第5話 地下からの侵食
祭壇の裏に隠されていた重厚な扉が開かれると、そこには漆黒の闇が口を開けていた。
地下特有の湿った冷気が吹き上がり、腐敗臭と花の香りが混じった異臭が鼻をつく。
「ひっ……」
リズが身震いをする。
その様子を見て、老司祭が震える手で持っていた古びたランタンを彼女に差し出した。
「リズ、これを持っていてくれんか」
「え、あ、はい。でも……」
「『浄化のランタン』じゃ。聖別された青い炎が、地下の瘴気や毒気を払ってくれる。ワシは松明を持つので手一杯じゃから、頼むぞ」
「瘴気を……? わ、わかりました」
リズは恐る恐るランタンを受け取る。中では青白い炎が静かに揺らめいていた。
「……なるほど。簡易的な環境浄化結界か」
横で聞いていたユートが、独り言のように呟く。
骨董品に見えるが、術式は生きているようだ。ならば、この地下探索においてあのランタンは、単なる照明以上に重要な「生命維持装置」となる。
「行くぞ。無駄話をしている暇はない」
ユートの合図で、一行は闇の底へと続く螺旋階段を下り始めた。
◇
石造りの壁は冷たく、遥か頭上からは、ドンドンドン……という鈍い音が、まるで地底の底まで追いかけてくるかのように微かに響いていた。
「……結界、持つかしら」
シルフィが不安そうに天井を見上げる。あの音は、聖堂を取り囲む数百体の「笑う死体」たちが、扉や壁を叩いている音だ。聖堂内には、まだ多くの避難民が残されている。
「長くは持たん。俺が施した補強も、物理的な質量攻撃の前では時間稼ぎにしかならない」
ユートは冷徹に事実を告げる。避難民を守りながら戦うことは不可能だった。だからこそ、彼らを囮にしてでも、元凶である「親株」を叩く道を選んだのだ。
非情な判断だが、それが全員が助かる唯一の細い糸だ。
「急ぐぞ。上が突破される前に、根を枯らす」
ユートは足を速める。
先導する老司祭の持つ赤々とした松明と、リズが胸に抱いた「浄化のランタン」の青白い光だけが、暗闇を切り裂いていく。
◇
地下第一層。
かつては歴代の貴族や、功績のあった騎士たちが眠る神聖な場所だったはずだ。だが、壁画は砕かれ、石棺は暴かれ、至る所から血管のように太い植物の根が這い出している。
「……ひっ」
リズが息を呑み、ユートの背中にしがみつく。ランタンの光が、通路の奥で蠢く「影」を照らし出したからだ。
ボロボロに朽ちた埋葬布を纏った、骸骨。肋骨の隙間にバラの蔦が筋肉のように絡みつき、空洞の眼窩には大輪の花が咲いている。
「ア……ァァ……」
乾いた顎骨がカチカチと鳴り、うめき声を上げる。一体ではない。壁の亀裂から、天井の隙間から、次々と「バラの骸骨」が湧き出してくる。
「ヒィィッ! し、死者が蘇ったぞ!」
老司祭が腰を抜かしそうになりながら松明を振り回す。
「死体までリサイクルか。徹底したエコ精神だな」
ユートは皮肉を吐き捨て、懐から四本の「楔」を引き抜いた。
彼は杖を持たない。長い杖は、狭い場所での精密な結界構築の邪魔になるからだ。この無骨な鉄の杭こそが、彼の魔法の起点であり、唯一の武器だ。
「シルフィ、やれ!」
「了解! 汚い骨ね、土に還りなさい!」
狭い通路で、シルフィの長弓が唸る。彼女は矢継ぎ早に矢を放ち、風を纏った一撃で、直列に並んだ骸骨たちの頭蓋を正確に粉砕していく。
だが、数は多い。撃ち漏らした一体が、錆びた剣を振り上げ、一番動きの鈍いリズへと襲いかかる。
「あ……」
「硬化」
カィィン!
