第1話 傷だらけの目覚め
ピッ……ピッ……ピッ……。
無機質な電子音だけが、静まり返った部屋に響いていた。
天駆ける翼の医務室。
淡い青色の液体で満たされた治療ポッドの中で、ユートは数多の管に繋がれて眠っていた。
その胸には、痛々しい刺し傷の痕が残っている。
「……どうして」
ポッドの前で、少女の声が震えた。
ユートの妹、エリィだ。
彼女は振り返り、床に座らされている銀髪の少女――リリィを、冷徹な瞳で見下ろした。
「どうして、兄さんがあのような惨状に……。あんな大怪我を負っているの?」
「…………」
「答えなさい!」
エリィの怒声に、リリィは顔を伏せたまま、掠れた声で答えた。
「私が……刺しました」
パァァァン!!
乾いた音が室内に響いた。
エリィの手が、リリィの頬を思い切りひっぱたいたのだ。
リリィは抵抗せず、殴られた勢いのまま床に崩れた。彼女の両手は後ろ手に拘束されており、頬には赤い手形が浮き上がっている。
「……っ! よくも……よくも兄さんを!」
エリィは涙を溜めながら、憎しみを込めて叫んだ。
「兄さんが死んだら、あなたのせいよ!! 絶対に許さない……ッ!」
リリィは何も言い返さない。ただ床に額を擦り付け、嗚咽を漏らすことしかできなかった。
その言葉こそが、今の彼女自身が最も自分に言いたかった言葉だったからだ。
◇
プシュゥゥゥ……。
その時、治療ポッドのハッチが開く音がした。
保存液が排水され、管が外れる。
「……騒がしいな。頭に響く」
ユートが濡れた髪をかき上げながら、ゆっくりと半身を起こした。
胸の傷はまだズキズキと痛むが、意識ははっきりしている。
「兄さん!?」
エリィが慌てて駆け寄る。
「まだ治療は完全じゃないでしょう! 動いては――」
「大丈夫だ。それよりエリィ、その縄を解いてやれ」
ユートの視線は、床にうずくまるリリィに向けられていた。
「え……? で、でも、その女は兄さんを!」
「いいから」
ユートの静かな、しかし有無を言わせぬ声に、エリィは唇を噛んだ。
不服そうに、乱暴な手つきでリリィの拘束を解く。
「……殺してください」
自由になったリリィは、顔を上げようともしなかった。
「私は……貴方を裏切って、その胸を……。もう、合わせる顔がありません……」
「いい狙いだったと言っただろ」
ユートはベッドから降り、リリィの前にしゃがみ込んだ。
「刺される直前、俺が体をずらして心臓だけは外させた。ゲイルの目を欺くには、本当に刺される必要があったからな」
ユートはポンと、リリィの頭に手を置いた。
「あれは俺の判断だ。お前は強制されていただけだ。……気にするな」
「ですが……っ! 私は……!」
リリィの肩が震える。
たとえユートが自ら受けたとしても、刃を向けた事実に変わりはない。
「前の契約は、ゲイルによって強制的に解除された。……ここでお別れでもいい」
ユートは彼女の自由を尊重するように語りかけた。
「だが、俺はまだ戦う。あの馬鹿と外道を殴りに行く。……お前はどうする?」
リリィが涙を拭い、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、以前のような輝きはない。
あるのは、光の消えた、暗く重い決意の炎だった。
「……一緒に、いさせてください」
リリィはユートの手を強く握りしめた。
「もう二度と、あなたを傷つけさせません。……例え、他の誰を犠牲にしても」
それは以前のような、魔法による強制的な「主従契約」ではない。
彼女自身の魂が選んだ、狂気にも似た「共闘」の誓いだった。
◇
一方その頃。大陸中央、聖王国ソラリスの王都。
平和の象徴であった白亜の都は、今や阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
地下から這い出した全高五メートルの『黒い巨人(魔王)』が、獣のような咆哮を上げて暴れまわっている。
「撃てぇぇ! 悪魔を止めろぉ!」
聖王騎士団が一斉に魔法や矢を放つ。
だが、巨人の漆黒の皮膚には、傷一つ付かない。
巨人が腕を薙ぎ払う。 一拍遅れて、ドゴォォォォン!! という爆音と共に、街並みが消し飛んだ。瓦礫と共に、騎士たちがゴミのように舞う。
「ひぃぃ! 助けてくれぇ!」
「神よ……!」
民衆は逃げ惑い、絶望の悲鳴を上げる。
その「恐怖」と「絶望」の感情を吸い込み、巨人の体躯がズズズ……とさらに膨張していく。
暴走する神は、止まらない。
◇
『天駆ける翼』の医務室に、けたたましいアラートが鳴り響いた。
『エマージェンシー。大陸中央ニテ、測定不能ノ高魔力反応ヲ感知』
「……なんだ?」
ユートが顔を上げる。
『映像出シマス』
空中に展開されたモニターには、王都を焦土に変えようとしている黒い巨人の姿が映し出された。
「なんだ、あの巨人は……。あれが魔王だというのか」
ユートは舌打ちをした。
あの馬鹿勇者が、余計なことをした結果だ。
「病み上がりに、いきなり大仕事かよ」
ユートはいつものローブを手に取り、羽織った。ズキリ、と胸の傷が熱を持ったが、彼は顔色一つ変えずに無視した。その背中に迷いはなかった。
「兄さん、行くの?」
エリィが不安げに見つめる。
ユートは一度だけ頷き、リリィを見た。
「行くぞ。……全速で向かう。振り落とされるなよ」
「はい、ユート」
ユートたちはブリッジへと走る。
銀色の翼が唸りを上げ、燃え盛る王都へ向けて加速を開始した。




