第1話 セッション・オブ・ディザスター
パリンッ……!
乾いた破砕音と共に、封印の要石が粉々に弾け飛んだ直後のことだ。
砕けた石碑の台座から、ドス黒い瘴気が噴水のように噴き出した。
それは瞬く間に広がり、地下空洞の天井を覆い、観客席へと降り注ぐ。
吸い込んだモグラ族たちが、喉をかきむしり、泡を吹いて倒れていく。
「ごふっ……毒……じゃ……」
「長老ぉぉ! ごふっ……」
次々と倒れる住民たち。
しかし、ステージ上のザスターは、「聖なる加護」によってあらゆる状態異常を無効化されているため、その霧の正体に気づかない。
彼は紫色の霧の中で、恍惚とした表情を浮かべた。
「すげえ! スモークの演出まで仕込んであったのか!」
ザスターは深く息を吸い込んだ。
「喉に絡みつくようなヘヴィな空気……最高にロックだぜ! 視界を奪う闇、これぞ地下ライブの醍醐味ってもんだ!」
「神々しい……! 闇を恐れぬ勇者様のお姿、後光が差しております!」
アリスもまた、トランス状態でタンバリンを叩きながら賛美する。
そんな狂乱の中、瘴気の奥底から「それ」は現れた。
ズズズズズズ……ッ!
地面が隆起し、巨大な影がせり上がる。
現れたのは、小山ほどもある巨大な黒い「足」だった。
かつて世界を恐怖に陥れた魔王の一部。その肉体が、封印から解き放たれ、実体化したのだ。
それに呼応するように、瘴気の中から無数の異形の魔物たちが這い出してくる。
「ヒィッ……あ、悪魔じゃ……伝説の悪魔の復活じゃ……!」
長老が絶望の声を上げる。
だが、ザスターは目を輝かせてマイクを握り直した。
「おおっ! 封印の中からサプライズゲストの登場だ! 演出が凝ってるなゲイル! まさか魔物の着ぐるみまで用意してるとは!」
ステージの袖、崩れかけた岩陰に隠れていた老賢者ゲイルは、混乱の中で密かに口元を歪めた。
封印は完全に破壊された。魔王の足は活性化し、周囲の魔物たちも殺気立っている。
この地下帝国は、あと数分で地図から消滅するだろう。
(魔王様、素晴らしい。これなら地下帝国ごと叩き潰せる……!)
◇
復活した『魔王の足』は、己の眠りを妨げた不快な騒音源――目の前の光るステージを叩き潰そうと、巨大な足を振り上げた。
ヒュゥゥゥ……
数万トンの質量が、空気を切り裂いて落下してくる。
ズドォォォォォォン!!
凄まじい地団駄。
直撃こそしなかったものの、着地の衝撃波だけでステージが大きく傾き、地面が波打った。
普通の人間なら衝撃で内臓が破裂するところだが、ザスターは超人的な身体能力でそれを「ステップ」に変えた。
「ハハッ! いいベース音だ! 重低音が腹に響くぜ!」
ザスターは空中に跳ね上がり、ギターソロを弾き始める。
「お前、あんな巨体でなかなかいいリズム刻むじゃねえか! 俺とセッションしたいのか! オーケー、受けて立つぜ!」
殺意に満ちた攻撃すら「ダンス」や「ビート」と解釈するポジティブさが、事態を悪化させる。
そこへ、瘴気から生まれた小型の魔物たち――鋭い爪と牙を持つガーゴイルの群れが殺到した。
「ギシャアアアアッ!」
殺意を剥き出しにして、ステージ上のザスターに飛びかかる。
だが、ザスターはマイクスタンドを蹴り飛ばし、満面の笑みで叫んだ。
「おっと! 最前列のファンが興奮してステージに上がってきたな!? 熱い、熱いぜお前ら!」
ザスターは魔物に向かって手を伸ばした――わけではない。
彼は、オリハルコン製の魔剣を改造したギターのネックを、フルスイングで振り抜いたのだ。
「ハイタァァァァッチ!!」
バチィィィン!! グシャァッ!!
ハイタッチのつもりで振るわれた一撃が、先頭のガーゴイルの頭蓋骨を粉砕した。
脳漿と鮮血が花火のように飛び散る。
後続の魔物たちも、ギターの返しの刃で胴体を両断され、肉片となって客席へ吹き飛んだ。
「熱いハート(物理)を受け取ったぜ! すげぇ、赤い塗料まで飛び出すギミックか!」
「勇者様の愛が伝わりましたね!」
「うす、ドラムソロ行きます」
ドコドコドコドコドコ!!!
