第13話 受け継がれる風
ふわり、と。
意識の浮上と共に、後頭部に柔らかく温かい感触を感じた。
鼻をくすぐるのは、森の木漏れ日のような優しい香り。
「……ん」
ユートが重いまぶたを持ち上げると、視界いっぱいに黄金色が広がっていた。
それは、シルフィの美しい金髪だった。
彼女はユートの顔を覗き込み、心配そうに眉を下げていた。
「あ、起きた……! よかったぁ……!」
シルフィの瞳に涙が膜を張る。
どうやら、彼女の膝の上で寝かされていたらしい。場所は『天駆ける翼』の休憩室のようだ。
「……俺は、どのくらい寝てた?」
「丸一日よ。魔力枯渇で倒れるなんて、無茶しすぎ」
「面目ない。……だが、悪くないな」
ユートは膝の感触を確かめるように、少しだけ頭を動かした。
「え?」
「この膝枕のことだ。……最高の寝心地だった」
「もう! ばか!」
シルフィは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに視線を逸らした。
その反応に、ユートは小さく笑った。
穏やかだ。あの怒涛のような騒動が嘘のように、静かな時間が流れている。
◇
体調を回復させたユートは、シルフィと共に甲板へ出た。
そこにはリリィもいた。
妹のエリィはまだ消耗が激しく、医務室のポッドで深い眠りについている。
ユートは眼下を見下ろした。
南部の荒野は、ヴォルグの強制労働によって瑞々しい若木で覆われつつある。
だが、それ以外の広大な森には、未だに戦火の爪痕と、淀んだ瘴気が残っていた。
「さて、残りの仕事も片付けるか」
「でもユート、まだ魔力が戻りきってないでしょう?」
心配するシルフィに、ユートは首を振った。
「ああ。だから俺は『枠組み』を作るだけだ。……中身は四大精霊、お前たちがやってくれ」
ユートが呼びかけると、四大精霊たちが実体化して現れた。
『おう、任せな! 俺たちの庭を綺麗にするんだ、魔力ならいくらでも出してやるぜ!』
精霊たちはやる気満々だ。
彼らは自然界そのもの。ユート個人の魔力とは桁が違う、無尽蔵のエネルギーを持っている。
「よし。森全体を覆う【浄化結界】を展開したいが……俺はよそ者だ。この森の正確な『境界線』を知らない」
『ああ、そういやそうだったな』
「俺が適当にやれば、浄化しなくていい場所まで巻き込むか、あるいは浄化漏れが出る。……だから、範囲の指定はお前たちに任せる」
ユートが両手を広げ、複雑な魔法陣を空中に描く。
それはあくまで魔力を流すための「回路」であり、彼自身の消費魔力は最小限だ。
「精霊たちよ、お前たちの思う『守るべき領域』を示せ!」
『了解!』
精霊たちが、結界の術式に直接干渉し、森の輪郭をなぞるように座標を指定していく。
正確無比な境界線が定義され、そこに彼らの膨大な魔力が注ぎ込まれた。
「【広域浄化結界・全域展開】!」
ドォォォォォ……!
