第9話 真名葬送
すべての決着がついた直後。
張り詰めていた糸が切れ、倒れ込んだユートの身体を、シルフィとリリィが左右から優しく抱きとめた。
「ったく、最後まで人使いの荒い野郎だぜ」
血濡れの双短剣を収めたアインが、呆れたように肩をすくめて近づいてくる。
彼は気絶したユートを軽々と担ぎ上げると、周囲を見回した。
「ここじゃ環境が悪すぎる。下層の空気は毒だ」
「でも、どこへ? 上の宿屋なんて空いてないわよ」
「混乱の最中だ。どさくさに紛れて中層の高級宿を確保する。……俺の顔なら多少の融通は利くからな」
アインは手早く指示を出し、一行は静まり返った地下迷宮を後にした。
◇
中層にある、冒険者御用達の宿屋の一室。
清潔なシーツの上にユートを寝かせ、簡単な治療を施した後、アインは窓際で外の様子を窺った。
「……さて。俺は下層に戻る。あそこの連中をまとめ上げなきゃならねぇ」
「ええ。お願いね」
「こいつのことは頼んだぞ。……起きやがったら伝えてくれ。『ツケは高くつくぞ』ってな」
アインはニヤリと笑い、音もなく窓から姿を消した。
残されたのは、眠り続けるユートと、二人の少女だけ。
静寂の中、シルフィが椅子に座るリリィに視線を向けた。
「……それで? あなたのこと、なんて呼べばいいのかしら」
「『アーデ』でいいわ」
リリィは即答した。本名の「アーデルハイト」をもじった偽名だ。
「そう、アーデ。……あなた、トピアとはどういう関係?」
「契約上の主従よ。……ところで、彼はいつもこうなのかしら?」
リリィは組んだ足を組み替え、不満げにベッドのユートを見下ろした。
「いつも、とは?」
「無茶をするってことよ。私という『保険』を確保しておきながら、結局ギリギリまで使わず、あまつさえ私を逃がそうとした。……合理的じゃないわ」
「……そうね」
シルフィは苦笑し、ユートの寝顔に視線を落とした。
「勇者パーティにいた頃の彼は、地味で、目立たなくて……いつも周りにペコペコ頭を下げていたわ。こんな風に命を削って誰かを守るような、熱い人には見えなかった。……もしかしたら、私が見ていなかっただけなのかもしれないけれど」
「ふうん。猫を被っていたのか、それとも……」
「前の国で再会した時もそうだった。私の最大出力の風魔法に生身で突っ込むような無茶をして……。本当に、見ていて危なっかしいわ」
シルフィの言葉に、リリィはツンと鼻を鳴らした。
「……呆れた。『相棒』だなんて大層なことを言っていたけど、随分と甘いのね」
「なんですって?」
「彼が無茶をするなら、それを止めるなり管理するなりしなさいよ。『見ていて危なっかしい』ですって? 相棒なら、彼の手綱くらい握っておくべきじゃないのかしら」
リリィは扇子のように手を振って、シルフィを挑発する。
「私のマスターだけではなく……どうやら、あなたも『教育』が必要みたいね」
「……っ」
シルフィは言い返そうとしたが、ユートの寝顔を見て口をつぐんだ。
確かに、彼を止められなかったのは事実だ。
「……はぁ。否定はしないわ。でも、今は静かにしましょう」
「あら、逃げるの?」
「倒れている彼の前で騒ぎたくないだけよ。……もう寝ましょう」
シルフィは部屋の明かりを落とし、ソファへと向かった。
リリィも肩をすくめ、反対側の椅子に身を預ける。
数刻後。
シルフィの寝息が聞こえ始めた頃。
リリィは薄目を開け、エルフの少女が完全に眠っていることを確認した。
(……あのエルフは寝たわね)
彼女は音もなく起き上がると、躊躇なくユートが眠るベッドへと潜り込んだ。
温かい体温。
彼女はユートの腕に抱きつき、その寝顔を間近で覗き込む。
(魔力が空っぽじゃない。……少しだけ分けてあげるわ、マスター)
◇
深い、深い闇の中。
ユートは夢を見ていた。
かつての故郷。見慣れた家。
そこには、父と、母と、妹のエリィがいた。
『――どうして?』
エリィが笑いかけてくる。だが、その口元からはドロリとした液体が垂れていた。
『どうして、何も言ってくれなかったの、お兄ちゃん』
『父さん、母さん……違うんだ、俺は……』
『逃げてごめんなさいでしょう?』
シュゥゥゥゥゥ……。
不快な音が響く。
紫色の毒ガスが、部屋の隙間から漏れ出してくる。
勇者が放った「毒」だ。
『あ、あぁ……熱い、痛いよぉ……』
『ユート……助けて……』
三人の身体が、生きながらにして溶けていく。
