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第3話 風の精霊使い

「――ねぇ、そこで何してるの?」


 その場違いに明るい声を聞いた瞬間、ユートの思考は凍りつき、次いで沸騰した。眼前に立つ、この焦熱地獄には似つかわしくない、日傘を優雅にさしたエルフの少女。長い耳をピコピコと動かし、背中には身の丈ほどもある長弓を背負っている。


 かつての仲間。そして、この地獄を地獄と認識できない、最も話の通じない相手。

 精霊使い、シルフィ・エヴァーグリーン。


「……シルフィ」


 ユートは懐の「楔」に手をかけ、ギリ、と歯を食いしばる。その顔を見れば、殺意を抑えきれる自信がない。


「やっと見つけた! もう、こんな暑いところで何してるのよ。かくれんぼ?」


 彼女は無邪気に笑う。その笑顔は、周囲に転がる住民の苦しみが見えていない証拠だ。ユートの脳裏に、毒ガスに沈んだ故郷の母の顔がよぎる。

 こいつらは、あの時もそうやって笑っていたのか。俺が絶望している間、こいつらは「良いことをした」と信じて、ヘラヘラと笑いながら旅をしていたのか。


 殺してやりたい。今ここで、その喉笛を食いちぎってやりたい。だが、ユートの目は、彼女の背負う「弓」に釘付けになっていた。エルフの弓術。そして彼女の持つ【風の加護】。


(……クソッ、落ち着け)


 ユートは激情を飲み込み、努めて冷淡な声を出す。まずは状況確認だ。もしザスター本人が近くにいれば、作戦どころではない。


「……なぜ、ここにいる。お前たちはもう出発したはずだろう」


 ギルドカードの光点は、すでに山脈の向こう、次のエリアへと移動を始めていたはずだ。


「ええ、ザスター様たちはもう先に行ったわよ。でも、風に乗って懐かしい匂いがしたから」


 シルフィは鼻を鳴らし、ユートへと歩み寄る。


「私、お腹ペコペコなのよ。新しい料理番の作るスープ、味が濃すぎて肌に悪いの。ねぇ、ユートさぁ、戻ってきてよ」


 悪びれもせず、彼女は言った。この国の惨状など眼中にない。彼女にとって重要なのは、自分の肌の調子と、好みの味付けのスープが飲めるかどうかだけ。

 ザスターたちを追いかけて先を急ぐでもなく、わざわざ戻ってきた理由が「食欲」とは。


(……救いようがないな)


 対話の余地はない。この女には、事態の深刻さを理解する知能も、他者を思いやる想像力も欠落しているが、その「欲望」は利用できる。


「……そうか。腹が減っているのか」

「ええ! だから早く戻って……って、なにユート、顔色が悪いわよ?」

「暑さのせいだ……。それより、お前に頼みがある」


 吐き気がする言葉を、ユートは絞り出す。

 ユートは頭上の空を指差す。そこには雲一つない青空が広がっているが、熱のドームが見えるユートには「崩落寸前の天井」に見えている。


「あそこの空が『曇っていて』気に食わないんだ。お前の弓で晴らしてくれないか」

「えー? 雲なんてないじゃない。……でも、ユートが頼むなんて珍しいわね」


 シルフィはニヤリと笑い、人差し指を立てた。


「いいわよ。やってあげる。……その代わり」

「……なんだ」

「終わったら、とびっきりのご飯を作ってくれる? もちろん、パーティに戻ってね!」


 交換条件。彼女に悪意はない。ただ純粋に、自分の欲望を満たすための取引だ。

 ユートは口元を歪めた。張り付いたような、冷たい笑みを無理やり作る。感情を殺せ。プライドを捨てろ。今は、この「話の通じない弓手」を利用する道具として扱え。


「……ああ、分かった。この仕事が終わったら、たっぷりと食わせてやる」


 嘘だ。だが、今の彼女を動かすには十分な餌だ。


「やった! 交渉成立ね!」


 シルフィは嬉しそうに弓を構える。無邪気なその態度は、ユートの神経を逆撫でする刃物だ。この高性能で、あまりにも愚かな道具を使うしか、道はない。


「頼む。……俺とお前の『共同作業セッション』だ」


                ◇


 ユートたちは大聖堂の影、直射日光を避けられる位置へと移動した。

 見上げれば、鐘楼の屋根は溶け落ち、暴走した『サン・クリスタル』がむき出しになって鎮座している。あそこから放たれる熱線が、空気を焼き、街をオーブンに変えている元凶だ。


