第7話 嵐の前の晩餐
決断から数刻後、アインの案内で通されたのは、地下水道の奥深くに隠された武器庫だった。
黴臭い通路とは裏腹に、そこには手入れの行き届いた武器や資材が所狭しと並んでいる。
「ここにあるもんは好きに使え。ギルドの備蓄だが、死んでからじゃ墓場にも持っていけねぇからな」
「助かる。遠慮なく使わせてもらう」
ユートは棚を物色し、まずは矢の束を手に取った。
隣でシルフィが不安げに眉を寄せる。
「……数が足りないわね。向こうは数千、下手したら万単位よ? これじゃあっという間に弾切れになるわ」
「物理的な本数で張り合うつもりはない。質を変える」
ユートは矢筒を一つ手に取ると、作業台に広げた。
そして指先に青白い魔力を灯し、矢筒の底と矢の表面に微細な術式を刻み込んでいく。
「定義変更。――複製、魔力置換、風属性付与」
術式が完成すると、矢筒に入った一本の矢が淡く発光し始めた。
「シルフィ、この矢筒にお前の魔力を流し込んでみろ」
「え? うん……こう?」
彼女が恐る恐る手をかざすと、矢筒の中で光が分裂し、実体のない「風の矢」が次々と生成された。
「すごい! 矢が増えた!?」
「『無限矢筒』に改造した。お前の精霊魔力を触媒にして、一本の矢をオリジナルとして無限に複製弾を撃ち出せる。これなら物理的な残弾を気にせず、連射が可能だ」
「トピア……あなた、本当に何でもできるのね」
シルフィが呆れたように、しかし頼もしげに矢筒を抱きしめる。
「次は俺の番だ」
ユートは自身のステータスを確認する。
現在の魔力残量は四割。アッシュワルドでの戦闘と長旅の消耗が響いている。自然回復を待っていては、一週間後の決戦には間に合わない。
「アイン、マナポーションはあるか?」
「下級のが山ほどある。質は悪いがな」
アインが木箱を蹴り開けると、赤黒く濁った液体が入った小瓶が大量に転がっていた。安物の回復薬だ。
「――【解析】、【分離】、【抽出】」
ユートは数十本の下級ポーションを大きな鍋に空けると、結界術でフィルターを作り、一気に濾過・蒸留を始めた。
濁った液体から不純物が取り除かれ、鍋の底には透き通るような真紅の液体だけが残る。
「おいおい……まさか蒸留して『上級』を作りやがったのか?」
「効率化だ。これで回復効率は十倍になる。……だが、これでも足りないな」
精製された上級ポーションを見つめ、ユートは眉をひそめた。これらをすべて飲んでも、回復量は六割から七割といったところ。
今回の作戦は、大規模結界の維持に莫大なリソースを食う。不確定要素が多い以上、万全どころか、限界突破させておきたいくらいだ。
「アイン。この下層に、極端に魔力の高い人間はいないか?」
「あ? 魔力持ちか?」
「ああ。急速充填に使いたい」
ユートの問いに、アインは顎をさすって考え込んだ。
「冒険者はあらかた逃げちまったし、残ってるのは狂信者の馬鹿ばかりだ。……だが、一人だけ心当たりがある」
「誰だ?」
「こっちだ。案内する」
◇
連れてこられたのは、武器庫のさらに奥にある頑丈な「鉄扉」の前だった。かつては重要物品の保管庫か、あるいは独房として使われていた部屋だ。
「……没落した小国の姫君だそうだ。国を焼かれ、闇市場で買い取った貴族の屋敷に囲われていたらしい」
アインが鉄扉の鍵を開けながら説明する。
「先月、暗殺ギルドとしてその貴族の屋敷を襲撃したんだがな。……この娘、ターゲットのベッドでまさに『夜伽』の準備をさせられてたんだよ」
「……なるほど」
「薬で朦朧としてやがったが、殺す理由はねぇ。かといって放置すりゃ『唯一の目撃者』として拷問されるのがオチだ。……寝覚めが悪いんでな、攫ってきた」
アインは悪ぶるように言ったが、要するに助けたのだ。
「なら、なぜこんな所に閉じ込めている?」
「二つ理由がある。一つは、気が強すぎることだ。目を覚ますなり『辱めを受けるくらいなら死ぬ』と暴れだしてな。落ち着くまでここに入れておくしかなかった」
