表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/40

第9話 真名葬送

 すべての決着がついた直後。

 張り詰めていた糸が切れ、倒れ込んだユートの身体を、シルフィとリリィが左右から優しく抱きとめた。


「ったく、最後まで人使いの荒い野郎だぜ」


 血濡れの双短剣を収めたアインが、呆れたように肩をすくめて近づいてくる。

 彼は気絶したユートを軽々と担ぎ上げると、周囲を見回した。


「ここじゃ環境が悪すぎる。下層ここの空気は毒だ」

「でも、どこへ? 上の宿屋なんて空いてないわよ」

「混乱の最中だ。どさくさに紛れて中層の高級宿を確保する。……俺の顔なら多少の融通は利くからな」


 アインは手早く指示を出し、一行は静まり返った地下迷宮を後にした。


                ◇


 中層にある、冒険者御用達の宿屋の一室。

 清潔なシーツの上にユートを寝かせ、簡単な治療を施した後、アインは窓際で外の様子を窺った。


「……さて。俺は下層に戻る。あそこの連中をまとめ上げなきゃならねぇ」

「ええ。お願いね」

「こいつのことは頼んだぞ。……起きやがったら伝えてくれ。『ツケは高くつくぞ』ってな」


 アインはニヤリと笑い、音もなく窓から姿を消した。

 残されたのは、眠り続けるユートと、二人の少女だけ。


 静寂の中、シルフィが椅子に座るリリィに視線を向けた。


「……それで? あなたのこと、なんて呼べばいいのかしら」

「『アーデ』でいいわ」


 リリィは即答した。本名の「アーデルハイト」をもじった偽名だ。


「そう、アーデ。……あなた、トピアとはどういう関係?」

「契約上の主従よ。……ところで、彼はいつもこうなのかしら?」


 リリィは組んだ足を組み替え、不満げにベッドのユートを見下ろした。


「いつも、とは?」

「無茶をするってことよ。私という『保険』を確保しておきながら、結局ギリギリまで使わず、あまつさえ私を逃がそうとした。……合理的じゃないわ」

「……そうね」


 シルフィは苦笑し、ユートの寝顔に視線を落とした。


「勇者パーティにいた頃の彼は、地味で、目立たなくて……いつも周りにペコペコ頭を下げていたわ。こんな風に命を削って誰かを守るような、熱い人には見えなかった。……もしかしたら、私が見ていなかっただけなのかもしれないけれど」

「ふうん。猫を被っていたのか、それとも……」

「前の国で再会した時もそうだった。私の最大出力の風魔法に生身で突っ込むような無茶をして……。本当に、見ていて危なっかしいわ」


 シルフィの言葉に、リリィはツンと鼻を鳴らした。


「……呆れた。『相棒』だなんて大層なことを言っていたけど、随分と甘いのね」

「なんですって?」

「彼が無茶をするなら、それを止めるなり管理するなりしなさいよ。『見ていて危なっかしい』ですって? 相棒パートナーなら、彼の手綱くらい握っておくべきじゃないのかしら」


 リリィは扇子のように手を振って、シルフィを挑発する。


「私のマスターだけではなく……どうやら、あなたも『教育』が必要みたいね」

「……っ」


 シルフィは言い返そうとしたが、ユートの寝顔を見て口をつぐんだ。

 確かに、彼を止められなかったのは事実だ。


「……はぁ。否定はしないわ。でも、今は静かにしましょう」

「あら、逃げるの?」

「倒れているトピアの前で騒ぎたくないだけよ。……もう寝ましょう」


 シルフィは部屋の明かりを落とし、ソファへと向かった。

 リリィも肩をすくめ、反対側の椅子に身を預ける。


 数刻後。

 シルフィの寝息が聞こえ始めた頃。

 リリィは薄目を開け、エルフの少女が完全に眠っていることを確認した。


(……あのエルフは寝たわね)


 彼女は音もなく起き上がると、躊躇なくユートが眠るベッドへと潜り込んだ。

 温かい体温。

 彼女はユートの腕に抱きつき、その寝顔を間近で覗き込む。


(魔力が空っぽじゃない。……少しだけ分けてあげるわ、マスター)


                ◇


 深い、深い闇の中。

 ユートは夢を見ていた。


 かつての故郷。見慣れた家。

 そこには、父と、母と、妹のエリィがいた。


『――どうして?』


 エリィが笑いかけてくる。だが、その口元からはドロリとした液体が垂れていた。


『どうして、何も言ってくれなかったの、お兄ちゃん』

『父さん、母さん……違うんだ、俺は……』

『逃げてごめんなさいでしょう?』


 シュゥゥゥゥゥ……。

 不快な音が響く。

 紫色の毒ガスが、部屋の隙間から漏れ出してくる。

 勇者が放った「毒」だ。


『あ、あぁ……熱い、痛いよぉ……』

『ユート……助けて……』


 三人の身体が、生きながらにして溶けていく。

 皮膚がただれ、肉が落ち、骨が露出し――。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 ユートは絶叫と共に跳ね起きた。

