4. 架橋世界へようこそ
「うーん。マジでー?」
唸りながら魔法使いは自分の眉間に人差し指を刺した。色々と話したハルヒサの説明に頭を悩ませているようだ。そんな魔法使いを放置して、ハルヒサはとある景色を見るのに夢中になっていた。
二人がいるのは通りから外れたところにある外縁路の一角。都市を囲む市壁の真上にあるこの世界で最も美しい朝日と夕焼けが見れる場所だ。
魔法使いの提案でその場所に連れて行かれたハルヒサは息を飲んだ。落下防止の胸壁から顔を突き出して見えるのは無限の彼方まで続いていそうな都市の風景とそれを覆う雲海だ。
どこまでもどこまでも続いている地平線は、緩やかな弧を描き、紫色の空がその先にあった。平地では決して見られない光景に圧倒され、ふと目を逸らすと雲海の下に何かが見えた。
目を凝らすまでもなく、見えたのは豆粒のような建物が立ち並ぶ都市群だ。円形のお盆に乗った都市が市壁に沿うようにしてどこまでも続いており、それらはいずれも太く幅の広い橋で繋がっていた。
眼下の都市の建物の造りはロンドンの古い街並みに酷似している。石造りのレトロチックな建物、大通りに面した建物と同じような外見である。
いずれの都市も中央には大きな時計塔があり、その屋根の色は青に近い色で固められていた。時計塔を中心として八方向に大通りが伸びているという都市構造も変わらない。
その眼下の都市を覆い隠すように度々雲が流れては街の市壁に衝突し、ふわりと溶けるを繰り返した。たちまち雲海が形成され、それは大きく波打ちながら時折市壁を這い、垂直方向へと登っていった。
一度だけ東京スカイツリーの展望室に行ったことがあったが、そこから東京の街並みを一望した時だって、こんな景色は拝んだことがない。いや、地球上のどんな場所でもこんな光景は見れないだろう。
そも、人類が住んでいる場所で雲の上というのが少ない。アンデス山脈とかヒマラヤ山脈みたいな高地に住んでいなければこんな雲海を間近で見る機会はないだろう。
ハルヒサはひとしきり景色の雄大さを堪能した後、魔法使いに向き直った。いつの間にか魔法使いは椅子を用意して、その上に座っていた。だからか、ただでさえ小さい体がいっそう小さく感じられた。
ハルヒサの視線に気がついた魔法使いは彼を見上げる。見上げれば天高く輝く太陽が直射し、眩しそうに彼はフードを深く被り太陽の光を遮った。そして次の瞬間、ハルヒサのすねを小突いた。
「いって」
「それでお兄さん、この景色に見覚えとかはない?」
魔法使いは脛を押さえるハルヒサを無視して、胸壁を指差した。より正確には胸壁の向こう側に広がる別世界を指差した。
「いや、ナチュラルに人を蹴るなよ」
「文句垂れてる暇あるの?どーなの?」
抗議するハルヒサの言葉を無視して魔法使いは質問を重ねる。これ以上文句を言っても無駄だとハルヒサも察し、魔法使いの質問に素直に答えた。見覚えがない、と。
ハルヒサの回答に魔法使いは小さく、そう、とだけ返した。そして考え込むそぶりを見せながら、おもむろにはるか遠くの、街の中心街に聳え立つ青い屋根の時計塔を指差した。あれはなんだ、と聞く魔法使いに、ハルヒサはわからない、と答えた。
「うーん。話半分だったけど、お兄さん本当にわけわかんないね」
「だーかーら。言ったでしょ、異世界人だって」
「それ、冗談とかじゃなかったんだ。いや、素直に信じるのはちょっと難しいんだけど」
魔法使いは困ったように顔をしかめる。逡巡するそぶりを見せ、一分と少しの時間が経った頃、彼は決意したような表情を浮かべ、腰掛けていた椅子から立ち上がった。
「よし。とりあえずお兄さんの発言は信じよう。下の景色に見覚えも、あの塔がなんのかも知らないってのが嘘って言うのはちょっとありえないからね」
パンと合掌し、魔法使いはハルヒサを見上げる。拝まれているようでハルヒサは落ち着かなかったが、とりあえず目の前の頼りになる小さな魔法使いが自分の発言を信じてくれたことに安堵できた。
この世界に来て、初めて心から一息つけた気がした。この世界に転移してからもう二時間以上が経過しているが、ずっと驚きの連続で、落ち着ける機会なんてなかった。そんな中にようやく訪れた安寧の瞬間を噛み締めようとした矢先、不意に小さい魔法使いは彼の脛を再び蹴り上げた。
「あんぎゃ!」
「話聞いてる?とりあえず、歩きながらこの世界の常識っていうか、まぁ必要な知識を教えてくけどいい?」
「いや、それなら呼んでくれれば」
「お兄さん、呼んでも答えないんだもん」
だもんじゃねーよ、と悪態づくが魔法使いは気にするそぶりを見せず、踵を返して歩き出した。置いてかれてはたまらない、とハルヒサはその後に追随した。
「——まず、お兄さんに知ってもらいたいのはこの星のこと。さて、お兄さん。お兄さんは外の景色を見てどう思った?」
胸壁の方向を指さし、魔法使いはその向こうにある景色の感想を求めた。素直にハルヒサは感じたことを告げる。
