第8話 堕ちる風、託される翼
上空を埋め尽くす飛行艇の群れ。
そこから降り注ぐ炎の雨を、風の結界がことごとく弾き返す。
「右翼が薄い! シルフィ、風を回せ!」
「分かってる! 【風刃乱舞】!」
ゼファーの指示に、シルフィが即座に応える。
彼女が愛用の弓を引き絞ると、矢に圧縮された風の魔力が宿る。
放たれた矢は空中で分裂し、接近しようとした小型の降下艇を次々と貫き、撃墜していく。
(……腕を上げたな)
ゼファーは指揮を執りながら、娘の横顔を盗み見た。
かつては魔力制御が荒く、感情に任せて暴走するだけの子供だった。
だが今の彼女は、戦況を冷静に見極め、仲間を守るために力を使っている。
その背中は、一人の戦士として頼もしく成長していた。
「よし、このまま押し返すぞ! 森を焼かせはしない!」
「はい、お父様!」
親子の息の合った連携により、戦況はエルフ側の優勢に傾きつつあった。
――だが、その希望は一瞬で踏みにじられる。
◇
「チッ、雑魚どもが。……いつまで遊んでいる」
旗艦である『イノセント・アーク』のデッキで、ヴォルグは忌々しげに吐き捨てた。
眼下で繰り広げられる抵抗劇に、彼の堪忍袋の緒が切れる。
「俺が出る」
ヴォルグが船首から飛び降りた。
ドォォォォン!!
隕石のような着地音と共に、集落の広場にクレーターができる。
「なっ、貴様は……火の氏族長ヴォルグ!」
「よォ、ゼファー。相変わらず貧弱な風遊びだな」
ヴォルグはニヤリと笑うと、大きく息を吸い込んだ。
「消えろ。【焦熱地獄】!!」
ゴオオオオオオオオッ!!
口から吐き出されたのは、視界を埋め尽くすほどの極大の火炎放射だった。
シルフィが展開していた【嵐の障壁】が、圧倒的な熱量によって瞬時に蒸発し、破られる。
「きゃあぁぁっ!?」
「ぐぅっ……!」
爆風で吹き飛ばされ、シルフィとゼファーが地面に転がる。
たった一撃。それだけで防衛線は崩壊した。
「ひ、卑怯者め……!」
ゼファーが呻く。
数で攻めあぐねたと見るや、圧倒的な個の暴力で全てを無に帰す。戦術も誇りもない、ただの破壊だ。
彼が体勢を立て直そうとした時、悲鳴が上がった。
「やめて! 離して!」
「へへっ、動くんじゃねぇぞ」
見れば、ヴォルグの部下が、逃げ遅れたエルフの少女を捕まえ、喉元に無骨な手斧を突きつけていた。
「きっ、貴様ら……!」
「戦いは勝てばいいんだよ。おい、動くなよゼファー。……動けば、このガキを殺す」
人質を取られ、エルフたちが動きを止める。
その一瞬の硬直を、ヴォルグは見逃さなかった。
「隙だらけだぜぇ!」
ヴォルグの手から、圧縮された炎の槍が放たれる。
狙いはゼファーではない。その横で膝をついているシルフィだ。
「え……?」
「危ないッ!!」
反応できたのは、父だけだった。
ゼファーは迷わず娘の前へと飛び出した。
ドスッ。
肉が焼ける嫌な音。
炎の槍はゼファーの胸を貫き、背中へと突き抜けた。
「ガハッ……!」
「お、お父様ァァァァッ!?」
崩れ落ちる体を、シルフィが受け止める。
だが、傷口からは大量の血が溢れ出し、彼女の手を赤く染めた。
心臓を一突き。誰の目にも致命傷だった。
「いや……嫌ぁぁぁ! お父様、死なないで! 嘘よ!」
シルフィが半狂乱になって父の胸を押さえる。
だが、その背後に影が落ちた。
「ガハハ! ケッ、つまらねぇ死に方しやがって」
親のことに気を取られ、完全に戦意を喪失しているシルフィの首根っこを、容赦なく掴み上げた。
「あぐっ……!?」
「戦場で戦意喪失した奴から先に死ぬ。お父様に教わらなかったか?」
ヴォルグはシルフィを宙ぶらりんにしたまま、歪んだ笑みを近づけた。
