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32. 入水者に祝福を(God bless you!!)

 「ハルヒサ、ハルヒサー!!もしもーし、生きてますかー?」


 甲高い声によってハルヒサは目を冷ました。目を明け、最初に彼が目にしたのは自分を覗き込むシトラスの顔だった。彼女の結んだ前髪が頬をなでくすぐったかった。


 「シトラス?ここは……?」


 「安心しなー。まだ真柱の境目だよー」


 横たわるハルヒサの隣にシトラスは体育座りをした。そしてとろんとした目で静謐と化した水面を眺めていた。


 「ハルヒサはなんていうか、自殺願望とかあるの?高所から敵と一緒に落ちるとか、バカの所業だよ」


 返す言葉もないとハルヒサは苦笑いする。それでも勝算がない賭けではなかった。


 ガートンが生命の水と呼んだ、黄金の水を被ってもハルヒサは死ななかった。むしろその傷は癒えたほどだ。つまり、高所から落ち、両手両足がへし折れようが、再生する可能性があった。


 ただそれをいざ言うのは憚られた。むしろ、ここは一か八か掛けだったのさ、と変なかっこつけをしたい気分だった。


 ひとしきりの安心を得たハルヒサはそういえば、とあることを思い出した。それは二つあった。


 「ストーリャは?」


 ハルヒサの問いにシトラスが彼から見て左方向を指差した。


 そこにはストーリャが寝かされていた。化け物と化した右腕は変わらなかったが、それでも全身が化け物にはなっていなかった。


 「落ちたんじゃ?」

 「え、泉に?それなら今頃ハルヒサみたいに濡れてるでしょ。きっと、あいつらがギリギリで守ったんじゃない?」


 そう言ってハルヒサの頭上をシトラスは指差した。そこには円を描く、無数の紙の鳥がいた。放浪電算士がハルヒサに付けた、彼の護衛であり、勝負の決め手になったカーバンクルの群れだ。


 彼らは今回の勝利の立役者だ。彼らに命じ、ハルヒサはガートン諸共に天高く引き上げさせ、そして生命の泉に落下させた。そして、ハルヒサは残り、ガートンは水底に沈んでいった。


 一つの疑問が解消し、ハルヒサは次の疑問を口にした。


 「シトラスは、どうやって俺を引き上げたんだ?」

 「そこは紙の鳥に手伝ってもらった。かわいいオレが涙目たっぷりにおねがーいって懇願したら助けてくれたよ?」


 なんだそりゃ、とハルヒサは呆れた。呆れてものも言えないとはこのことだ。色々ともう脳みそが限界だった。


 ——もう何も考えられなかった。


 「あ、そういえばさー」

 「なんだよ」


 「あの大男が戻ってくるってことありえる?重みで沈んだにしても、壁を伝ってくれば戻ってくるかもしれないじゃん」


 そういうこともあるか、とハルヒサは少しだけ停止しかけた脳みそを動かした。


 「なぁ、この湖ってどれくらい深いんだ?」

 「知らない。ものすごく深いってことしか」


 「あっそう。それなら、多分大丈夫だろ」


 それだけ言ってハルヒサは二度寝を始めた。



 ハルヒサが二度寝を決め込み、白い大地で横たわっている中、ガートンはただ一人、まっすぐ黄金の湖を落ちていった。


 ガートンの体重はキロ換算で一トンを超える。彼の持つジェット機構もその巨体を持ち上げるほどではなかった。


 中身を含め、全身ほとんどがマジギアの機械人間、それがガートン・セイルだ。機械人間であるため、呼吸もしない。呼吸などここ十数年していない。だが、それはあくまでも彼の情報の一部分にすぎない。


 断罪教会が征使徒にして、行動礼装「斬鉄行動」の使い手。彼を説明する上で最も正しい表現はこれだろう。


 彼の行動礼装「斬鉄行動」は行うあらゆる動作に「斬鉄」の効果を付与する。この場合の斬鉄とは鉄を切るにとどまらず、あらゆるものを斬るということだ。それを防ぐ手段はない。


 重みで落下していく中、ゆっくりとガートンはその軌道を壁面へと向けていった。湖の淵までだいぶかかるだろうが、落ちるに任せてそのふちに辿り着くことは可能だ。その後は斬鉄行動の力で壁面に傷を入れ、壁を登っていくことを妄想した。


 「待ってろよ、クソガキ。戻って、なぶりごろ、ん?」


 カチャカチャという異音が聞こえた。慌てて首を起こすとその異音の理由に気付いた。


 ガートンの両足がかすかに、だが確実に折れ曲がり始めていた。硬質、頑強な自身の足がゆっくりと折れ曲がっていく光景にガートンは唖然とした。


 加えて残る左手も折れ曲がり始めた。頭部も潰れ始めた。


 「な、なんだ?き、き、き。つ、ぶれる?なんだ、これは呪いか?」


 生命の水の呪い。それがガートンが最初に、そして最後に出した結論だ。沈むにつれ、その体はどんどん小さく、丸まっていった。


 メタ・スドラは海がなくなって久しい。陸都をはじめとした巨大な盤上都市には湖はあるが、その水深は300メートル程度だ。そも、巨大な水たまりを作る理由はあっても、深い水たまりを作る理由がなかった。


 水圧という忘れ去られた概念によって、ガートンは潰されていった。その意識が残る最後の筐体が潰れ、絶叫もなく消えていった。


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