アインは溜息をつき、もう一つの理由を口にした。
「もう一つは、あの厄介な『首輪』だ。特級の『魔力吸収首輪』がついてやがる。吸い取った魔力が飽和しかけていて、いつ暴発するか分からねぇ。……爆弾を抱えてるようなもんだからな、頑丈なここで隔離してるんだ」
扉が開く。
薄暗い部屋の中、簡易ベッドの上に一人の少女が座っていた。
豪奢だが破れたドレス。泥にまみれた銀髪。だが、その双眸は暗闇の中でも鋭く、気高い光を失っていない。
少女の首には、不気味に脈動する黒い首輪が嵌められていた。
ユートは目を見開いた。
首輪は、彼女から吸い取った膨大な魔力を内包し、飽和寸前まで膨れ上がっている。
「……何? ようやく処刑の時間かしら」
ユートが中に入ると、少女が冷徹な声で言い放った。
震えてなどいない。彼女は顔を上げ、ユートを睨みつけた。
「殺すなら早くして。同情も侮蔑もいらないわ」
「殺しはしない。取引だ」
ユートは短く告げ、彼女の前にしゃがみ込んだ。
「その首輪、限界まで魔力を吸っている。このままだといずれお前の命ごと吸い尽くして自壊するぞ。……外したいか?」
「……愚問ね。外せるものなら、自分の腕を切り落としてでも外しているわ。これは呪いよ」
「俺なら腕を落とさずに外せる。……ただし、手順が必要だ」
ユートは彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「俺とお前で『主従契約』を結ぶ。お前の魔力回路を俺に直結させ、首輪に行くはずの魔力を俺がバイパスして吸い上げる」
「契約? ……また、誰かの奴隷になれと言うの?」
少女の目が険しくなる。
だが、ユートは首を横に振った。
「違う。対等な『共犯者』だ。俺はお前の魔力を借りて、この街の災害を食い止める。お前は俺を利用して、自由と力を取り戻す。……それだけだ」
ユートは手を差し出した。
「ここで首輪に殺されるのを待つか。それとも、俺と手を組んで運命に牙を剥くか。……選べ」
少女はユートの手を見つめ、ふっと自嘲気味に、しかし力強く笑った。
「……いいわ。どうせ拾った命、安く売るつもりはないけれど……あなたになら賭けても良さそうね」
彼女はユートの手を握り返した。その掌は、華奢だが力強かった。
「やって。私の魔力、使いこなせるものなら使ってみなさい」
「ああ。貰い受ける」
ユートは詠唱する。
「――【契約執行】」
主従の定義を書き換え、魔力譲渡パスを確立。
「……【強制徴収】」
キィィィィィン……。
高周波のような音が響き、首輪が激しく明滅する。
少女の体内と首輪から、行き場を失っていた膨大な魔力が、新たな契約パスを通じてユートの体内へとなだれ込んでくる。
「くっ……!」
「ぐ、ぅ……ッ!」
少女が苦悶に顔を歪めるが、決して悲鳴は上げない。歯を食いしばり、耐え抜いている。
その精神力に、ユートは内心で舌を巻いた。
そして、最後の一滴まで吸い尽くされた瞬間。
カチャリ。
乾いた金属音が響き、首輪が真っ二つに割れて床に落ちた。
機能を失い、ただの鉄屑に戻ったのだ。
「ふぅ……。充填完了だ」
ユートは息を吐き、立ち上がった。
少女は首元をさすり、自由になった空気を深く吸い込んでいる。
「本当に……外れた……」
「約束通りだ。……余剰分の魔力は、お前の身体に戻しておいた。自衛くらいはできるだろう」
リリィがふう、と息を吐く。
それだけで、彼女の周囲の空間がビリビリと震えた。高密度の魔力が、血管の一つ一つに行き渡っていく証拠だ。腐っても王族。その潜在能力は、シルフィに勝るとも劣らないかもしれない。
ユートは少女を見下ろす。
契約が成立した今、彼女の声は「念話」で届くはずだ。
(……聞こえるか?)
少女がハッとしてユートを見る。
(頭の中に……声が?)
