第4話 笑う死体
「あはは……幸せだ……」
「勇者様……ありがとう……」
「いい匂い……みんな、吸って……」
大聖堂の影に身を潜めるユートたちの目前で、異様な光景が繰り広げられていた。
つい先程まで熱波に喘ぎ、物陰で死にかけていた人々が、虚ろな目で笑いながら広場の中央へと集まっていく。その足取りはふらつき、まるで糸の切れた操り人形のようだ。
彼らの周囲には、深紅の薔薇が狂ったように咲き乱れ、目に見えるほどの濃密な赤い花粉を撒き散らしている。
「わぁ……! すごーい! みんなニコニコして、ザスター様を讃えてるわ。やっぱりザスター様はすごいのね」
シルフィが日傘を回しながら、無邪気に声を上げた。
「さっきまで苦しそうだったのに、もう元気になったのね! やっぱりお花の効果ってすごいや。ゲイルの言った通りね!」
「……相変わらず、お前の眼球は節穴か」
ユートは即座に懐から手巾を取り出し、口元を覆った。漂ってくる甘ったるい香りに、脳が痺れるような感覚を覚えたからだ。
「展開・【選別結界】――対象定義、有機微粒子」
ユートは即座に極小の結界を鼻と口の周囲に展開し、花粉を物理的に遮断する。同時に、隣で深呼吸しようとしていたシルフィの口も、強制的に結界で塞いだ。
「むぐっ!? な、なによユート! いきなり口を塞ぐなんて!」
「死にたくなければその空気を吸うな。……チッ、お前にここで発狂されて、魔法を乱射されたら俺が迷惑なんだよ」
ユートは忌々しげに吐き捨てる。
助けたのではない。この高火力の馬鹿がドラッグでハイになり、見境なく攻撃魔法を放ち始める事態を回避しただけだ。
ユートは冷ややかな目で群衆を見る。
彼らの瞳に理性はない。過剰分泌された脳内麻薬によって、痛みも苦しみも恐怖も、すべてが「幸福感」というノイズで塗りつぶされているだけだ。
皮膚の下では植物の根が蠢き、口や耳からは深紅のバラが咲き乱れている。それは、死体を苗床にして強制的に生命活動を維持させている、おぞましい操り人形の姿だった。
「ひっ、ヒィッ……!?」
「助け……て……!」
広場の隅から、悲鳴が上がった。
ゾンビ化した元・市民たちが、まだ生きている生存者を見つけ、よろよろと群がり始めたのだ。彼らは攻撃しようとしているのではない。「この素晴らしい幸福を分けてあげよう」として、抱きつこうとしている。
だが、その体から生えた無数の棘は、抱擁した相手を八つ裂きにする凶器だ。
「あら? なんか様子がおかしいわね。喧嘩かしら?」
シルフィが首を傾げる。
その時、大聖堂の正面扉がわずかに開き、誰かが転がり出てくるのが見えた。ボロボロのローブを纏った灰色の髪の少女――リズだ。
彼女は心配のあまり、外の様子を確かめようと飛び出してしまったのだろう。
「と、父さん……!?」
リズが息を呑む。
大聖堂の入口から少し離れた場所で、南門の衛兵と同じ鎧を着た男が、バラに巻かれて倒れていたからだ。それが父に見えたのだろう。
「いやぁぁぁぁぁッ!!」
リズが絶叫する。
その声に反応し、近くにいた数体の「笑う死体」たちが、ゆらりと彼女の方へ向き直った。
「あはは……リズちゃん……おいで……」
「ひっ……! いや、来ないで……!」
リズが後ずさる。だが、背後からは別の死体たちが迫っていた。
行き場を失った彼女は、必死の形相で大聖堂の影――ユートたちのいる物陰へと逃げ込んでくる。
「ハァ……ハァッ……!」
植え込みをかき分け、リズがユートたちの足元に崩れ落ちた。彼女の体には既に赤い花粉が付着している。
「ゲホッ……! う、うぅ……頭が、ぼーっと……」
「動くな」
ユートはリズの襟首を掴むと、自身の【選別結界】の範囲を拡張し、彼女を包み込んだ。
肺に入り込もうとしていた花粉が遮断され、リズが激しく咳き込む。
「はぁ、はぁ……あ、あんたたちは……」
「状況説明は後だ。客が来たぞ」
ガサガサッ!