「ゼファーを殺れた俺は、気分がいい。……お前が俺の女になれば、他のゴミは見逃してやる」
「は、離し……て……!」
「断れば、分かっているな?」
ヴォルグの視線が、人質に取られた子供や、生き残った里のエルフたちに向けられる。
「……っ!」
シルフィが否定の言葉を口にしようとした、その時だ。
視界の端に、里の者たちの顔が映った。
(助けて)
(逆らわないで)
(あなたが犠牲になれば、私たちは助かる)
言葉には出さない。だが、その目は明らかに怯え、シルフィに「生贄」になることを懇願していた。
守ろうとした同胞からの、拒絶にも似た無言の圧力。
それが、シルフィの心を折った。
「……分かったわ」
シルフィは抵抗をやめ、涙を流しながら頷いた。
「ハハハ! 賢明な判断だ! 連れて行け!」
◇
「シルフィーーーッ!!」
森を抜け、黒煙を上げる集落にユートとリリィが飛び込んだのは、その直後だった。
だが、遅かった。
広場には傷ついたエルフたちが倒れ伏し、戦闘はすでに終わっていた。
見上げれば、純白の飛行艇が轟音と共に上昇していくところだった。
そのデッキに、サラマンダーに両脇を抱えられたシルフィの姿があった。
「ユート……」
シルフィが遠くのユートに気づく。
彼女は一瞬だけ泣きそうな顔を見せ、すぐに優しく微笑んで、口だけを動かした。
――ごめんね、ユート。
「待てッ! 逃がすかぁぁぁッ!!」
ユートは必死に手を伸ばし、結界を展開しようとする。
だが、高度が高すぎる。射程圏外だ。
飛行艇はユートを嘲笑うかのように加速し、雲の彼方へと消え去っていった。
「くそっ……! くそぉぉぉぉッ!!」
ユートは地面を殴りつけた。
まただ。また俺は、大切な人たちを奪われたのか。
「……若者よ」
絶望に暮れるユートの耳に、掠れた声が届いた。
血溜まりの中で倒れている、ゼファーだ。
「おい、しっかりしろ! すぐに治療を……」
「……無駄だ。心臓をやられた……もう、助からん」
ゼファーは血を吐きながら、震える手で懐を探った。
取り出したのは、古びた「碧色の鍵」だった。
「これを持って……いけ」
「これは?」
「森の中心にある……『聖域』の鍵だ」
ゼファーの呼吸が浅くなっていく。
「そこには……かつて勇者と共に空を翔けた古代の飛行艇と……それを守る『四大精霊』がいる……」
「飛行艇……!?」
「あの子たちは気難しいが……この鍵を持つ者を『主』と認める契約になっている……」
ゼファーは最後の力を振り絞り、ユートの手を握りしめ、鍵を託した。
「その翼があれば……あの白い船にも追いつけるはずだ……」
「……分かった。必ず手に入れる」
「精霊たちに……こんな森にしてすまなかったと……謝っておいてくれ……」
ゼファーの瞳から、急速に光が失われていく。
彼は空を見上げ、独り言のように呟いた。
「……私の、自慢の娘を、頼んだぞ……」
「任せろ。必ず助け出す」
満足げに微笑み、ガクリと腕が落ちた。
風の氏族長ゼファー。
厳格だった父は、最期に娘への愛と未来を託し、静かに息を引き取った。
◇
リリィが静かに歩み寄り、亡骸に頭を下げた。
ユートは掌に残る碧色の鍵を強く握りしめ、血に濡れたその温かさを刻み込んだ。
「ああ。……確かに受け取った」
ユートは立ち上がり、森の中心――聖域の方角を見据えた。
その瞳には、かつてないほどの激しい怒りと決意が燃えていた。
「行くぞ、リリィ」
「ええ、マスター。どこまでも」
「最強の精霊と翼を味方につけて、あのクソトカゲを地獄へ叩き落とす」
まだ終わっていない。反撃はこれからだ。
ユートは鍵を握りしめ、一直線に走り出した。