(主従のパスを通した念話だ。この街には『名を奪う蟲』がいる。本名を口にするな。……名乗るなら、この念話の中だけにしろ。俺はトピアだ)
(……なるほど。用意周到なご主人様ね)
少女は不敵に微笑み、心の中で答えた。
(私はリリィ。リリィ・アーデルハイトよ。よろしく、トピア)
(ああ。よろしく頼む)
ユートは名を奪う呪いの圏内にいる以上、真名は明かさない。本名を教えるのは、彼女を連れてこの地獄を脱出した時でいいだろう。
ユートは手を貸し、リリィを立たせる。
だが、ボロボロのドレスは動きにくそうだ。
「その恰好じゃ動きづらそうだな。……どんな服がいい? イメージしろ」
「えっ、いきなり? どういうことかしら……」
「いいから。動きやすい服を思い浮かべろ」
リリィは困惑しながらも、目を閉じて考え込んだ。
「……そうね。これなら、どうかしら」
「決まったか。――【繊維再構築】」
ユートが指を鳴らすと、リリィのドレスが青白い光に包まれた。
ボロボロの布地が分解され、再構築されていく。
数秒後。そこに現れたのは、彼女がイメージしたであろう、動きやすくも気品のある軍服風のドレスだった。
「……あら。素敵ね」
リリィは裾を翻し、満足げに微笑んだ。
その時だった。
「――私はエヴァ」
背後から、凛とした声が響いた。
シルフィが、ゆっくりとリリィの前に歩み出る。
その瞳はリリィを真っ直ぐに射抜き、決して逸らそうとしない。
「トピアの『相棒』よ。よろしくね、お姫様」
ただの挨拶ではない。
そこには『私の場所は譲らない』という、明確なテリトリー主張が含まれていた。
リリィは目を細め、優雅な笑みで応じる。
「あら、ご丁寧に。私は……、トピアの『契約者』よ」
彼女は挑発するように視線を絡ませた。
「私の魔力、彼には必要不可欠みたいだから。……仲良くしましょう、エルフさん?」
バチバチッ。
二人の間に、目に見えない火花が散った気がした。
「……おい、行くぞ」
そんな空気など一切察しないユートが、淡々と背を向ける。
二人はフンと顔を背け合い、しかし遅れることなく彼の後に続いた。
◇
装備と魔力の準備を終えた一行は、決戦の舞台となる『奈落の這い口』へと向かった。
そこは地下迷宮へと続く大穴を覆うように作られた、巨大なドーム状の空間だった。
ズズズズズズ……。
足元の深い場所から、地鳴りのような重低音が響いてくる。
リミットが近い証拠だ。
「急ぐぞ。四隅に『楔』を打つ」
ユートは広場の四方に、特殊な魔力を込めた杭を打ち込んでいく。
これが結界の支点となる。
魔物を閉じ込め、恐怖を増幅させ、不可視の蟲を実体化させるための、大規模複合結界の準備だ。
「これで舞台は整った」
最後の楔を打ち終えた時、ユートの手にはじっとりと汗が滲んでいた。
この地下には、地獄が詰まっている。
◇
準備を終えた一行は、アインたちが用意した仮設のセーフハウスに戻った。
束の間の休息。
テーブルには、備蓄庫から持ってきた干し肉と、固焼きのパン、そして水が並べられている。
「んっ……おいしい」
シルフィが干し肉を噛み締めながら、ほっとしたように息を吐く。
リリィも、出されたパンを優雅な所作で口に運んでいた。どれほど落ちぶれても、その芯にある気高さは消えていない。
「中層の酒場でも食べたけど……あの時は周りが怖くて、味なんてしなかったから」
「ああ。狂信者に囲まれての飯は、砂を噛むようなものだからな」
ユートも同意してパンをかじる。
昨日の酒場での食事は、栄養補給という作業でしかなかった。だが今は、こうして静寂の中で、信頼できる相手と食事を摂れている。
「ねぇ、トピア」
不意に、シルフィが真剣な眼差しを向けてきた。
「私、今回はあなたの『盾』になるわ」
「盾?」
「うん。前の国では私も戦ったけど……今回はあなたが結界に集中しなきゃいけないでしょ? だから、あなたの背中は私が絶対に守る」
彼女の瞳に、迷いはなかった。
ただ守られるだけの存在ではない。また、自分の力を誇示するためでもない。
パートナーの役割を理解し、背中を預け合う覚悟。
「……ああ。頼りにしている」
ユートは短く答えた。
そして、傍らのリリィに視線を向ける。
「お前は病み上がりだ。アインたちと共に後方で待機してくれ」
「……不服ね。私だって戦えるわ」
「分かっている。今、俺の魔力は満タンだが、維持コストがでかい。万が一、俺が枯渇した時の『保険』が必要だ」
ユートは諭すように言った。
「その時、お前から魔力を貰い受ける。言わば俺の『生命線』だ。……ここで倒れられたら困る」
「……なるほどね。私があなたの最後の切り札ってわけ?」
リリィは悪い気はしなかったようで、ふふっと笑った。
「分かったわ。後方で待機しておくわ」
◇
そして、運命の時刻が迫る。
日付が変わる少し前。
ユートたちは『奈落の這い口』の前に立っていた。
「準備はいいか?」
アインが部下たちに号令をかける。
シルフィも弓を構え、精霊に呼びかける準備を整えた。
「……いよいよ開演だ」
遠くで、日付が変わる鐘の音が聞こえた気がした。
九十日目。
呪いの発動と、黒の噴出が重なる瞬間。
ズドォォォォォォォォンッ!!
腹の底に響くような爆音と共に、広間の奥――地下迷宮へと続く暗黒の横穴から、圧縮された瘴気が噴き出した。
これまで「撒き餌」によって堰き止められていた魔物の津波が、一気に決壊したのだ。
それと同時に、数万の魔物が、飢えた獣のようにこちらへ雪崩れ込んでくる。
最悪の夜が始まった。
だが、ユートの唇には獰猛な笑みが浮かんでいた。
「ああ。勇者の尻拭いにしては、派手な祭りになりそうだ」
ユートが両手を広げる。まずは、蟲を招待するための狼煙を上げる。
「始めようか。――広域指定結界・【深淵封鎖】、展開」