リズを追ってきた数体の「笑う死体」が、涎と花粉を撒き散らしながら植え込みを突破して侵入してくる。
「あはぁ……みいつけた……」
「なかよし……なろう……?」
先頭に立つのは、豪華な服を着た太った男。その腹部からは巨大なバラが咲き、内臓のように脈打っている。
「ヒッ……!」
リズが腰を抜かす。
ユートが前に出ようとした瞬間、風を切る音が響いた。
「汚いわね。近寄らないで」
シルフィが嫌悪感を露わにし、流れるような動作で矢を放った。風を纏った矢は、先頭の男の頭部を正確に貫く。
パンッ、と乾いた音がして、男の頭が弾け飛んだ。
「――ッ!?」
リズが息を呑む。
頭を失った男の体は、糸が切れたように崩れ落ちた。
シルフィは眉一つ動かさず、次の矢をつがえる。
「やっぱりモンスターじゃない。人間なら挨拶くらいするでしょ? 動く植物なんて気色が悪いわ。全部駆除しましょ」
彼女の論理は明快だ。「綺麗か、汚いか」。
先ほどまで「元気になった」と喜んでいた相手でも、自分に害意を向ければ、即座に「汚物」として処理対象になる。そこに迷いも、元人間への憐憫もない。
「待て」
シルフィが次の獲物――まだ十代そこそこの若者の死体――を射抜こうとした瞬間、ユートが弓を押さえた。
「なによユート。邪魔しないでよ」
「殺すな。……いや、壊すな」
「はぁ? 襲ってきてるのよ? 食べられたいの?」
ユートは懐から一本の「楔」を取り出し、迫りくる若者のゾンビへと歩み寄る。リズが「危ない!」と叫ぶが、彼は止まらない。
ゾンビが両手を広げ、ユートに抱きつこうとする。その距離、わずか数センチ。
「――【時間封鎖】」
ユートが楔をゾンビの足元に突き刺すと、灰色の波紋が球状に広がり、対象を包み込んだ。空間ごと時間を凍結・固定する、封印結界の一種。
笑みを浮かべたまま、若者のゾンビは彫像のようにピタリと静止した。
「……ふぅ」
ユートは荒い息を吐き、額の汗を拭う。直前まで迫っていたバラの棘が、結界の外側で止まっている。
「な、何をしたの……?」
リズが震える声で問う。ユートは凍結したゾンビの頭部に手を触れ、青白い魔力を流し込んで「解析」を開始した。
「貴重な『サンプル』だ。灰にしたら構造が分からないだろう」
「サンプル……?」
「ああ。このバラがどうやって人間の神経系を乗っ取っているのか、どこから魔力を得ているのか。それを特定するための検体だ」
ユートはリズの視線など意に介さず、氷漬けになった若者の死体を、まるで『物品』を見るような目で観察した。
リズの顔から血の気が引いていく。彼女には見えたのだ。元人間を「汚物」として処理しようとしたエルフの少女と、元人間を「検体」として確保した黒衣の男。
どちらも、人の心を持たない「この地獄の先導者」であることに変わりはないと。
「……っ、お前ら……!」
リズが吐き捨てるように叫ぶ。
「感情論で動くな! 現実を見ろ」
ユートはリズの言葉を一蹴し、眉一つ動かさず、解析結果を口にした。
「……やはりか。脳の幸福中枢に根が食い込んでいるだけじゃない。神経系全体が、外部からの魔力供給パスに書き換えられている」
「どういうこと?」
「こいつらは端末に過ぎないということだ。この街の地下深くに、こいつらに魔力を送り、操っている『親株』がいる」
ユートの視線が、床――石畳の下へと向けられる。解析結界を通して見れば、地脈に張り巡らされた無数の根が、一つの巨大な「点」に向かって収束しているのが見えた。その収束点は、まさに大聖堂の真下だ。