 心臓が早鐘を打ち、全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。


「っ!? トピア!?」

「何ごと!?」


 両サイドから声がかかる。

 荒い呼吸を繰り返すユートの視界に、心配そうに覗き込む二人の少女の顔が映った。

 右にはリリィ。左にはシルフィ。

 二人とも、なぜかユートの腕をがっちりと掴んで添い寝していたようだ。


「……はぁ、はぁ……」


 ユートは額の汗を拭い、現状を認識しようと努める。

 悪夢の残滓がこびりついているが、ここは現実だ。


「……どういう状況だ、これは」

「うなされていたわよ。大丈夫?」

「魔力供給のために添い寝してあげてたのよ。感謝なさい」


 当然のようにベッドにいる二人に、ユートは頭を抱えた。


「……看病の礼は言う。だが、離れてくれ。狭くてかなわん」


 ユートが身じろぎすると、リリィが不満げに眉を寄せた。


「エヴァ、私は魔力を譲渡してあげないとダメなのだから、あなたがどきなさい」

「はぁ? アーデ、彼が起きたんだからもう譲渡は必要ないでしょう? それにあなたが先に潜り込んだんだから、あなたが譲りなさいよ」


 バチバチッ。

 ユートを挟んで、至近距離で二人の視線が火花を散らす。

 だが、ユートはそれを無視してベッドから降りた。

 個人的な感傷や、彼女たちのポジション争いに付き合っている時間はない。


「街の状況を確認してくる」

「ちょっと、まだ休んでなきゃダメよ!」

「トピア、待ちなさい!」


 制止を振り切り、立ち上がろうとした瞬間。

 足元がふらついた。


 ガクッ。


「っと……」


 壁に手をついて支える。

 身体の芯に、鉛のような重さが残っていた。

 リリィがその様子をじっと見つめ、確信めいた視線を送る。


                ◇


 場所は変わり、上層にある『商人ギルド・ネムレス総本部』。

 豪奢なシャンデリアが輝くロビーは、怒号と罵声に包まれていた。


「ふざけるな! あの名札のせいで死にかけたぞ!」

「『聖なる守り』だと? あれは『魔物の餌』じゃないか!」


 詰めかけたのは、昨夜の恐怖を味わった貴族や富裕層たちだ。

 彼らは手に手に「名札」を持ち、カウンターの役人たちに詰め寄っていた。


「お、お待ちください! あれは勇者様が……勇者様がそう仰ったので……!」


 対応に追われる恰幅のいい役人が、脂汗を流しながら言い訳をする。

 だが、通用しない。勇者はもういない。

 怒りの矛先は、それを高値で売りつけた「仲介者」に向かっていた。


「責任を取れ! 金も返せ!」

「ええい、うるさい! 我々は被害者だ! 文句があるなら勇者に言え!」


 役人が逆ギレしかけた、その時だった。


「――俺がいない間に、随分と賑やかじゃねぇか」


 ドスの利いた低い声が響き渡った。

 入り口に立っていたのは、顔の左半分を不気味な仮面で覆った、長身の男だった。

 その背後には、武装した護衛たちが控えている。


「ギ、ギルド長……!?」


 役人の顔色が真っ青になる。

 この街の経済を牛耳る男、『仮面のギルド長』の帰還だ。


「あ、あなたがいてくだされば! こいつらが理不尽な難癖を……」

「黙れ」


 ドガッ!!

 ギルド長は無造作に歩み寄ると、役人の腹を革靴で蹴り飛ばした。


「ぶべっ!?」

「俺がいない間に何勝手なことしてんだ、この豚は?」


 ギルド長は転がった役人を冷ややかに見下ろした。


「勇者の名札だ? そんな怪しげなもん、俺が許可した覚えはねぇぞ」

「ひ、ひぃぃ……! で、でも、儲かると……」

「その欲が、顧客の信用をドブに捨てたんだよ」


 ギルド長は貴族たちに向き直り、深々と頭を下げた。


「皆様。ウチの馬鹿がご迷惑をおかけして申し訳ありません。この不始末は、組織の長として私が責任を取ります」


 その潔さに、怒り狂っていた貴族たちが毒気を抜かれる。


「この豚の全財産を没収し、売り払ってでも代金は返金させます。さらに、お詫びを兼ねて……今後一ヶ月、当店が扱う高級品、宝飾品、希少な食材など、すべてを『二割引』で提供させていただきます」

