並ぶ。
「うるさい。……それよりお前、いいのか?」
「ん? 何が?」
「勇者のところに戻らなくて。もう随分と離れたぞ」
ユートの問いに、シルフィはケラケラと笑った。
「だってもう追いつけないし。それに、あっちの料理はマズいもの。私は美味しいご飯が食べられれば、世界中どこへだってついていくわよ!」
「……食い意地の張ったエルフだな」
「褒め言葉として受け取っておくわ! さぁ、次はどこの国? 美味しいものある?」
ユートは溜息をつき、ギルドカードを取り出す。光点は既に国境を越えていた。
「……次は西だ。『無名の国』の方角に反応がある」
「無名? 名前がない国なのかしら」
「ああ。あそこは確か……『名前を名乗らない風習がある』といわれているな」
そこにはまた、別の「善意」が降り注いでいるはずだ。
二人の影が、灰色の霧の中へと消えていく。
アッシュワルド王国には、静寂な夜明けが訪れていた。
【第1章 完結】
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます! これにて「第1章 アッシュワルド王国編」は完結です。
次回からは「第2章 無名の国編」が始まります。 名前を名乗らない奇妙な風習を持つ国で、ユートとシルフィが新たな「勇者の尻拭い」に挑みます。お楽しみに!
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