第6話 深淵へのダイブ
勇者一行を乗せた骸骨機甲が空の彼方へ消え、周囲には風の音だけが残された。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、天空都市の屋上は静まり返っている。
ユートは未だ、傾きかけた天空都市を支えるため、身動きが取れずにいた。
彼の周囲を囲むのは、リリィが去り際に残した【氷絶の檻】だ。
ダイヤモンドダストのように輝く無数の氷の槍が、檻のようにユートを拘束している。
「…………」
ユートは表情を変えず、切っ先を喉元に突きつけている氷に、そっと指先で触れた。
ひやりとした冷たさが伝わってくる。
だが、そこには一切の殺意がなかった。
(……魔力構成が、攻撃用じゃない。防御用だ)
ユートは即座に術式を理解した。
この氷は、ユートを傷つけるためのものではない。
もしユートが感情に任せて機体を追撃すれば、支えているこの島は墜落し、数万の市民が死ぬ。
それを防ぐために――あえて彼を「守り、その場に閉じ込めた」のだ。
自分の自由と引き換えにしてでも、ユートに「人殺し」をさせないために。
「……馬鹿が」
ユートはギリッと奥歯を噛み締めた。
「俺が無理やり動いて、島を落とさないように……汚れ役を被ったのか」
それは、彼女なりの最期の忠義であり、あまりにも不器用な自己犠牲だった。
リリィの真意を悟り、ユートの瞳から感情の色が消える。
それは諦めではない。激情を極限まで圧縮した、冷徹な怒りだ。
「いいだろう。……まずは、お前が守ろうとしたこの場所を、完璧に直してやる」
◇
「……いつまでも人力で支えているわけにはいかないな」
ユートは淡々と最後の仕事に取り掛かった。
地面に突き刺したミスリル合金製の楔に、体内の魔力を注ぎ込む。
血管が浮き出るほどの負荷がかかるが、彼の目は揺るがない。
「座標固定完了。……縫い合わせるぞ」
ユートが虚空を鷲掴みにするように手を動かす。
世界そのものを掴み、引き寄せる動作。
「【界楔・空間溶接】」
バチバチバチバチッ!!
凄まじい音が響き渡った。
空間に走っていた見えない亀裂が、まるで巨大なジッパーを閉じるように、強制的に塞がれていく。
紫色の魔力の火花が散り、傾いていた重力場が、正常な位置へと強引に縫い付けられた。
物理的な支柱など必要ない。空間そのものを「固定」してしまえば、この島は二度と落ちない。
神の御業にも等しい、規格外の結界術。
「……ふぅ」
作業を終えたユートが手を離す。
島は微動だにしなかった。完全な安定を取り戻している。
ユートは目の前の氷の檻に指先を向けた。
パリンッ。
軽く弾いただけで、強固なはずの氷結結界が粉々に砕け散った。
氷の破片がキラキラと舞う中、ユートは外へと歩み出る。
「……完了だ。請求書は高くつくぞ」
◇
ユートは懐からギルドカードを取り出した。
ザスターの反応を探るが、示されるべき光点がない。
「遮断されたか。……だが、空でないなら、電波の届かない場所は一つしかない」
ユートは空へ向かって手を掲げた。
「来い、『天駆ける翼』!」
ズオォォォォォォォン!!
雲海が割れた。
光学迷彩を解いた銀色の古代飛行艇が、轟音と共に飛来する。
ユートは跳躍し、開かれたハッチへと飛び込んだ。
◇
コクピットへ滑り込むと同時に、オートマタの報告が響く。
『オ帰リナサイマセ、マスター。……リリィ様ノ反応、ロスト』
「ああ。連れ戻すぞ」
ユートは操縦席に座り、コンソールを操作した。
その手つきに迷いはない。
『熱源反応ノ消失地点ヲ特定。ソシテ魔王ノパーツ「手」ノ封印箇所ト照合……。目的地ハ北方海域、「嘆きの海」デアル確率、99.8%』
「海底遺跡か、あるいは深海都市か。……潜るぞ」
魔王の「手」は海にある。
そして通信が途絶えるほどの深度。
奴らは海底へ向かったのだ。
「全速だ。リリィが『向こう側』に完全に染まる前に、首根っこ掴んで引き戻す」
ユートの瞳に、青白い炎のような決意が宿る。
たとえ世界の果てだろうと、地獄の底だろうと、必ず追いかける。
『イエス・マイ・マスター。最大戦速ニ移行シマス』
ユートがスロットルを限界まで押し込む。
「行くぞッ!」
ドォォォォォォォォォン!!
大気を震わせる衝撃波が発生した。
水平に戻った天空都市を背景に、銀色の翼が反転する。
そして、遥か眼下の「海」へ向けて、流星のように一直線に急降下を開始した。
風を切り裂き、雲を突き破る。
目指すは、光の届かない絶望の深淵。
ユートの視線は、既に次なる戦場である海面を、鋭く睨みつけていた。




