第9話 兄妹の再会、天駆ける翼
ゼファーから託された『碧色の鍵』は、まるで意思を持っているかのように淡い光を放ち、森の「中心」を指し示していた。
ユートとリリィはその導きに従い、瘴気の森を駆け抜ける。
やがて辿り着いたのは、何の変哲もない巨木の密集地帯だった。
一見するとただの藪だが、鍵が激しく明滅している。
「ここが、入り口か」
ユートが鍵をかざすと、風景が揺らいだ。
木々のカモフラージュが解け、地面に複雑な幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。
それは鍵を持つ者だけを受け入れる、聖域への扉だった。
「行きますわよ、マスター」
「ああ」
光が二人を包み込み、視界が白く染まった。
◇
転移した先は、静謐な地下空間だった。
天井からは柔らかい光苔の明かりが降り注ぎ、地上では絶滅した古代の花々が咲き乱れる庭園が広がっている。
だが、その美しい光景とは裏腹に、空気は針のように張り詰めていた。
『立ち去れ……』
『あの子に……近づけるな……』
どこからともなく、警戒心に満ちた複数の声が響く。
「……鍵を持っているのに拒絶されるだと?」
ユートが眉をひそめると、リリィが扇子で庭園の奥を指し示した。
「マスター、あちらをご覧になって。……巨大な魔力の結晶体がありますわ。あの中に、誰かいます」
庭園の中央に、青白く輝く巨大な結晶が鎮座していた。
その内部に閉じ込められるようにして、一人の少女が眠っている。
ボロボロの服に、痩せこけた体。だが、その面影は間違いない。
「……エリィ!」
ユートが駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
『守る……あの子を……』
『傷つける敵は……排除する!』
ゴオオオオッ!
空間が歪み、四色の強大な魔力が実体化した。
火、水、風、地。四大精霊の分体だ。だが、その瞳は混濁し、理性を失っているように見える。
「くっ、守護本能が暴走しているのか!?」
リリィが氷の剣を構えるが、ユートは精霊たちが放つ「殺気」の質に違和感を覚えた。
それは単なる敵意ではない。「怖い」「来ないで」「殺される」という、悲鳴のような拒絶だ。
(獣人の少年は言っていた。エリィは襲撃から逃がすために囮になったと……)
(この拒絶反応は、あいつが抱え込んだ恐怖そのものか……!)
精霊たちは、逃げ込んできたエリィの「怯え」に過剰反応し、近づく者すべてを排除しようとしているのだ。
◇
『排除対象ヲ確認……』
『対象ノ記憶データヨリ、最モ信頼スル姿……あるいは最モ恐レル姿ヲ模倣シテ殲滅スル』
無機質な声と共に、精霊たちが形を変える。
現れたのは、4人の「エリィ」だった。
「なっ……」
【火のエリィ】が激情のままに爆炎を纏う。
【風のエリィ】が目にも止まらぬ速さで刃を振るう。
【水のエリィ】が氷の檻を展開し、
【地のエリィ】が鉄壁の守りで道を塞ぐ。
「マスターの妹さんの姿……戦いにくいですわね」
リリィが苦渋の表情を浮かべる。
ユートも歯噛みした。たとえ偽物でも、妹の顔をした相手に本気の攻撃などできるはずがない。
「排除……排除ォッ!!」
4人のエリィが一斉に襲いかかってくる。
爆炎がユートを焼き、風の刃が頬を切り裂く。
「くぅっ……!」
ユートは防御結界を展開するが、防戦一方だ。
攻撃の密度が濃すぎる上に、精霊の力は強大だ。結界にヒビが入る。
「マスター! 反撃を!」
「……いや、だめだ!」
ユートは叫んだ。
【解析】すれば分かる。あの攻撃の一つ一つが、エリィの「助けて」という叫びだ。
それを力でねじ伏せれば、彼女の心は完全に閉ざされてしまう。
(受け止めるしかない……すべての恐怖を、俺が!)
ユートは防御の構えを解き、一歩前へ踏み出した。
「【全方位結界・慈愛】」
カァァァァッ……!