リズの目の前に、極小の六角形の障壁が出現し、剣を弾いた。
「ボサッとするな! 死にたいのか!」
ユートが割り込み、骸骨の胸部――バラの根が密集している核を、楔で直接突き刺した。植物が断裂する嫌な音がして、骸骨が崩れ落ちる。
「ありが……」
「礼はいい。お前を守ったんじゃない、その『ランタン』を守っただけだ」
ユートは冷たく言い放つが、その立ち位置はリズを敵から完全にかばう形だった。
照明なら司祭の松明で足りる。だが、そのランタンが壊れれば、地下に充満する濃密な花粉と死臭が一気に押し寄せ、全滅のリスクが跳ね上がる。
「行くぞ。ここには雑魚しかいない」
◇
一行は骸骨の残骸を踏み越え、地下二層へと降り立った。
空気が変わった。
湿度はさらに上がり、壁を這う根は、人間の胴体ほどもある太さになっている。
ここは王族に近い、高位の血筋が眠る場所。それゆえに、守護者の質も違う。
「……止まれ」
ユートが鋭く制止する。
通路の奥、巨大な石扉の前で、何かが待ち構えていた。
それは、馬と人が融合したかのような、異形の騎士だった。
かつての王立騎士団長の遺体だろうか。全身を覆うミスリルの鎧は内側から植物に食い破られ、兜の隙間からはバラの棘が牙のように突き出している。
「ブモォォォ……!」
騎士が、鼻息のように花粉を噴き出した。手には巨大な戦斧。その柄もまた、ねじれた植物でできている。
「うわ、なんか強そう。しかも臭い!」
「リズ、ランタンを隠して下がっていろ。司祭もだ! シルフィ、援護だ」
ユートが指示を出した瞬間、騎士が突進してきた。
石畳を砕く重戦車の如き突撃。狭い通路では回避場所がない。
「偏向結界・【滑らかな盾】!」
ユートは正面に斜めの結界を展開する。
戦斧の一撃を受け止めるのではなく、軌道を逸らす。火花と共に斧が壁に激突し、轟音が響く。
「今だ、撃て!」
「任せて! 目障りよ!」
シルフィが最大張力で矢を放つ。
ヒュン!
風の矢が騎士の胸板を直撃する。だが、ガキンッという金属音と共に弾かれた。
「嘘!? 弾かれた!?」
「ミスリル製の鎧だ! 生半可な物理攻撃は通じない!」
「なんて生意気な死体なの!?」
騎士が再び斧を振り上げる。鎧の隙間から伸びた植物のツルが、鞭のようにしなりながらユートたちを絡め取ろうとする。
「チッ……物理が駄目なら、構造ごと潰す」
ユートは楔を二本、同時に投擲した。
狙いは騎士の両足元の石畳。
カアンッ! と楔が突き刺さる。
「定義変更。――対象、石畳。粘度操作・【泥沼】」
一瞬にして、騎士の足元の石畳が液状化する。
重装甲が仇となった。騎士はズブズブと膝まで地面に沈み込み、バランスを崩す。
「ブモッ!?」
「動きが止まればただの的だ。シルフィ、兜の隙間だ! 中身(植物)を狙え!」
「オーケー! そこね!」
シルフィが至近距離まで踏み込み、騎士の顔面へ向けて矢を放つ。
風の矢がバイザーの隙間に吸い込まれ――内部で炸裂した。
グチャリ、と植物が潰れる音が響き、巨体が動かなくなる。
「……ふぅ。鎧だけ立派でも、中身がこれじゃな」
ユートは沈み込んだ騎士の鎧を足場にして、先へと進む。
リズと司祭が震えながら、騎士の残骸の横を通り過ぎる。
「すごい……あ、あなた……本当に何者なの……?」
「……ただの『元』冒険者だ」
ユートはそっけなく答え、奥に見える巨大な鉄扉を見据える。
地下三層への入り口。
そこからは、目が潰れるほどの強烈な「赤光」と、ドクン、ドクンという心臓の鼓動のような音が漏れ出していた。
「ここが、最下層……王の寝室」
「ああ。そして今は、地獄のポンプ室だ」
ユートは楔を構え直し、覚悟を決める。
この扉の向こうに、全ての元凶がいる。
「開けるぞ」
ユートが歪んだ扉に手をかけ、押し開く。
溢れ出す光と、むせ返るような花の香りが、四人を飲み込んだ。




