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第5話 聖女の慈悲

 ジメジメとした冷気が肌を刺す、教会の地下牢。

 カビと錆の匂いが充満するその場所に、ユート、シルフィ、リリィの三人は放り込まれていた。

 武装解除され、手枷をはめられた状態だ。


「……最悪ね。まさか犯罪者扱いされるなんて」


 シルフィが壁に背を預け、忌々しげに呟く。

 その時、鉄格子の向こうからコツコツとヒールの音が響いた。


「臭いわね……。これだから地下は嫌いです」


 純白のハンカチで鼻を押さえながら現れたのは、聖女ルミナだった。

 彼女は檻の中を見渡し、シルフィの姿を認めると、わざとらしい驚きの声を上げた。


「あら? よく見ればシルフィさんじゃありませんか」

「……ルミナ」

「いつの間にか勇者パーティからいなくなっていましたが、まさかこんな所で『役立たず』と泥遊びですか? ……ふふ、『類は友を呼ぶ』とはこのことですね」


 手を口に当てながら、優雅に嘲笑う。

 その言葉に、シルフィがカッと目を見開いて立ち上がろうとするが、ユートが視線で制した。


「……何の用だ。説教をしに来たわけじゃないだろう」


 ユートは冷静に問い返しながら、ふと気になったことを口にした。


「それより、お前はここで何をしている? ザスターはどうしたんだ」

「……ああ、勇者様ですか?」


 ルミナはつまらなそうに髪を弄った。


「彼らとは別行動です。勇者様は救済の準備でお忙しいのですから。これは教会からの依頼による、私だけの特別任務なのです」


 彼女は勝ち誇ったように胸を張った。


「私一人の方が効率的に『慈悲』を施せますしね。……ただついて歩くだけだった貴方たちとは、格も役割も違うのです」

「(なるほどね。手柄を独り占めしたいだけじゃない)」


 シルフィが呆れたように小声で毒づく。

 ルミナは冷ややかな瞳でユートを見下ろした。その目には、絶対的な正義を疑わない狂信者の色が宿っていた。


「私の奇跡を妨害し、あまつさえ暴力を振るうなど……万死に値します」

「俺はお前が殺しかけた子供を救っただけだ」

「まだそんな妄言を。私の『全浄化』は完璧でした」

「いいや、違う。あれは『抗体反応』だ」


 ユートは淡々と告げた。


「あの子供は未知の毒素と戦うために、自らの体内で抗体を作り出していた。お前の『全浄化』は、その抗体ごと生命力を削ぎ落とす愚策だ。……そのまま放置していれば、あの子は免疫不全で死んでいたぞ」


「っ……!」


 ルミナの顔が朱に染まる。

 図星を突かれたからではない。格下だと思っていた人間に、専門外の知識で否定された屈辱によるものだ。


「聖女である私に、落ちこぼれのあなたが説教ですか!?」


 金切り声を上げるルミナ。

 だが、彼女の脳裏には、先ほどの光景が焼き付いていた。

 詠唱も魔法陣もなく、指先一つで血管内の毒素だけを選別・隔離した、あの異常な魔力操作。


(あんな繊細な操作、私だって……いや、高位の神官でも不可能よ。それを、なぜこいつが?)


 認めたくない。だが、現実に目の前で行われた「神業」が、彼女のプライドに消えない棘のように突き刺さっていた。


                ◇


「……聖女様」


 ルミナが苛立ちを募らせていると、背後に控えていた側近の司教が耳打ちをした。

 声を潜めた、極小の囁き声だ。


「(……お戯れはそこそこに。例の『調査隊』からの報告が入りました。……また、全滅です)」

「(チッ、役立たずの騎士どもめ)」


 ルミナが舌打ちをする。

 先ほどまでの聖女の仮面が剥がれ落ち、下品な本性が顔を覗かせた。


「(森の奥の汚染が酷く、魔物も凶暴化しているようです。正規兵をこれ以上損耗させるわけには……)」

「(ならば『こいつら』を使いましょう)」


 ルミナが檻の中の三人を一瞥する。

 司教は卑屈な笑みを浮かべて頷いた。


「(よろしいかと。罪人ならば、死んでも教会への批判はありません。成功すれば聖女様の手柄、失敗してもゴミが減るだけです)」

「(……ふふ、素晴らしい慈悲だわ)」


 ――全部、聞こえているぞ。

 ユートは無表情を貫きながら、心の中で呆れていた。

 聴覚強化の結界を耳に張っているユートにとって、その程度の内緒話は、耳元で叫ばれているのと同義だった。


(なるほど。俺たちを捨て駒にするつもりか)