展開されたのは、攻撃を弾くための硬い壁ではない。
彼自身の魔力を薄く広げ、相手の魔力を中和・吸収する特殊な結界だ。
当然、負荷はユートの肉体に直接跳ね返ってくる。
「ぐ、うぅぅぅっ……!!」
焼けるような熱さ、凍える冷気、切り裂かれる痛み。
それら全てを、ユートは歯を食いしばって耐え抜いた。
「怖がらなくて……いい」
血の滲む口元で、ユートは優しく語りかけた。
「遅くなってすまなかった。……もう俺が来た。お兄ちゃんが来たぞ」
その言葉が届いた瞬間。
殺意に満ちていた4体のエリィの表情が、くしゃりと泣き顔へと変わった。
そして、光の結界に溶けるようにして、魔力の粒子へと還元され、霧散していく。
パリーン……。
澄んだ音と共に、奥の巨大な結晶に亀裂が入った。
砕け散った破片の中から、痩せた少女の体が崩れ落ちてくる。
「っと……」
ユートは滑り込み、その身体をしっかりと抱き留めた。
温かい。生きている。
腕の中の妹は、安らかな寝息を立てていた。
「……よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
◇
『ふん、手荒なマネしやがって……』
暴走が収まり、光の中から現れたのは、手のひらサイズの小さな妖精や、小動物の姿をした四大精霊たちだった。
『でも、あの強烈な恐怖を鎮めるとはね。……合格だよ、新しい主様』
火の精霊(小さなトカゲ姿)が、生意気そうに腕を組む。
「……ゼファーから鍵を預かった」
ユートは事情を説明し、ゼファーの最期の言葉を伝えた。
――こんな森にしてすまない、と。
『……ゼファーの旦那、逝っちまったか』
精霊たちは少し寂しげに目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
『謝る必要なんてねえのによ。森が焼かれた? 瘴気にまみれた? はんっ、俺らの力があれば、そんなもんすぐ元通りだ』
『そうよ。私たちが本気を出せば、森の浄化なんて造作もないわ』
頼もしい言葉に、ユートは胸を撫で下ろした。
これで、森の再生という希望は残された。あとは、元凶を叩くだけだ。
『ついてきな。旦那が遺した「翼」を見せてやる』
精霊たちが庭園の奥へと案内する。
巨大な蔓のカーテンが開かれると、そこには伝説の古代遺物が鎮座していた。
白銀の流線型ボディに、輝く翼。
その威容に、ユートは息を呑んだ。
タラップを上がり、操縦席へ向かうと、そこには一人の少女が座っていた。
いや、人ではない。精巧に作られた古代の自動人形だ。
彼女は停止したまま、虚空を見つめていた。
『主様、その背中に鍵を差し込んで回すんだ』
言われた通り、ユートは人形の背中にある鍵穴に、碧色の鍵を差し込み、回した。
カチリ、カチリ、ジジジ……。
ゼンマイが巻かれるような音が響き、人形の瞳に光が宿った。
「――起動シークエンス、確認。……認証完了。初めまして、新たなマスター」
抑揚のない、しかし透き通るような声。
「本機は古代飛行艇『天駆ける翼』の管理ユニットです。命令ヲ」
「リヒト・フリューゲル……それがこの船の名前か」
ユートは頷き、腕の中のエリィを見た。
「まずは、この子を休ませたい。医務室はあるか?」
「肯定。最優先治療モードデ、医療ポッドヲ準備シマス。こちらへ」
人形の案内でエリィを医療区画のポッドに寝かせると、顔色が目に見えて良くなっていった。
これで憂いはなくなった。
ユートは再び操縦席に戻り、オートマタに向き直った。
「ここから出航したい。……目指すのは、精霊の森にある白き船影だ」
「白き船影デスカ。検索……捕捉シマシタ。精霊の森南部へ移動中ト推測サレマス」
「追いつけるか?」
「可能デス。タダシ、本機ノ性能ヲ最大限ニ引キ出スニハ、精霊各位ノ協力ガ不可欠デス」
オートマタが宙に浮く四体の精霊たちを見た。
「四大精霊、各配置ニツイテ下サイ」
『あいよ!』『任せなさい!』
精霊たちがそれぞれの制御ユニットへと飛び込んでいく。
オートマタが状況を読み上げる。
「火の精霊、メイン動力炉ヘ接続。
風の精霊、推進機関ヘ接続。
水の精霊、自己修復および迎撃システムヘ接続。
地の精霊、防御フィールドヘ接続。
……全システム、オールグリーン」
船全体が脈打つように震え、圧倒的な魔力が充填されていくのをユートは肌で感じた。
これが、古代の叡智と精霊の力が融合した船か。
「出航シマス」
ズズズズズズ……!
聖域の天井が螺旋状に開き、夕暮れの空が見えた。
「行くぞ、精霊の森南部へ! 全速前進!」
ドォォォォォォォン!!
轟音と共に、白銀の翼が大地を蹴った。
座席に押し付けられるほどの強烈なG。かつて乗った馬車などとは比較にならない加速力だ。
「待ってろ、シルフィ」
ユートの鋭い視線が、遥か彼方の空を睨みつける。
反撃の狼煙は上がった。
光の翼が、夕闇の空へと舞い上がった。