「に、二割だと!?」

「ええ。皆様の傷ついた心と、失われた平穏を癒やすための一助となれば幸いです。……これで、手打ちにしていただけませんか?」


 ざわめきが広がる。二割引となれば、返金以上の利益だ。

 ギルド長は仮面の下で、計算高く笑っていた。


                ◇


 一方、ふらつく足で宿を出たユートは、冒険者ギルドへと向かっていた。

 受付嬢に顔を見せるなり、彼女は驚いたように目を見開いた。


「ト、トピアさん!? 大変です、あなたに『指名』が来ています!」

「指名? 魔物討伐なら今は……」

「違います! 『商人ギルド長』からです! 至急、上層の本部に来てほしいと……」


 周囲の冒険者たちがどよめく。

 あの街の帝王とも呼ばれる男からの呼び出しだ。

 前代未聞の事態に、ユートは眉一つ動かさず、指定された場所へと向かった。


 上層、商人ギルド本部。最上階の執務室。

 コンコン。


「入れ」


 中から聞こえた声に、ユートは既視感を覚えた。

 扉を開けると、そこには仮面をつけた男が革張りの椅子に座っていた。


「よう。昨夜は大活躍だったそうだな、結界師殿」


 男はそう言いながら、懐から安物の葉巻を取り出し、火をつけた。その独特の紫煙の匂い。そして、人を食ったようなニヤついた笑み。

 仮面の下の素顔を見なくとも、正体は明白だった。


「……アンタか」


 ユートは短く答えた。

 男は立ち上がり、ユートの前に歩み寄った。


「お前たちのおかげで、俺の街で好き勝手やってた馬鹿どもを一掃できた。それに、この街のルールも徹底することができそうだ」

「礼を言われる覚えはない。俺は自分の仕事をしただけだ」

「ハッ、いい目だ。……お前たちは恩人だ。この街にいる限り、俺の権限で最大限の便宜を図ってやる」


 ギルド長は右手を差し出した。

 ユートは一瞬躊躇ったが、その手を握り返した。がっちりとした、商人の手だ。


「……で? 呼び出したのは礼を言うためだけじゃないだろう」

「話が早くて助かる。……『最後の仕上げ』があるんだが、頼まれてくれねぇか?」


                ◇


 昼下がりの広場。

 そこには、冒険者や市民たちが集まり、不安げにざわめいていた。

 誰もが手に、例の「名札」を持っている。


「俺たちは騙されていたのか?」

「勇者は俺たちを殺す気だったのか?」


 壇上に、仮面のギルド長と、その隣にユートが並んで立った。

 ギルド長は、割れた名札を高く掲げた。


「聞け、ネムレスの住民たちよ!」


 第一声から、よく通る声が響き渡る。


「勇者サマは『善意』でこれを配ったらしい。魔除けになると信じてな。……だが、その中身は魔物を呼び寄せる『餌』だった!」


 どよめきが走る。

 ギルド長は隣のユートを親指で指した。


「昨夜、最前線で魔物を食い止めたこの男が、それを証明してくれた」


 ギルド長の言葉に、聴衆の視線がユートに集まる。


「……おい、あいつ、昨日地下で戦ってた奴じゃねぇか?」

「ああ、間違いない……!」


 ユートへの視線が変わる。侮蔑から、畏怖と称賛へ。


「勇者に殺すつもりはなかったのかもしれねぇ。だが結果は火を見るより明らかだ! 無知な馬鹿が火薬をおもちゃとして配り、そして我がギルドの腐った連中が、それを知りつつ売り捌いた!」


 ギルド長は芝居がかった動作で天を仰いだ。


「すまねぇ! 俺がもっと早く帰還できていれば……。これをあくどく売ってた連中は、さっき全員処分した!」

「なっ……全員!?」

「ひぃっ、相変わらず容赦ねぇ……」


 市民たちの間に戦慄が走る。この男なら本当にやりかねないという恐怖と、悪を一掃したという安堵。

 ギルド長はニヤリと笑った。


「詫びを兼ねて、しばらくの間、ウチの商品はすべて一割から二割、安く売らせてもらう! 文句があるなら俺が聞く! だがその前に――」


 ギルド長は、手にした名札を地面に叩きつけた。


 パァンッ!!


 乾いた音が響く。


「こんなふざけた道具アイテムは、もういらねぇだろ?」


 静寂。

 ギルド長は両手を広げ、市民たちに呼びかけた。


「俺たちに必要なのは、怪しげな守りなんかじゃねぇ。この街の『風習ルール』だ! みんな! 以前のように、やろうぜ!!」


 その言葉が、導火線となった。


「そうだ……こんなもん、いらねぇ!」

「死にかけてたまるか!」


 カラン、カラン、パリーン!

 次々と名札が投げ捨てられる。

 感謝の対象だったはずの「勇者の証」が、今や憎悪の対象となり、瓦礫の山となって積み上がっていく。


「燃やせ! 偽りの守りなんて燃やしちまえ!!」


 松明が投げ込まれた。

 ボォォォォッ!!

 積み上げられた名札の山が、激しく燃え上がる。

 パチパチと爆ぜる音。立ち昇る黒煙。

 それは、この街を縛っていた「勇者の名」と、それを盲信していた過去との決別だった。


 揺らめく炎を見つめながら、ユートは小さく呟いた。


「……これでようやく、この街に『名無し』の平穏が戻るな」


 その横顔は、憑き物が落ちたように穏やかだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