皮膚がただれ、肉が落ち、骨が露出し――。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ユートは絶叫と共に跳ね起きた。
心臓が早鐘を打ち、全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。
「っ!? トピア!?」
「何ごと!?」
両サイドから声がかかる。
荒い呼吸を繰り返すユートの視界に、心配そうに覗き込む二人の少女の顔が映った。
右にはリリィ。左にはシルフィ。
二人とも、なぜかユートの腕をがっちりと掴んで添い寝していたようだ。
「……はぁ、はぁ……」
ユートは額の汗を拭い、現状を認識しようと努める。
悪夢の残滓がこびりついているが、ここは現実だ。
「……どういう状況だ、これは」
「うなされていたわよ。大丈夫?」
「魔力供給のために添い寝してあげてたのよ。感謝なさい」
当然のようにベッドにいる二人に、ユートは頭を抱えた。
「……看病の礼は言う。だが、離れてくれ。狭くてかなわん」
ユートが身じろぎすると、リリィが不満げに眉を寄せた。
「エヴァ、私は魔力を譲渡してあげないとダメなのだから、あなたがどきなさい」
「はぁ? アーデ、彼が起きたんだからもう譲渡は必要ないでしょう? それにあなたが先に潜り込んだんだから、あなたが譲りなさいよ」
バチバチッ。
ユートを挟んで、至近距離で二人の視線が火花を散らす。
だが、ユートはそれを無視してベッドから降りた。
個人的な感傷や、彼女たちのポジション争いに付き合っている時間はない。
「街の状況を確認してくる」
「ちょっと、まだ休んでなきゃダメよ!」
「トピア、待ちなさい!」
制止を振り切り、立ち上がろうとした瞬間。
足元がふらついた。
ガクッ。
「っと……」
壁に手をついて支える。
身体の芯に、鉛のような重さが残っていた。
リリィがその様子をじっと見つめ、確信めいた視線を送る。
◇
場所は変わり、上層にある『商人ギルド・ネムレス総本部』。
豪奢なシャンデリアが輝くロビーは、怒号と罵声に包まれていた。
「ふざけるな! あの名札のせいで死にかけたぞ!」
「『聖なる守り』だと? あれは『魔物の餌』じゃないか!」
詰めかけたのは、昨夜の恐怖を味わった貴族や富裕層たちだ。
彼らは手に手に「名札」を持ち、カウンターの役人たちに詰め寄っていた。
「お、お待ちください! あれは勇者様が……勇者様がそう仰ったので……!」
対応に追われる恰幅のいい役人が、脂汗を流しながら言い訳をする。
だが、通用しない。勇者はもういない。
怒りの矛先は、それを高値で売りつけた「仲介者」に向かっていた。
「責任を取れ! 金も返せ!」
「ええい、うるさい! 我々は被害者だ! 文句があるなら勇者に言え!」
役人が逆ギレしかけた、その時だった。
「――俺がいない間に、随分と賑やかじゃねぇか」
ドスの利いた低い声が響き渡った。
入り口に立っていたのは、顔の左半分を不気味な仮面で覆った、長身の男だった。
その背後には、武装した護衛たちが控えている。
「ギ、ギルド長……!?」
役人の顔色が真っ青になる。
この街の経済を牛耳る男、『仮面のギルド長』の帰還だ。
「あ、あなたがいてくだされば! こいつらが理不尽な難癖を……」
「黙れ」
ドガッ!!
ギルド長は無造作に歩み寄ると、役人の腹を革靴で蹴り飛ばした。
「ぶべっ!?」
「俺がいない間に何勝手なことしてんだ、この豚は?」
ギルド長は転がった役人を冷ややかに見下ろした。
「勇者の名札だ? そんな怪しげなもん、俺が許可した覚えはねぇぞ」
「ひ、ひぃぃ……! で、でも、儲かると……」
「その欲が、顧客の信用をドブに捨てたんだよ」
ギルド長は貴族たちに向き直り、深々と頭を下げた。
「皆様。ウチの馬鹿がご迷惑をおかけして申し訳ありません。この不始末は、組織の長として私が責任を取ります」
その潔さに、怒り狂っていた貴族たちが毒気を抜かれる。
「この豚の全財産を没収し、売り払ってでも代金は返金させます。さらに、お詫びを兼ねて……今後一ヶ月、当店が扱う高級品、宝飾品、希少な食材など、すべてを『二割引』で提供させていただきます」
「に、二割だと!?」
「ええ。皆様の傷ついた心と、失われた平穏を癒やすための一助となれば幸いです。……これで、手打ちにしていただけませんか?」
ざわめきが広がる。二割引となれば、返金以上の利益だ。
ギルド長は仮面の下で、計算高く笑っていた。
◇
一方、ふらつく足で宿を出たユートは、冒険者ギルドへと向かっていた。
