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第4話 虚飾の平穏

 自由都市ネムレス、中層。

 冒険者ギルドの重厚な扉を押し開けると、そこには奇妙なほど穏やかな空気が流れていた。

 荒くれ者たちの怒号も、血の匂いもない。まるで休日のカフェテリアのような、和やかな談笑が満ちている。


「……なんだ、ここは」


 ユートは眉をひそめ、真っ先に依頼掲示板へと向かった。

 そこに貼られている羊皮紙の山。

 『薬草の採取』『荷物の運搬』『迷い猫の捜索』『屋根の修理』……。


「ないわね」


 隣でシルフィが小声で呟く。

 そう、本来なら冒険者の飯の種であり、掲示板の七割を埋め尽くすべき依頼――『魔物討伐モンスターハント』が一枚もないのだ。


「すみません」


 ユートは受付カウンターへと向かった。対応したのは、藍色の髪をした若い受付嬢だ。彼女の胸にも、しっかりと光る名札がついている。


「はい、ようこそ冒険者ギルドへ! 本日はどのようなご用件ですか?」


 彼女は営業用スマイル全開で応対した。その笑顔は完璧すぎて、どこか張り付いているようにさえ見える。


「掲示板を見たんだが、討伐依頼が一枚もない。貼り忘れか?」

「いえいえ! 貼り忘れではありませんよ。現在、このネムレス周辺では魔物の被害が『ゼロ』なんです!」


 受付嬢は誇らしげに胸を張った。


「すべては勇者ザスター様が考案された『勇気の名札』のおかげです! あの聖なる光が魔物を遠ざけてくれるので、市民も冒険者も安心して暮らせるようになりました」


 ユートは目を細める。

 この土地は、巨大な縦穴にへばりつくように作られた階層都市だ。地形的に「陰の気」が底に溜まりやすい構造をしている。魔物がゼロなどあり得ない。


「本当にゼロなのか? 地下からの湧き上がりもあるだろう」

「ええ、本来ならそうなんです。……実を言うと、今の時期は『黒の噴出ブラックアウト』のシーズンなんですが、それすら起きていないんですよ!」

「『黒の噴出』?」


 聞き慣れない単語に、ユートが眉を上げる。

 受付嬢は得意げに説明を始めた。


「はい、このネムレス特有の災害現象です。断崖絶壁に囲まれたこの街の底に、地脈の『陰の気』が限界まで溜まり、地下迷宮から魔物が津波のように這い上がってくる……本来なら、街中が厳戒態勢になって、総動員で間引きを行う時期なんです」


 彼女はそこで言葉を切り、ウフフと笑った。


「でも、今回は大丈夫なんです! 名札の効果で魔物が地上に出てこられませんから、噴出自体が抑え込まれているんですよ。おかげで私たち職員も、残業続きだったこの時期に毎日定時で帰れてるんです! もう勇者様には感謝しかありません! アフターファイブ最高!」


