第3話 巨人の檻、断罪の楔
空を覆うような巨大な影が落ちた。
魔王の丸太のような腕が、物理的な質量兵器となって振り下ろされる。
ドゴォォォォォォォン!!
大気が破裂する轟音と共に、魔王の拳が『天駆ける翼』の前方に展開された「広域遮断結界」に直撃した。
虹色の光壁が激しく波打ち、衝撃波が船体を軋ませる。
「くっ……!」
ユートとエリィは手すりにしがみつき、歯を食いしばって耐えた。
船内には赤色の警報ランプが点滅し、非常アラートが鳴り響く。
『衝撃感知。シールド耐久値、急激ニ減少。衝撃吸収限界デス』
オートマタの無機質な報告が、事態の深刻さを告げる。
魔法的な防御は完璧でも、圧倒的な質量による物理的な運動エネルギーまでは殺しきれない。船全体が悲鳴を上げ、高度が下がり始める。
「構わん!」
ユートは衝撃で切れた口端から垂れる血を乱暴に拭い、冷静に、かつ攻撃的な指示を飛ばした。
「推力反転! オートマタ、押し返せ! 『質量』で勝負するなら、負けてやるな!」
『了解。精霊炉・推力反転、最大出力』
ブオォォォォン!!
船のメインエンジンである精霊炉が唸りを上げ、青白い光を噴射した。
キィィィィン!!
自律制御された『天駆ける翼』が、空中で踏ん張るように姿勢制御スラスタを全開にし、魔王の拳を押し返すべく強引に前進を開始する。
ギギギ……ズズッ!
結界と拳が擦れ合い、火花のような魔光が散る。
古代の超技術が生み出す推力は、神話級の怪物の腕力すらも凌駕した。
「グ、オォォ……!?」
単純な力比べで負けるとは思っていなかったのか、魔王がバランスを崩してよろめく。
その一瞬の隙を、ユートは見逃さなかった。
◇
ユートはモニター越しに、地上へ呼びかけた。
「リリィ、今だ! 奴の機動力を奪え!」
「了解よ」
通信の向こうで、リリィが駆け出す気配がした。
だが、地上には魔王の唾液から生まれた無数の魔物が溢れている。
彼女が強力な氷結魔法を詠唱するには、数秒の、しかし致命的な隙が必要だ。
魔物たちはその隙を見逃さず、無防備な背中へ殺到する。
「キシャアアア!」
「させんッ!!」
絶叫と共に割り込んだのは、聖王騎士団長だった。
「怯むな! 我らは聖王の盾!」
団長が声を張り上げ、自らの体で魔物の爪を受け止める。
ガギンッ! 金属音が響き、火花が散る。
「彼女(希望)に指一本触れさせるな! 我らの命に代えても、道を開けろぉぉぉ!!」
「応ッ!!」
数百の騎士たちが一斉に盾を並べ、肉の壁を作った。
ガーゴイルの爪が、小鬼の牙が、騎士たちの鎧を削り、肉を裂く。
ザシュッ!
鮮血が舞い、何人かが吹き飛ばされる。だが、彼らは誰一人として悲鳴を上げず、一歩も下がらなかった。
自分たちが崩れれば、国を救おうとしている少女が死ぬ。その事実が、彼らを死兵に変えていた。
その背後、鉄壁の守りの中で、リリィは安心して魔力を練り上げることができた。
彼女は騎士たちの間をすり抜け、体勢を崩した巨人の足元へと滑り込む。
レイピアを逆手に持ち替え、渾身の力で地面に突き刺した。
「【氷界・絶対零度】」
パキィィィィィン!!
リリィを中心にして、世界が白く染まった。
極大の冷気が地脈を走り、地面から巨大な氷の棘が一斉に隆起する。
それは魔王の足首から膝までを覆い尽くし、極厚の氷塊となって地面ごと凍結・固定した。
◇
「ア、ガァァァッ!?」
足を大地に縫い付けられた魔王が藻掻く。
だが、リリィの命を削った氷は、魔王の馬鹿力でもすぐには砕けない。
その無様な姿を上空から見下ろし、ユートは冷徹にオートマタへ命じた。
「捕獲用兵装、パージ。……串刺しにしろ」
『照準固定。射出シマス』
ガション、ガション。
船の側部ハッチが展開し、四つの巨大な砲門が顔を覗かせる。
装填されているのは、城壁すら貫く長大な「杭」だ。
ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!
乾いた発射音と共に、自律照準された四本の杭が射出された。
それらは音速を超え、正確に魔王の両肩と両太腿を貫き、背後の地面や倒壊した建物に深々と突き刺さった。
「ギ、ギャアアアアッ!!」
魔王の絶叫が響く。
杭からは極太のワイヤーが伸び、船のウィンチがそれを強力に巻き取る。
「こいつは元々、この船に備えられていた、動き回る巨大生物を縫い止めておくための『ドラゴン・アンカー』だ」
ユートは氷のような目でモニターを見つめた。
「……まさか、魔王の手術台に使うことになるとはな」
ギリギリとワイヤーが張り詰め、魔王の巨体が強制的に引っ張られる。
両手両足を広げた「大の字」の状態で、魔王は瓦礫の上に張り付けにされた。
完全に無力化された神の姿がそこにあった。
「オ、オオオ……ッ!!」
◇
船は自動制御で高度を下げ、魔王の胸の高さでピタリとホバリングした。
「制圧確認。周辺の魔物もリリィたちが掃討しました。……いつでもいけます」
エリィの報告を聞き、ユートは深く息を吐いて頷いた。
彼はハッチを開け、強風が吹き荒れる船の外壁(甲板)へと歩み出た。
焦げ臭い風がローブをバタバタとはためかせる。
目の前には、杭に打たれて呻く巨大な魔王の顔がある。
その瞳は狂気に濁り、口からはまだ瘴気を吐き出している。
だが、ユートは怯まない。
彼の手元には、幾何学模様が複雑に絡み合う、青白い解析用の術式が展開されていた。
「……すぐに終わらせてやる」
これから行うのは戦闘ではない。
暴走するエネルギー炉――魔王という器からの、「強制分離手術(摘出)」である。
「さあ、ゲイルが埋め込んだ『汚物』を取り除く手術の時間だ」
ユートは氷のように冷たい声で宣告した。
「暴れるなよ。……麻酔は無しだ」