「おい、そこの女」
「え……?」
「この聖堂の下に、地下室や通路はあるか? 根が真下に伸びている」
ユートの問いに、リズがおずおずと頷く。
「あ、あるわ。地下墓所が……歴代の王様たちが眠っている場所よ」
「入り口はどこだ? 外にあるのか?」
「ううん、入り口は聖堂の中、詳しくは司祭様が知っているはずよ」
「……決まりだな」
ユートは視線を大聖堂の正面入り口へと向ける。
今いる場所から地下へ行く道はない。建物が結界で守られている以上、外部からの侵入は不可能。正規の入り口を使うしかない。
「行くぞ。正面から聖堂へ戻る」
「はぁ!? あんた正気なの!? 広場はあんな状態なのよ!?」
リズが叫ぶが、ユートは聞く耳を持たない。
壁を壊して入る手もあるが、大聖堂には古代の防御結界が張られている。正面から正規の手順で入るのが最短だ。
「お前の父親を助けたいならついて来い。この街が完全に花園に変わる前に、地下に潜む『根』を潰すぞ」
リズはハッとして顔を上げた。
「助かるの……? 父さんは、生きてるの!?」
さっき見た光景が脳裏に焼き付いている。父の鎧を着た何かが、バラに巻かれて倒れていた姿を。
「南門の部隊が全滅したという確証はない。あれはお前の父親と同じ鎧を着た、別の誰かかもしれない」
「でも……」
「可能性はゼロじゃない。だが、ここで立ち止まっていれば全員確実に死ぬ。それだけだ」
冷たい言葉。
今の彼女にはそれが唯一の希望だった。リズは唇を噛み締め、涙を拭って頷いた。
「……いく。連れて行って」
ユートは黒衣を翻す。
一行は物陰を飛び出し、ゾンビの群れが徘徊する広場へと躍り出た。
◇
広場は地獄の釜の蓋が開いたような有様だった。
数百人の市民が、赤い花粉の中で狂ったように踊り、徘徊している。
「あはは……」
「きれい……みんな、きれい……」
密集度は祭りの人混み並みだ。大聖堂の入り口まではわずか数十メートルだが、その間を数百の「敵意ある善意」が埋め尽くしている。
「ユート、これどうするの? 全部射抜いてたら矢が足りないわよ」
「構うな。道は俺が作る」
ユートは四本の楔を指の間に挟み、前方に展開した。
「結界術式・展開。――【拒絶回廊】」
ドンッ!!
ユートの前方に、目に見えない透明なトンネルが出現した。
強烈な斥力が発生し、群がっていたゾンビたちが左右へと弾き飛ばされる。
まるで海が割れるように、狂乱の広場に一本の道が出来上がった。
「走れ! 結界の維持時間は短いぞ!」
「了解!」
「っ……!」
三人は死体の海を駆ける。
左右の透明な結界壁には、入り込もうとするゾンビたちが顔を押し付け、ギチギチと音を立てていた。
潰れた顔。飛び出した眼球。ガラスに張り付くナメクジのように、彼らは笑顔でこちらを見つめている。
「ジョンさん……! パン屋の奥さんも……!」
リズが悲鳴のような声を上げる。
見知った顔が、化け物になって自分を喰らおうとしている。その現実に足がすくみそうになる。
「下を向くな! 前だけ見ろ!」
ユートがリズの腕を強引に引く。
その時、建物の屋根を伝ってきたゾンビが、結界の上部――天井の隙間から降ってきた。
「きゃあぁッ!?」
「チッ、上か!」
ユートが迎撃の体勢を取るより早く、シルフィが動いた。彼女は矢をつがえることなく、空いた左手をかざす。
『――そこ、邪魔よ!』
ヒュオッ!
