表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/39

第3話 聖女の奇跡

 精霊の森の手前、街道沿いにある小さな村。

 そこは本来、森へ向かう旅人が休息をとるのどかな場所のはずだった。


「……臭うな」


 ユートが御者台で鼻を鳴らした。

 風に乗って漂ってくるのは、田舎特有の牧草の香りではない。

 鼻の奥にへばりつくような、腐った油と、何かが焼け焦げた刺激臭。


「っ……何よ、これ」


 幌から顔を出したシルフィが、絶句した。

 村の入り口付近の道端には、力なく座り込む民たちの姿があった。

 その様相は異様だった。彼らの衣服や肌は、べっとりと黒い泥のようなもので汚れている。いや、泥ではない。虹色の光沢を放つ、粘着質の液体だ。


「廃油……? どうしてこんな森の近くに、あんな工業廃液みたいなものが……」

「川から流れてきているのかもしれないな」

「だとしたら最悪よ」


 シルフィが青ざめた顔で森の方角を見据える。


「森の入り口でこれなのよ? 水源に近い奥地では、もっと酷いことが起きているってことじゃない! 精霊たちが……森が死んじゃうわ!」


 彼女の予感は正しかった。

 この汚れ方は尋常ではない。森の内部で大規模な何かが行われている証拠だ。


                ◇


「マスター、あちらを。……妙に活気がありますわ」


 リリィが扇子で示したのは、村の中央広場だった。

 そこは、巨大な野戦病院と化していた。


「並んでください! 聖女様の手は休まりませんよ! 次!」

「押さないで! 配給は全員に行き渡りますから!」


 神官服を着た者たちが、声を張り上げて列を整理している。

 炊き出しの列、治療の列、重傷者の搬送ルート。

 一見すれば、迅速で素晴らしい救済活動に見える。

 ユートはそこに奇妙な違和感を覚えた。


(……早すぎる。一人ひとりの診察時間が短すぎるぞ)


 まるでベルトコンベアだ。

 患者の状態を見るのではなく、ただ「処理」して数をこなすことに特化した、冷たい効率化。


 その「処理ライン」の終着点。一段高くなった台の上に、その人物はいた。


「さあ、次の人! ……ああ、心配しないで。私の魔力は尽きませんから!」


 純白の聖衣を翻し、慈愛に満ちた笑顔を振りまく美女。

 勇者パーティの現役聖女、ルミナだ。


「聖女様、ありがとう、ありがとう……!」

「ああ、痛みが消えた! 奇跡だ!」


 彼女が杖を振るうたびに、患者の傷が光に包まれて塞がり、観衆から拍手喝采が巻き起こる。

 ルミナはその称賛を全身で浴び、恍惚とした表情を浮かべていた。


「……ねえユート。あれって、勇者パーティの聖女ルミナよね?」


 シルフィが不思議そうに尋ねる。


「どうして彼女がここに? ザスターたちと一緒にいるはずじゃ……」

「さあな。はぐれたか、別行動か」


 ユートは短く答えたが、内心では確信していた。

 (……あいつのことだ。勇者ザスターの横にいるよりも、こうして一人で『奇跡』をばら撒く方が、効率よく名声を得られると計算したんだろう)


 彼女にとって、ここは医療現場ではない。

 自らの慈悲深さと、聖女としての力を誇示するための舞台なのだ。


                ◇


 その時。

 人垣を割って、担架が運び込まれてきた。


「道を空けてくれ! 子供が、子供が息をしてないんだ!」


 運ばれてきたのは、獣人の少年だった。

 全身が痙攣し、口から白い泡を吹いている。肌は赤黒く腫れ上がり、異常な高熱を発しているのが遠目にも分かった。

 そして、その子供の手には、泥にまみれた「黒いローブ」が握りしめられていた。


「……ッ!?」


 そのローブを見た瞬間。

 ユートの思考が白く染まった。


 見間違えるはずがない。

 裾に施された、特徴的な幾何学模様の刺繍。

 かつて自分が妹に教え、彼女が拙い手つきで一生懸命に縫い付けた、世界に一つだけの魔術紋様。


(……なんで、あれがここにある?)


 妹は、故郷の村が滅んだ時に死んだはずだ。

 だが、あの刺繍は確かに彼女のものだ。

 ずっと探し続けていた唯一の手がかりが、今、死にかけた少年の手にある。


「おい、そのローブ……!」


 ユートは人混みをかき分け、なりふり構わず前へと進み出た。


                ◇


 ルミナが少年の顔を覗き込む。


「あらあら、可哀想に。酷い熱ですね」


 彼女は一瞬だけ眉をひそめ、すぐに「慈愛の聖女」の顔を作った。


「体の中が『穢れ』だらけです。悪い毒素が回っているのですね。……すぐに浄化しましょう」


 ルミナは杖を掲げ、高らかに宣言する。その診断を聞いた瞬間、ユートの背筋が凍りついた。


(……は? 穢れだと?)


 ユートの『解析』が、少年の体内を走る魔力の流れを捉える。

 確かに毒素はある。だが、それ以上に活発なのは、少年自身の免疫機能だ。

 未知の毒物に対抗するため、体内の魔力が総動員され、必死に「抗体」を作り出し、熱を出してウイルスと戦っている状態だ。


「聖なる光よ、全ての不浄を焼き払い、無垢なる状態へ還したまえ!」


 ルミナの詠唱が始まる。

 練り上げられる魔力構成を見て、ユートは戦慄した。


(……! あの術式構成は『全浄化オール・クリア』か!?)

(馬鹿な、この子の熱源はウイルスじゃない、環境適応のための抗体反応だぞ!?)


 『全浄化』は、対象の状態異常を強制的にリセットする高位の魔法だ。

 今の状態でそれを撃てばどうなるか。

 毒への抵抗力を失った身体に、外気の負荷が直撃する。


(免疫ごと消し飛ばせば、急性ショックで即死する……!)


 それは治療ではない。とどめの一撃だ。

 妹の手がかりを持つ少年が、今、無知な善意によって殺されようとしている。


「【聖域浄化サンクチュアリ・キュア】!」


 ルミナが杖を振り下ろす。


「やめろッ!!」


 ユートの叫びが広場に響いた。

 それは感情的な制止ではなく、目前の「殺人行為」を阻止するための警告だった。

 だが、遅かった。


 カッッッ!!

 眩い光の柱が少年を包み込む。

 観衆から「おおぉ……!」と感嘆の声が漏れる。

 光が収まった時、少年の痙攣はピタリと止まっていた。赤黒かった肌も、嘘のように白くなっている。


「はい、治りましたよ」


 ルミナは額の汗を拭い、満足げに微笑んだ。

 観衆が再び拍手を送ろうとする。


 ユートには見えていた。少年の胸郭が、不自然に跳ね上がるのを。

 心臓の鼓動が乱れ、生命の灯火がフッと消えかけようとしているのを。


(……手遅れか。いや、まだだ!)

(まだ、心臓は動いている! 外部からの干渉を『遮断』すれば間に合う!)


「どけッ!!」


 ユートは群衆を突き飛ばし、聖女の近くへと駆け出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