回路を通じて増幅された精霊の力が、虹色の波紋となって森全土へ広がっていく。
光が通過した場所から、黒い瘴気が霧散し、淀んだ空気が清浄なものへと書き換わっていく。
焼けた木々の炭化が止まり、その根元から小さな芽が顔を出す。
「すごい……森が、息を吹き返していく……」
シルフィが感嘆の声を漏らす。
数分後、森から不快な気配は完全に消え去っていた。
「これで瘴気は収まった。……あとは、時間をかけて育てていけばいい」
「焼けた木々の補充は?」
「ああ、それは彼に任せよう」
ユートが指差した先のモニターには、南部の端で必死に鍬を振るうヴォルグの姿が映っていた。
指輪の呪いにより、彼は休むことなく植林を続けている。
「一生かけて償わせるさ」
◇
作業が一段落した夕暮れ時。
再生した森を見下ろす丘の上に、ユートとシルフィの二人は並んで立っていた。
風が、シルフィの長い金髪を揺らす。
「……ねえ、ユート」
「ん?」
シルフィは森を見つめたまま、ぽつりと切り出した。
「風の氏族長は……父様が亡くなって、空席のまま」
「ああ、そうだな」
「他の氏族も混乱してる。……誰かが立って、導かないといけないの」
彼女はゆっくりとユートの方を向いた。
その瞳には、かつてのような迷いはもうない。
「私ね、決めたの。……お父様の後を継いで、風の氏族長になる」
それは、ユートとの旅の終わりを意味していた。
彼女は冒険者として自由に空を駆けることよりも、地に足をつけて民を守る道を選んだのだ。
「もう、あなたの隣には立てない。……だから」
決別の言葉と共に、シルフィは懐からナイフを取り出した。
自分の長く美しい金髪を掴む――
ザクッ、と。
躊躇なく、刃を入れた。
風に乗って、金色の房がキラキラと舞い散る。
露わになったのは、白く華奢な首筋と、凛々しく変貌した彼女の姿だった。
「……どうかな? 変?」
少し不安そうに首を傾げるシルフィ。
ユートは目を細め、優しく微笑んだ。
「いや。……すごく、似合ってるよ」
その言葉に、シルフィは晴れやかに笑った。
「ふふっ、ありがと!」
彼女は一歩近づき、ユートの服の裾をギュッと握りしめた。
震える声で、最後の願いを口にする。
「あいつを……あの勇者を、絶対止めて。これ以上、悲しい思いをする人が出ないように」
「ああ。約束する」
「それと……」
シルフィが顔を上げる。
夕日を背にした彼女の瞳が、潤んでいる。
「最後に、挫けないための勇気が欲しいの」
彼女は背伸びをした。
触れ合う唇。
それは長く、甘く、そして涙の味がする、別れの口づけだった。
◇
出発の朝。
『天駆ける翼』の前には、見送りの人々が集まっていた。
本来の美しい姿に戻った水の氏族長ルル。
解放された地の大男、バガンが豪快に酒を飲んで笑っている。
遠くの畑では、ヴォルグが死んだような目で苗木を植えていた。
そして、先頭には短い髪を風になびかせた、風の氏族長シルフィ。
「ユート、本当にありがとう。……あなたが直してくれたこの森を、今度は私たちが守っていく」
「ああ。頼んだぞ」
ユートは頷き、タラップに足をかけた。
シルフィは隣に立つリリィに向き直った。
「リリィ。……ユートの隣、お願いね」
「ええ。任されましたわ」
リリィは扇子を閉じ、真剣な表情で頷いた。
かつて恋敵だった二人の間に、言葉以上の信頼が交わされる。
「またいつか、必ず会いに来てね! その時はもっといい女になってるから!」
シルフィが大きく手を振る。
ユートも振り返り、片手を上げて応えた。
「出航!」
ドォォォォォ……!
リヒト・フリューゲルが重力を振り切り、空へと舞い上がる。
眼下で手を振るシルフィたちの姿が、次第に小さくなっていく。
再生した緑の森が、宝石のように輝いていた。
「……行くぞ」
ユートは感傷を振り切るように前を向いた。
森は守った。だが、元凶である勇者ザスターは、まだ世界を「救済」し続けている。
「次の目的地は?」
「西方デス。大規模ナ地殻変動ノ予兆ヲ感知シマシタ」
オートマタの報告に、ユートは目を細めた。
きっとそこにも、勇者の「善意」による被害者がいるはずだ。
「全速前進。……待っていろ、ザスター」
白銀の翼が、雲を切り裂いて彼方へと消えていく。
【第3章 完結】
精霊の森を救い、シルフィの成長も見届けたユートたち。 次なる4章では、大規模な異変に立ち向かうことになります。
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