シルフィの意思に応じ、広場の大気が牙を剥く。結界の外側で発生した局地的な突風が、落下中のゾンビを真横から殴りつけた。
ドガァッ!
ゾンビはボールのように弾き飛ばされ、遥か後方の群衆の中へと消えていく。
「よそ見してるからよ! ほら、急いで!」
彼女は走りながら、次々と迫りくる「結界外」の脅威を、精霊魔法による風の鉄槌で排除していく。
ユートが絶対的な防御壁で道を切り開き、シルフィがその隙間を風で埋める。最悪の相性にして、最強の布陣。
「……着いたぞ!」
数分の強行軍の末、三人は大聖堂の重厚な扉の前へと滑り込んだ。
ユートが扉に手を触れ、解除する。背後では、【拒絶回廊】の効果が切れ、数百のゾンビが雪崩のように押し寄せてきていた。
「開けッ!」
ゴオン、と鈍い音を立てて扉が開く。三人が中に転がり込むと同時に、ユートは再び扉を閉ざし、内側から多重結界で封鎖した。
ドンドンドンドンッ!
扉を叩く無数の音と、笑い声が外から響いてくる。
「……ギリギリだったな」
ユートは肩で息をしながら、静まり返った聖堂内を見渡す。そこには、震える避難民たちと、恐怖に顔を引きつらせた老司祭が立っていた。
「あ、あなたは……先ほどの……!」
老司祭がユートに気づき、駆け寄ってくる。その表情は安堵ではなく困惑に染まっていた。
「一体何が起きているのですか!? さっきまで酷かった堂内の熱気が引いたと思ったら、今度はあの笑い声……それに、このおぞましい気配は……!」
「地獄の底が抜けただけだ」
ユートは扉を親指で指し示す。叩かれる扉の隙間から、赤い花粉と「あはは……」といううわ言が漏れ聞こえてくる。
「気温が下がったことで、街中のバラが一斉に開花した。あの花粉を吸った者は、生きたままバラの苗床にされ、動く屍に変わる」
「な……屍、だと……?」
「外にいるのは、かつてお前たちの隣人だったモノだ。もう助からない」
聖堂内に悲鳴が上がる。涼しくなって助かったと思っていた彼らにとって、それは死刑宣告に等しかった。司祭はガタガタと震え、祭壇に縋り付く。
「神よ……我らをお見捨てになったのですか……!」
「祈っている暇があるなら、手を貸せ」
ユートは司祭の襟首を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「奴らは無限に湧いてくる。個別に倒してもキリがない。だが、奴らを操っている『親株』を叩けば、止まる可能性がある」
「お、親株……?」
「ああ。地脈の供給ラインが、この地下に集中している。案内しろ、地下墓所へ」
ユートの言葉に、司祭の顔色が変わった。
「な、なぜそれを……! あそこは歴代の王が眠る聖域! 何人たりとも立ち入りは……!」
「その聖域が、今や化け物の巣窟になっていると言っているんだ」
ユートは床を強く踏み鳴らす。
ドクン、と地下から響く魔力の鼓動は、明らかに自然のものではない。
「選べ。掟を守ってここで笑う死体になるのを待つか、俺を案内して生き残るか」
司祭は扉と、ユートと、そして怯える避難民たちを交互に見た。
外からは、扉を破壊しようとする衝撃音が激しさを増している。猶予はない。
「……こちらです。祭壇の裏に、隠し階段があります」
司祭は決意したように頷き、歩き出した。ユートはリズとシルフィに目配せし、その後を追う。
「行くぞ。この国の『根っこ』を断ち切りにな」