「シルフィ、お前は真上の空を狙え。俺が合図したら、全力で撃ち上げるんだ」

「え? 空を撃つの? じゃあ、あのクリスタルは? 風で街の外まで吹き飛ばしちゃえばいいんじゃない?」


 シルフィが無邪気に提案する。

 だが、ユートは即座に首を横に振った。


「却下だ。そんなことをすれば、上昇気流の支えを失った冷たく重い空気が落下し、大規模なダウンバーストが発生する。この中央区一帯がペシャンコになるぞ」

「あ……そっか。ごめん、そこまで考えてなかった」


 シルフィが舌を出す。

 この「悪気はないが、被害への想像力が欠如している」点こそが、彼女たち勇者パーティの最大の欠陥だ。

 結界術で外壁に熱を放出させることも可能だが、横へは捨てられない。ならば、道は一つだ。


「処理は、ここから直上へ向けて行う。上空へ捨てて、対流圏上空へ排出する」

「りょーかい! 上なら誰にも当たらないもんね!」


 シルフィが弓を構え、天頂を見上げる。

 ユートは自身の足元に四本の楔を打ち込み、遠隔制御術式を展開する。狙うは塔の頂上、暴走する『サン・クリスタル』そのものだ。


「いくぞ。……俺がクリスタルから熱を引き剥がし、ここへ手繰り寄せる。それを撃ち上げろ」


 ユートは両手を掲げ、遥か頭上のクリスタルへ不可視のラインを接続する。


「展開・【選別結界ゼレクツィオーン】――対象定義、熱量カロリエン・ヴェルト


 ユートの指先が白熱する。

 次の瞬間、クリスタルが発していた赤熱の輝きが、ズルリと皮を剥ぐように引き抜かれた。

 物質としてのクリスタルはそのままに、そこに含まれる「熱エネルギー」だけを強制的に分離・抽出する。


「ぐぅ……ッ!」


 桁違いの負荷がユートの脳を襲う。

 太陽の欠片とも呼べる莫大なエネルギーを、遠隔操作で手元に手繰り寄せる行為だ。油断すれば、暴走した熱流が逆流し、ユート自身が一瞬で灰になる。


「展開・【固定結界フィクスィールング】――状態固定、赤熱グリューエンダー・プファイル!」


 ユートは抽出した純粋な熱塊のエントロピー増大を凍結し、物理的な「矢」の形状として世界に定義する。まだ足りない。このままでは、高密度に圧縮された熱源そのものだ。近づいただけでシルフィが炭化してしまう。


「積層・【選別結界ゼレクツィオーン】――熱伝導遮断ヴェルメ・イゾラツィオーン


 ユートは完成した「熱の矢」の表面に、ミクロン単位の断熱障壁をコーティングする。内側の数千度の熱を完全に閉じ込め、外側への熱干渉をゼロにする工程。これでやっと、それは人が扱える「矢」となる。


「受け取れ……! 持っていけ!」


 ユートは脂汗を流しながら、断熱処理を終えた「熱の矢」をシルフィの目の前へ浮遊させる。見た目は燃え盛る太陽の欠片だ。シルフィは一瞬身構えたが、恐る恐る手を伸ばし――目を丸くした。


「え……? 全然、熱くない?」

「完璧に断熱した。だが中身はとんでもないシロモノだ」


 シルフィはそれをひょいと掴み、手慣れた動作で弓につがえた。


「いくわよ……!」


 シルフィの纏う空気が変わる。無邪気な少女の顔から、精霊に愛された狩人の顔へ。彼女が唇を紡ぐ。それは、勇者パーティを支えてきた、本物の【風の加護】の詠唱。


『――うたえ、自由なる緑の旋風ジェイド・ストーム


 ヒュオオオオ……!