 受付嬢は両手を挙げて万歳した。

 狂っている。

 抑え込まれたエネルギーが消滅するわけではない。出口を塞がれた圧力鍋がどうなるか、想像もしていないのだ。


「……分かった。ところで、その勇者はまだこの街にいるのか?」

「ええ、いらっしゃいますよ。上層の特別区画に滞在されています」

「会いたいんだが」

「うーん、一般の方の面会は……『商人ギルド』発行の紹介状と、一口金貨百枚からの『活動支援金けんきん』が必要になりますねぇ」


 受付嬢は申し訳なさそうに、しかしきっぱりと言った。


「それに、今は商人ギルド様との重要な『商談』の最中でして。なんでも、今後の旅に使う特別な乗り物の手配とかで、一般の面会はすべてお断りされているんです」


 ユートは即座に「そうか」と切り上げた。

 金貨百枚に、商人ギルドとの商談。正規ルートでの接触は不可能に近い。


                ◇


 ギルドに併設された酒場エリア。

 ここもまた、異様な熱気に包まれていた。


「勇者様に乾杯!」「俺たちの名前に乾杯!」「もう怯えなくていいんだ!」


 ジョッキをぶつけ合う男たちの目は、酒の勢いだけではない、宗教的な陶酔に濁っている。誰もが胸の名札を見せびらかし、英雄を称える歌を口ずさんでいる。


「……なんか、怖い」


 シルフィが身震いする。

 かつて彼女は勇者を盲信していたが、外側から見る「信仰」の姿は、あまりに異様でグロテスクに映ったようだ。


「空いてる席を探すぞ」


 ユートは喧騒を避け、壁際のテーブル席を確保した。

 とりあえず食事だ。腹が減っては思考も鈍る。

 運ばれてきたのは、ネムレス名物の『大穴キノコのシチュー』と厚切りのベーコン。


「ん……おいしい」


 シルフィがシチューを頬張り、少しだけ表情を緩める。

 だが、その安らぎも長くは続かなかった。

 すぐ近くの席から、下品な嘲笑が聞こえてきたのだ。


「ギャハハハ! おい爺さん、またその話かよ!」


 見れば、真新しい装備に身を包んだ若い冒険者グループが、一人の老人を囲んで馬鹿にしていた。老人の装備は古く傷だらけで、唯一、胸に「名札」をつけていない。


「だから言っただろうが! 地下迷宮ダンジョンで魔物に殺されかけた? そりゃあアンタ、名札をつけてねぇからだ! 長年やっててボケちまったんじゃねぇのか?」

「ち、違う……! わしは見たんじゃ! 名札をつけた奴らが、暗闇から伸びてきた『何か』に引きずり込まれるのを……!」

「はいはい、幻覚乙! 勇者様の名札は絶対なんだよ! さっさと引退して田舎に帰りな!」


 若者の一人が老人の肩を突き飛ばし、仲間たちとハイタッチを交わす。

 老人は悔しそうに唇を噛み、小さく震えていた。


 ユートは無言でシチューを飲み干し、若者たちが店を出て行くのを待ってから、老人の席へと移動した。


「隣、いいか」

「……なんだ、若造。またわしを笑いに来たのか」

「いや。俺たちも名札は買わない主義だ」


 ユートは追加で注文したエールを老人の前に置く。


「奢るよ。さっきの話、詳しく聞かせてくれ」

「……物好きな奴らだ」


 老人は警戒を解き、ポツリポツリと語り始めた。

 夜中、マンホールや井戸の底から、何かがズルズルと這い回る音がすること。名札をつけて夜遊びに出た若者が、忽然と姿を消していること。


「魔物が寄り付かない? 違うな。奴らは『下』で待ち構えてるんだ。名札の光につられて、穴に近づいた人間を引きずり込んでるに違いねぇ……」


 老人の証言は、ユートの推測を裏付けるものだった。

 やはり、「黒の噴出」は止まっていない。地下で圧縮されているだけだ。


「ありがとう、爺さん。いい情報だった」


 ユートは銀貨を数枚テーブルに置き、席を立った。

 すぐに行動すべきだ。まずは下層へのルートを確認し、地下の状態を直接観測する必要がある。


 再び受付に戻ると、そこには『本日の業務は終了しました』という札が無慈悲に掲げられていた。

 カウンターの奥では、先ほどの受付嬢が「定時だー!」と歓声を上げて帰宅準備をしているのが見えた。


「……チッ」


 ユートは舌打ちした。

 ギルドを通さずに勝手にダンジョンに入れば、それこそ犯罪者扱いだ。今は目立つわけにはいかない。


「仕方ない。今日は宿を取るぞ」


                ◇


 ギルド近くの宿屋。

 ユートはカウンターで鍵を受け取り、階段を上がっていく。

 シルフィが不満げな顔でついてくる。


「ねぇトピア。なんで一部屋なの?」

「経費削減だ。この街の物価は上がっているからな」


 ユートは悪びれもせず答える。

 アッシュワルドでの報酬はあるが、今後どれだけ旅が続くか分からない。削れるところは削るのが鉄則だ。


「それに、ツインの部屋が空いていなかった。ダブルベッド一つなら安く済む」

「いやいやいや! 安く済むとかじゃなくて!」


 部屋に入った瞬間、シルフィが抗議の声を上げる。

 そこには、確かに大きめのベッドが一つ鎮座していた。


「私たち、男女よ? 分かってる?」

「分かっている。だから交代で見張りをする必要もない。俺が結界を張れば、ベッドの真ん中で空間を断絶できる」

「そういう物理的な問題じゃなくて! デリカシーとかムードとか、あるでしょ!」


 シルフィが頬を膨らませる。

 ユートは既に上着を脱ぎ、装備の点検を始めていた。


「文句があるなら床で寝ろ。俺はベッドを使う」

「うぅ~……この朴念仁! 絶対、結界解かないでよ!?」

「安心しろ。音も遮断するから、いびきも聞こえん」

「私はいびきなんてかかないわよ!」


 シルフィは諦めたように肩を落とし、ベッドの端に腰掛けた。

 ユートは無言で指を鳴らし、ベッドの中央に薄い光の膜――【物理遮断結界】を展開した。これで互いの体温も接触も伝わらない。完全な壁だ。