「すごい景色だな、とは思ったぞ。なんていうか、メカメカしいっていうか」
「メカメカってのがどういう意味かはわかんないけど、まぁ初見時の反応なんてそうだよね。俺も最初に見た時はそんな感じだったし」
魔法使いは後頭部をかきながら、ため息を吐いた。
「お兄さんが見たのはこの星『メタ・スドラ』の第二層である人界だよ。この星の住民のほとんどはあの盆の上の都市に住んでるんだ」
「へー。って、あの盆の上に!?いや、街があったからそうなんだろうなとは思ったけどさ!」
「この世界の人間にとっちゃ常識だよ。その感じからするとお兄さんの世界は違うの?」
「いや、俺らはちゃんと地に足をつけて生きてるよ。こんな高いところに住んでるのなんて少数だし、そもそもそいつらだってこんなめちゃくちゃ発展した都市には住んでないよ」
「へぇ、地に足、ね」
くるりと振り向き、後ろ足になる魔法使いの瞳にはかすかな羨望が宿っていたように見えた。なんでだろう、と首を傾げるハルヒサはそのことを聞こうと思ったが、すぐに説明を再開した魔法使いの言葉によってそれは遮られた。
「そんでもって俺達が今歩いてるこの都市は陸都の一角であるマウト。メタ・スドラの第一層にある街だよ」
「さっきから気になってたんだけど、第一層とか第二層ってなんなんだ?一階、二階みたいなもんか?」
「ん?ああ。そうか、そこから説明しないとか。えーっとね」
ハルヒサの疑問に答えるようにして、魔法使いはローブの袖口からメモ帳とペンを取り出し、そこに図を描き始めた。そして描き終わると振り返り、ハルヒサにメモ帳を手渡した。
手渡されたメモ帳にハルヒサは視線を落とす。白い横線のないメモ帳には楕円が描かれ、それを十字に切るようにして二つのリングが書かれていた。
「まず楕円形がメタ・スドラね。そしてそれを囲んでいる二つ輪が陸都をつなぐ十二本の橋だよ」
「てことは交点のところにこの街があるのか?」
「お。飲み込みが早いな。そういうこと。さっき俺が言った人界ってのはこの陸都什二橋に沿って広がってるんだ。ああいう都市構造を盤上都市って言うんだ。」
陸都とは惑星の惑星の赤道と子午線の上に建てられた橋の交点に建設された六つの都ということだ。そしてこの惑星のそれ以外の都市は陸都と十二ある橋に沿って建てられているという話だ。
陸都もまた盆の上にある。そしてその陸都同士をつなぐ巨大な十二の橋の上にも街があり、さらに下層の人界と呼ばれる無数の盤上都市もまた橋でつながり、その橋の上にも都市がある。
あまりにも壮大な話にハルヒサはめまいを覚えた。ファンタジーな世界かと思ったらだいぶSFな世界だったこともそうだが、もしこんなことを地球でやろうものなら、一体何年かかるのかわからない。機械文明がどれだけ発達する必要があるのかもわからない。とにかく途方も無い話だ。
だからついつい、どれぐらいの年月がかかったんだよ、とこぼしてしまった。それを質問と捉えたのか、魔法使いは「知らねー」と返した。
「誰がこんな世界を作ったのかはわかってるけど、その年月は不明さ。多分、途方も無い年月だろうね」
「そりゃあな」
改めて市壁から見下ろす盤上都市は途方もなく大きく、広い。それよりもさらに大きいマウト市を振り返り、造るのに費やした労力、時間、技術、金銭を算定するだけで頭が痛くなりそうだ。
盤上都市は橋によって繋がっている。その橋にも小さな都市があり、まさしく橋と都市が一体化した世界だ。橋が架けられる度に新たな都市が生まれ発展していく。
架橋世界。そう呼ぶのがきっと適当なのだろう、と思いながらハルヒサはふととある疑問が浮かび、魔法使いにねぇ、と話しかけた。
「そういえば俺は君に名前を言ったけどさ、君の名前は聞いていないんじゃない?」
ハルヒサの問いに、そうだっけ、と真顔で魔法使いは返す。自覚がないようで、念押ししてハルヒサは言ってない、と繰り返した。さすがにこう言われては魔法使いも自分の記憶に自信がないのか、ごめんごめん、と謝罪し、改めてハルヒサに向き直り、胸を張って名乗りを上げた。
「俺の名前はキスタ。キスタ・アッセンブル!この星にいる数少ない魔法使いにして、稀代の天才小説家!天才推理小説作家のキリー・ギリー・アッシャーとは俺のことだ!」
満面の笑顔でVサインを作りながら、キスタと名乗った魔法使いはウインクをする。なんだか面白かったので、すかさずハルヒサはスマートフォンを取り出してパシャっと写真を一枚撮った。撮ってしまった。
後世歴3,895年5月34日、異世界から転移してきた少年、セナ ハルヒサと茜色の魔法使い、キスタ・アッセンブルは運命的に出会った。その出会いが世界を揺るがす大事件を起こすことをこの時は誰も予想しなかった。
——ただ一人を除いて。
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