第5話 氷の決別
浮遊魔法のバランスが崩れ、巨大な天空都市『ビルデング』がゆっくりと傾き始めていた。
悲鳴を上げ、滑り落ちていく市民たち。
その崩壊を止めたのは、たった一人の男だった。
「くっ……! これ以上、落とさせるかよ!」
ユートは都市の基盤となる岩盤へ、懐から取り出したミスリル合金製の楔を全力で打ち込んだ。
「【界楔・座標固定】」
ドォォォォン!!
空間そのものを縫い留める轟音が響く。
傾きかけていた島が、見えない力に掴まれたように急停止し、ゆっくりと水平へと戻された。
数千万トンを超える質量を、ユート一人の魔力と結界技術で支えているのだ。
「はぁ……はぁ……!」
ユートの額から滝のような汗が流れる。
島全体を支えているため、彼はその場から一歩も動けない。
(リリィ、頼む……! あいつらを止めてくれ!)
◇
中央塔の最上階。
リリィはレイピアを抜き、氷の足場を作って高速で駆け上がっていた。
その行く手を阻むように、賢者ゲイルが立ちはだかる。
「そこをどきなさい!」
リリィの鋭い刺突。
だが、ゲイルは杖を軽く振るうだけで防ぎ、余裕の笑みを浮かべた。
「おや、その剣筋……やはりイス国の王女殿下じゃな。懐かしいのう」
「なっ……!?」
「国王夫妻の魂は、今もワシの手元にあるぞ」
ゲイルが懐から取り出したのは、二つの淡い光を放つ宝玉だった。
そこから、リリィにとって忘れられない懐かしい気配が漂ってくる。
「父様? 母様……?」
リリィの動きが止まる。
その隙を、老賢者は見逃さなかった。
「おやおや、苦しそうじゃな。……強力な『主従契約』が刻まれておるようじゃ。本心ではワシと取引したいのに、体がいうことを聞かんか」
「くっ……!」
リリィは唇を噛んだ。ユートへの契約が、攻撃を命じている。だが、両親の魂を前に剣が振るえない。
「ワシがその『鎖(契約)』を解いてやろう」
ゲイルの杖から、紫色のドス黒い魔力が放たれた。
それはリリィの胸を貫き、絡みついていた契約の鎖を、無造作に鷲掴みにした。
「が、はっ……!?」
リリィが苦悶の声を漏らす。
魂の深淵に他人の汚れた手が入ってくる感覚。
ゲイルは愉悦に歪んだ笑みを浮かべ、杖を一気に引き抜いた。
「破砕」
バキィィィィンッ!!
リリィの体内で、何かが砕け散る音がした。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
リリィは絶叫し、胸を掻きむしるようにしてその場に崩れ落ちた。
心を引き裂かれるような激痛。
そして何より、魂を温かく満たしていたユートとの『繋がり』が消滅し、内側から凍えるような喪失感が襲う。
「マ、マスター……いや……嫌ぁ……」
「これでオヌシは自由じゃ。さあ、選ぶがよい」
ゲイルは冷酷に見下ろした。
「このままワシを殺して、両親の魂を消滅させるか……それとも、ワシの『忠実な下僕』として同行するか」
◇
その時、天井を突き破って勇者が飛び込んできた。
『観客(生贄)がいないなら、俺が一番乗りで特等席(封印)を温めてやる!』
ザスターは大音量のギターソロをかき鳴らした。
物理的衝撃波となった音が、部屋の中央に鎮座していた封印の石碑を粉々に打ち砕く。
パァァァン!!
中から溢れ出したのは、強烈な瘴気と、巨大な角の生えた『魔王の頭部』だった。
ゲイルは即座に杖を振るい、骸骨機甲を呼び寄せ、魔王の頭部を誘導する。
「取り込め! 骸骨機甲!」
ガシャン! ギュイイイン!
機体の頭部パーツが変形し、魔王の頭部と融合。禍々しい二本の角が生え、機体全体がどす黒く染まっていく。
「素晴らしい。ザスター様。これでこの国は、生贄に悩まされることはなくなりましたぞ」
「フォフォ、我々のツアーバスもグレードアップ完了じゃ」
『最高だ! エフェクターの効きが違うぜ! 次の会場へ移動だ!』
ザスターは上機嫌でスラスターを点火させた。
◇
島を支えるユートは、遠くの塔から溢れる瘴気を感じ取り、目を見開いた。
胸の奥で、確かな温もりがプツリと途絶えたのだ。
「(契約が……切れた? リリィの反応が消えただと?)」
念話を飛ばすが、繋がらない。虚無が返ってくるだけだ。
直後、崩壊する塔から、禍々しく変貌したザスターの機体が飛び立った。
その肩にはゲイルが立ち、そして……うつむいたリリィの姿があった。
「リリィ! 戻れ!!」
ユートが叫んだ瞬間、リリィがゆっくりとこちらを向いた。
彼女は泣き笑いのような、悲痛な表情でレイピアを振るった。
「【氷絶の檻】」
ザシュッ!
無数の氷の槍がユートの周囲を囲み、彼を「守る」と同時に、その場に「拘束」した。
島を支える彼が動けば、都市が落ちる。それを分かった上での魔法だ。
『……さようなら、優しい私のマスター』
その言葉は風にかき消され、勇者一行を乗せた機体は空の彼方へ消え去った。
◇
ユートが固定した浮遊ビルの屋上では、一人の少女が取り残されていた。
女神官アリスだ。
普通の神官である彼女は、ザスターの超人的なパルクールについて行けず、息を切らせてへたり込んでいたのだ。
「ああっ! 行ってしまわれましたわ……!」
遠ざかる機体を見上げ、彼女は叫んだ。
しかし、悲壮感はない。
「次のツアー会場へ向かったのですね! 私はここで、この素晴らしいライブの伝説を語り継ぎますわー!」
彼女は一人、去りゆく機体にペンライトを振り続けた。
完全に置いていかれたことに気づくのは、もう少し先の話だ。
◇
一方、空を飛ぶ骸骨機体の中。
コクピットでは、凄まじいGと衝撃で気絶していた戦士ブラウンが、うめき声を上げて目を覚ました。
「うう……酷い目にあった……。おい、どうなったんだ?」
目を開けたブラウンは絶句した。
コクピットの内装が、ドス黒い血管のようなパイプで覆われ、脈打っている。
「ひいぃぃ!? なんだこの悪趣味な内装は!? 悪の秘密基地かよ!」
さらに、狭い座席を見渡して凍りつく。
運転席にはノリノリのザスター。
助手席には、悪徳プロデューサーのような顔で座るゲイル。
そして、後部座席の自分の隣に――見たことのない銀髪の少女が、膝を抱えて泣いていた。
「……え? 誰?」
ブラウンは、泣いている少女と、邪悪に笑うゲイルを交互に見た。
どう見ても「無理やり連れてこられた」状況だ。
『目覚めたかブラウン! 新メンバーのコーラス担当だ! 仲良くしてやれよ!』
ザスターの能天気な声が響く。
「誰だよこの子!? 泣いてるじゃねぇか!」
「フォフォフォ、勇者様の下に来られて嬉し泣きじゃよ。……そうじゃろ? リリィ」
ゲイルが冷たい視線を向けると、少女は震えながら答えた。
「……はい。嬉しい、です」
ブラウンの魂の叫びを乗せて、魔王の一部と融合した勇者一行は、次の目的地へ飛び去っていく。
島を支え続けるユートは、その機影が見えなくなるまで、歯を食いしばって見送るしかなかった。
奪われた仲間。嘲笑う賢者。
「……必ず、取り戻す」