 ルミナは再び表情を整え、聖女の慈愛に満ちた顔でユートたちに向き直った。


「あなたたちに、特別に『贖罪しょくざい』の機会を与えましょう」


 白々しい提案。

 ユートは騙されたフリをして、話に乗ることにした。


「……贖罪?」

「ええ。本来なら死罪となるところですが、私の慈悲によってチャンスを差し上げます」


 ルミナは鉄格子の隙間から、黒い革製の首輪を投げ入れた。

 中央に不気味な赤い宝石が埋め込まれた、拘束具だ。


「これを着けて、精霊の森の深部へ行き、異変の原因を突き止めなさい。そうすれば、今回の狼藉を不問にし、神の元へ帰ることを許しましょう」


(監視と盗聴、それに処刑用の術式か。……構造が単純すぎるな)


 ユートは首輪を一瞥しただけで、その術式構造を完全に解析し終えていた。

 こんなもの、その気になればいつでも無効化できる。


「分かった、行ってやる。……だが一つ条件がある」

「あら? 罪人の分際で条件ですか?」

「俺が助けたあの少年……黒いローブを持っていた獣人の子と話をさせろ。森の情報を持っているはずだ」


 ルミナは一瞬眉をひそめたが、すぐに興味なさげに肩をすくめた。


「いいでしょう。どうせ死に行く者への最後の情けです。……ただし、時間は五分だけですよ」


                ◇


 教会の奥にある一室。

 簡易ベッドの上で、獣人の少年は目を覚ましていた。

 顔色はまだ悪いが、命に別状はないようだ。


「う……おにいちゃん、だれ……?」


 ユートたちが部屋に入ると、少年は弱々しく尋ねてきた。


「俺はユート。お前を治療した者だ」

「ちりょう……?」

「ああ。……それより、そのローブについて教えてくれないか」


 ユートは少年が握りしめている黒いローブを指差した。

 少年はハッとして、宝物のようにローブを抱きしめた。


「これは……『おねえちゃん』がくれたの」

「お姉ちゃん?」

「うん。森でトカゲの人たちに襲われて……逃げられないって思った時に、黒い服を着たお姉ちゃんが助けてくれたんだ」


 ユートの心臓が早鐘を打つ。

 黒い服。このローブと同じ刺繍。

 間違いない。エリィだ。エリィは生きていて、この森にいる。


「その子は今、どこに?」

「分からない……。僕にこれを着せて、『これで顔を隠して逃げなさい』って。……お姉ちゃん、トカゲの人たちを引き付けるために、一人で……」


 少年の瞳に涙が浮かぶ。

 ユートは拳を強く握りしめた。

 エリィは、この子を逃がすために囮になったのか。


「……ねえ。トカゲの人たちって、言った?」


 横からシルフィが優しく尋ねる。


「うん。赤い肌をした、怖い人たち。……空から『白い船』に乗ってやってきて、森に火をつけたんだ」

「白い船……!?」


 その言葉に、ユートとシルフィは顔を見合わせた。

 空を飛ぶ白い船。

 この世界にそんなものがいくつもあるとは思えない。心当たりは、一つしかない。


「おいおい……まさか、な」


 ユートは乾いた笑いを漏らした。

 だが、なぜそれを火の氏族サラマンダーが使っている?


(ザスターが貸したのか? いや、あいつは馬鹿だが『正義の味方』だぞ。森を焼くために船を貸すなんて……)

(だが、もし奪われたのだとしたら? あるいは、何か騙されているのか?)


 確かなことは分からない。だが、最悪のパズルピースが揃いつつあることだけは理解できた。

 かつての仲間が残した遺産が、今、エリィや森の住人たちを殺す兵器として使われている可能性がある。


「……ありがとう。十分だ」


 ユートは少年の頭を撫で、立ち上がった。

 迷いは消えた。

 エリィを救い出し、このふざけた事態の元凶を叩き潰す。

 目的は定まった。


「時間です。さあ、行きなさい」


 監視役の神官が扉を開ける。

 ユートは首輪を嵌め、教会の出口に向かった。


 待っていろ、エリィ。

 必ず、俺が連れ戻す。

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