 熱波で淀んでいた大気が、彼女を中心に渦を巻く。

 ユートが必死に維持する論理的な結界術と、シルフィの天才的な感覚による精霊魔法。最悪の相性にして、最強の組み合わせ。


『彼方へ届く翼を、大気の脈動を、この矢に授けて――穿て!』


 放たれた矢は、一陣の緑の流星となって空を裂き、一直線に天頂へと吸い込まれていく。

 だが、撃って終わりではない。ユートの仕事はここからが本番だ。


「高度上昇……三千……八千……まだだ……」


 ユートは空を見上げ、矢に施したマーキング術式を通じて高度を計測する。早すぎれば熱波が地上へ逆流し、遅すぎれば制御圏外へ逸脱する。目指すのは、雲すら発生しない対流圏の最上層。


「……今だ。術式・【破棄アプブルッフ】」


 ユートが指を弾く。遥か上空、豆粒ほどに見えなくなっていた緑の光の中で、矢を覆っていた「断熱の殻」が弾け飛んだ。

 瞬間、解放された熱エネルギーが、気圧差によって爆発的に膨張する。


 ドォォォォン……!


 まるで空に巨大な花火が咲いたかのように、紅蓮の炎が広がり、そして上空の風に乗って拡散し、消えていった。


「たーまやー! ……って、ユート! 顔色が真っ青よ!?」

「気にするな……次だ! 休むな!」


 ユートは口端から溢れる血を拭いもせず叫ぶ。

 脳が焼き切れそうだ。クリスタルからの熱抽出、形状の固定、断熱、そして高度計算と起爆のタイミング。これら全てを、シルフィの連射速度に合わせてリアルタイムで処理し続ける。


(俺の命なんざどうでもいい……この国を、二度目の墓標にはさせない……!)


 十射、二十射。

 シルフィが無邪気に矢を放つたび、クリスタルの輝きが物理的に削ぎ落とされていく。

 加害者は無傷で笑い、被害者が血を流してそれを支える。なんという理不尽、なんという地獄。


「ラストだ……持っていけぇっ!」

「了解! これでぇ……最後ぉっ!」


 最後の一射が、空の彼方へ吸い込まれた。同時に、強烈だった「第二の太陽」の輝きが、完全に消失する。熱源そのものを引き抜かれたクリスタルは沈黙し、単なる石ころへと戻った。


 殺人的な熱波が、引いていく。

 だが、すぐに「涼しく」なるわけではない。残ったのは、サウナの残り火のような、ネットリとした生温かい空気だ。


「ふぅー! いい運動になったわ!」


 シルフィは汗一つかいていない涼しい顔で、弓を回してポーズを決める。


「ねぇ見てユート! 日差しが弱くなったわよ。やっぱり私の風のおかげね!」

「……ああ、そうだな」


 ユートは震える手を袖の中に隠し、壁に手をついて身体を支える。喉まで出かかった「誰のおかげだと思っている」という言葉を飲み込む。言っても無駄だ。彼女には理解できない。

 ただ、結果だけは残った。ダウンバーストは防がれ、街は守られた。


「お腹空いちゃった。ねぇユート、約束通りご飯作ってよ」

「……後でな。少し、休ませろ」


 ユートはその場に座り込む。終わった。そう思った。

 だが、この「生温かさ」こそが、次なるトリガーだった。

 ゾワリ、と。ユートの背筋に悪寒が走る。結界師としての感知能力が、街全体から発せられる「異質な魔力反応」を捉えたのだ。


「……なんだ、この反応は?」


 広場を見る。直射日光は消えた。だが、噴水の周囲を埋め尽くしていた深紅の薔薇バラたちが、この「湿った生温かさ」に反応し、一斉に震え始めたのだ。

 枯れるのではない。まるで「最適な培養環境になった」と歓喜するように、その蕾を極限まで開き始めた。


「まさか……この薔薇バラ、適温になると急激に成長するのか……!?」


 ゲイルの悪趣味な設計思想が、最悪の形で裏目に出る。灼熱では活動を停止していた深紅の薔薇バラが、環境が良くなったことで花粉を周囲にばらまき始めたのだ。

 その時。


「ユート、あれ見て。……なんか、人が起きてきたわよ?」


 シルフィが不思議そうに広場を指差す。路地裏や建物の陰で倒れていた人々が、赤い花粉を吸い込み、ふらふらと立ち上がり始めていた。

 彼らは一様に、満面の笑みを浮かべている。


「あはは……幸せだ……勇者様……万歳……」


 一人が笑うと、隣の人間も笑う。

 熱波の地獄は去った。代わりに訪れたのは、強制的な幸福が支配する、狂気の花園だった。

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