飛び散る内臓と血の雨を浴びながら、ザスターは熱唱し、アリスは祈り、ブラウンは無心でドラムを叩く。
狂気。完全なる狂気だ。
ザスターが「ペイント弾」だと思っているそれは、魔物たちの本物の血であり、弾かれた衝撃波は流れ弾となって、逃げ惑うモグラ族の住居を次々と破壊していく。
ガラガラガラ……ッ!
住居が崩れ、悲鳴が上がる。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
だが、ステージ上の勇者たちには、それが「熱狂して暴れる観客」にしか見えていなかった。
「最高だ! 地下帝国バンザイ! もっと壊せ(ブレイク)! 日常を破壊しろぉぉ!」
◇
暴れる魔王の足による振動。
勇者の演奏による音圧衝撃波。
そしてブラウンの地盤破壊ドラム。
三つの破壊力が閉鎖空間で衝突し、ついに地下空洞を支える限界点を超えた。
バキバキバキッ……! ミシミシッ……!
不吉な音が響き渡る。
空洞全体を支えていた巨大な岩の支柱に、致命的な亀裂が入ったのだ。
「あ……ああ……」
長老が空を見上げた。
天井が、落ちてくる。
ズゴゴゴゴゴ……!!
支えを失った数億トンの岩盤が崩落を始めた。
家ほどの大きさの岩塊が、逃げ遅れたモグラ族の避難民たちへ、雨のように降り注ぐ。
「もうダメじゃ……私たちの国は、終わりじゃ……」
長老が絶望に崩れ落ちる。
逃げ場はない。
勇者という名の災害によって、彼らの平和な国は、歌と踊りと共に圧死するのだ。
誰もが目を瞑り、終わりを覚悟した――その時だった。
ズドォォォォォォン!!
地下帝国の天井――さらにその上の、分厚い地盤が真上から貫かれた。
「な、なんじゃ!?」
崩落とは違う、指向性を持った爆発音。
騒音と熱気が渦巻く中、天井に空いた大穴から、「スンッ……」と静寂を纏ったような白い光が降り注いだ。
それは幾何学的なラインを描きながら、落下してくる瓦礫の群れと、モグラ族たちの間に割り込んだ。
「【多重防護円・平面展開】」
冷徹な声と共に、空中に巨大な「光の板」が出現した。
完璧な正方形を描くその障壁は、物理法則を無視した強度で岩塊を受け止める。
ドォォォン!!
数千トンの岩が激突したにもかかわらず、光の板はヒビ一つ入らず、微動だにしなかった。
ピタリと静止した瓦礫。
訪れた一瞬の静寂。
土煙が舞う中、開いた天井の穴から、一人の青年が音もなく着地する。
その背後には、優雅に扇子を構えた美しい女性の姿もあった。
◇
ユートは土煙を手で払い、周囲を見渡した。
まず気づいたのは、空間に充満する猛毒の瘴気だ。
「……空気が悪いな」
ユートは即座に指を鳴らした。
「【多重結界・毒素遮断】」
瞬時に、ユートとリリィ、そして瓦礫の下で苦しむモグラ族たちを包むように、薄緑色の結界が展開された。
結界内から瘴気が弾き出され、清浄な空気が戻る。
呼吸を取り戻した住民たちが、ゴホゴホと咳き込みながらも安堵の表情を浮かべるのを確認し、ユートは視線をステージへ向けた。
その瞳に映ったのは、想像を絶する光景だった。
目の前には、暴れまわる巨大な魔物の足。
崩壊寸前の地下都市。
そして――それらを背に、「ヘイヘイヘイ! もっと盛り上がっていこうぜ!」と煽りながら、血まみれの魔物を相手に歌い続ける馬鹿(勇者)の姿。
「……はぁ」
ユートは深く、重いため息をついた。
オートマタが感知した「大規模な地殻変動」。
自然災害か、あるいは古代兵器の暴走かと警戒して急行してみれば、この有様だ。
「……地殻変動の予兆があるとは聞いたが」
ユートは冷徹な瞳で、ステージ上の元リーダーを睨み据えた。
「まさか、ただの『人災』だとはな」
ユートの全身から、静かな怒りの魔力が立ち昇る。
彼は隣に立つリリィに指示を飛ばした。
「リリィ、避難誘導だ。住民を守れ」
「承知いたしましたわ。……あの騒々しい方々は?」
「俺が黙らせる」
リリィが優雅に動き出すのを確認し、ユートは一歩を踏み出した。
右手に、圧縮された結界の魔力を収束させる。
「止めるぞ。……強制終了だ」