受付嬢に顔を見せるなり、彼女は驚いたように目を見開いた。
「ト、トピアさん!? 大変です、あなたに『指名』が来ています!」
「指名? 魔物討伐なら今は……」
「違います! 『商人ギルド長』からです! 至急、上層の本部に来てほしいと……」
周囲の冒険者たちがどよめく。
あの街の帝王とも呼ばれる男からの呼び出しだ。
前代未聞の事態に、ユートは眉一つ動かさず、指定された場所へと向かった。
上層、商人ギルド本部。最上階の執務室。
コンコン。
「入れ」
中から聞こえた声に、ユートは既視感を覚えた。
扉を開けると、そこには仮面をつけた男が革張りの椅子に座っていた。
「よう。昨夜は大活躍だったそうだな、結界師殿」
男はそう言いながら、懐から安物の葉巻を取り出し、火をつけた。その独特の紫煙の匂い。そして、人を食ったようなニヤついた笑み。
仮面の下の素顔を見なくとも、正体は明白だった。
「……アンタか」
ユートは短く答えた。
男は立ち上がり、ユートの前に歩み寄った。
「お前たちのおかげで、俺の街で好き勝手やってた馬鹿どもを一掃できた。それに、この街のルールも徹底することができそうだ」
「礼を言われる覚えはない。俺は自分の仕事をしただけだ」
「ハッ、いい目だ。……お前たちは恩人だ。この街にいる限り、俺の権限で最大限の便宜を図ってやる」
ギルド長は右手を差し出した。
ユートは一瞬躊躇ったが、その手を握り返した。がっちりとした、商人の手だ。
「……で? 呼び出したのは礼を言うためだけじゃないだろう」
「話が早くて助かる。……『最後の仕上げ』があるんだが、頼まれてくれねぇか?」
◇
昼下がりの広場。
そこには、冒険者や市民たちが集まり、不安げにざわめいていた。
誰もが手に、例の「名札」を持っている。
「俺たちは騙されていたのか?」
「勇者は俺たちを殺す気だったのか?」
壇上に、仮面のギルド長と、その隣にユートが並んで立った。
ギルド長は、割れた名札を高く掲げた。
「聞け、ネムレスの住民たちよ!」
第一声から、よく通る声が響き渡る。
「勇者サマは『善意』でこれを配ったらしい。魔除けになると信じてな。……だが、その中身は魔物を呼び寄せる『餌』だった!」
どよめきが走る。
ギルド長は隣のユートを親指で指した。
「昨夜、最前線で魔物を食い止めたこの男が、それを証明してくれた」
ギルド長の言葉に、聴衆の視線がユートに集まる。
「……おい、あいつ、昨日地下で戦ってた奴じゃねぇか?」
「ああ、間違いない……!」
ユートへの視線が変わる。侮蔑から、畏怖と称賛へ。
「勇者に殺すつもりはなかったのかもしれねぇ。だが結果は火を見るより明らかだ! 無知な馬鹿が火薬をおもちゃとして配り、そして我がギルドの腐った連中が、それを知りつつ売り捌いた!」
ギルド長は芝居がかった動作で天を仰いだ。
「すまねぇ! 俺がもっと早く帰還できていれば……。これをあくどく売ってた連中は、さっき全員処分した!」
「なっ……全員!?」
「ひぃっ、相変わらず容赦ねぇ……」
市民たちの間に戦慄が走る。この男なら本当にやりかねないという恐怖と、悪を一掃したという安堵。
ギルド長はニヤリと笑った。
「詫びを兼ねて、しばらくの間、ウチの商品はすべて一割から二割、安く売らせてもらう! 文句があるなら俺が聞く! だがその前に――」
ギルド長は、手にした名札を地面に叩きつけた。
パァンッ!!
乾いた音が響く。
「こんなふざけた道具は、もういらねぇだろ?」
静寂。
ギルド長は両手を広げ、市民たちに呼びかけた。
「俺たちに必要なのは、怪しげな守りなんかじゃねぇ。この街の『風習』だ! みんな! 以前のように、やろうぜ!!」
その言葉が、導火線となった。
「そうだ……こんなもん、いらねぇ!」
「死にかけてたまるか!」
カラン、カラン、パリーン!
次々と名札が投げ捨てられる。
感謝の対象だったはずの「勇者の証」が、今や憎悪の対象となり、瓦礫の山となって積み上がっていく。
「燃やせ! 偽りの守りなんて燃やしちまえ!!」
松明が投げ込まれた。
ボォォォォッ!!
積み上げられた名札の山が、激しく燃え上がる。
パチパチと爆ぜる音。立ち昇る黒煙。
それは、この街を縛っていた「勇者の名」と、それを盲信していた過去との決別だった。
揺らめく炎を見つめながら、ユートは小さく呟いた。
「……これでようやく、この街に『名無し』の平穏が戻るな」
その横顔は、憑き物が落ちたように穏やかだった。