 色気も何もない夜が更けていく。


                ◇


 その頃。

 上層、商人ギルドのVIPルーム。


「おお……! 素晴らしい!」


 勇者ザスターは、窓の外に係留された「それ」を見て、感嘆の声を上げていた。

 全長二十メートルほどの小型飛行船。純白の流線型ボディは継ぎ目がなく、古代の未知の素材で作られている。翼はなく、魔力による反重力機関で優雅に浮遊していた。


「古代文明の遺産、浮遊艇でございます。発掘されたばかりの極上品ですよ」


 商人ギルドの長が、揉み手で説明する。

 その顔には、カモから金を巻き上げた満足感が張り付いている。


「これぞ勇者に相応しい乗り物だ! 馬車での移動など、もはや時代遅れだからな」

「フォフォフォ、いい買い物をしましたな。これがあれば、次の国へもひとっ飛びじゃ」


 賢者ゲイルも満足げに杖をつく。

 『勇気の名札』の売上金は、すべてこの船の購入費に消えた。だが彼らは気にしない。金など、また稼げばいいのだから。


「操縦は少々複雑ですので、当ギルドから専属の操舵師をつけさせていただきます」

「うむ、助かる。我々はVIPだからな」


「名前はどうされますか?」

「そうだな……。この穢れなき白さ。我々の正義の象徴だ」


 ザスターは陶酔した瞳で、船を撫でた。


「『高潔イノセント・箱舟アーク』と名付けよう」


「よし、出発だ! この街はもう救われた。我々の助けを待つ次の人々が呼んでいる!」

「はっ! ザスター様、一生ついていきます!」


 夜の闇に溶けるように、純白の船は音もなくネムレスの上空へと舞い上がった。

 針路は南東。新たな「救済」を求めて、勇者は飛び去っていく。

 足元で煮えたぎる地獄を置き去りにして。


                ◇


 翌朝。

 ユートとシルフィは、開店と同時に冒険者ギルドへと足を運んだ。


「いらっしゃいませ~! あ、昨日の!」


 受付嬢は今日も元気だ。その第一声は、興奮に満ちたものだった。


「お二人とも、昨日の夜空見ました!? 白い空飛ぶ船に乗って出発されたんですよ! 南東の方角へキラキラ~って!」


 彼女はうっとりと両手を組んで天井を見上げる。


「私たちを救って、見返りも求めずにまたすぐに次の街へ……。本当に神様みたい! 一生ついていきたいですぅ!」


「……そうか。発ったか」


 ユートは短く返す。

 商談というのは、古代遺物のことだったのか。


「それで、今日はどういったご用件で?」

「下層へ行きたいんだが、どうすればいい?」

「えっ? 下層へ?」


 受付嬢がキョトンとした顔をする。明らかに「何しに行くの?」という顔だ。


「あそこはスラム街ですし、今は立ち入り推奨されてませんけど……。それに、勇者様のおかげで下層に魔物は出ませんよ?」


 普通の冒険者なら行く理由がない。

 その不審な視線を感じ取り、ユートは表情一つ変えず、用意していた「建前」を繰り出した。


「……『聖地巡礼』だ」

「はい?」

「勇者殿が魔物を殲滅したという伝説の場所を、この目で見ておきたいんだ」


 ユートは流れるように嘘を並べる。  受付嬢は「まあっ!」と目を輝かせた。


「勇者様のファンだったんですね! 分かりました、そういうことなら特別です! 『聖地巡礼』という名目で調査許可証を出しますね!」


 チョロい。

 ユートは内心で安堵しつつ、ペンを走らせる彼女へ、さらに問いを重ねる。


「それともう一つ。……この土地の伝承について、正確な記述を確認したい」

「伝承、ですか?」

「ああ。『名を名乗らない』という風習の由来だ。あれは正確には、どういう言い伝えなんだ? 発生条件や、予兆などはあるのか?」


 ユートはあくまで「分析」のために詳細な定義・・を求めた。


「えっと……確か、『真名を口にした者は、九十日後に地中から現れる【名を奪う蟲】に魂ごと食われる』……ですね」

「……九十日?」

「はい。何が原因か分かりませんが、名前を知られてからきっかりその日になると、蟲が急に湧いて襲ってくるそうで。だからみんな怯えてたんですね」


 彼女は誇らしげに胸を張った。


「でも、勇者様が一網打尽にして倒してくれたので、もう安心なんです! みんなそこから名札をつけ始めたんですよ」


 ユートの背筋に冷たいものが走る。

 倒した? あの老人の話では、まだ終わってないはずだ。あいつが倒したのはおそらく、下層に出てきた雑魚を散らしただけだろう。


「……勇者が『解決』してから、今日で何日目だ?」

「えっと……確か三ヶ月前くらいに来られたので……あ、もうすぐですね! あと一週間でちょうど九十日になります!」


 受付嬢は無邪気に笑った。


「はい、調査許可証になります。どうぞ」


 手渡された許可証。

 そこには、危険度ランクF(最低ランク)のスタンプが押されていた。

 ユートは無言で許可証を受け取ると、シルフィの腕を引いて早足で出口へ向かった。


「ちょ、ちょっとトピア? 痛いってば!」

「急ぐぞ。状況は最悪だ」


 ユートは小声で、しかし切迫した口調で告げる。


「九十日という数字が、蟲の『孵化』か『休眠サイクル』かは分からない。だが、それがもし正確な『時限装置タイマー』だとしたら……」


 勇者の介入で名札をつけた市民たち。

 彼らが一斉に名前を晒してから、まもなく九十日が経過する。

 それはつまり、都市規模の時限爆弾のスイッチが入る瞬間だ。


「あと一週間しかない。それまでに『核』を見つけないと、この街は終わる」


 二人は大階段を降り、薄暗い下層へと足を踏み入れた。

 足元の地面からは、まだ音は聞こえない。

 だが、その静寂こそが、破滅へのカウントダウンであることを、ユートだけが理解していた。

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