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27. 魔法使いの戦い

 その日、ラスペンサー・デルーデは第1街区の中央警察署の執務室で仕事をしていた。


 今日は朝早くから出勤し、昼が終わる頃までにたまっていた書類仕事を終わらせた。今は昼食を終え、午後の時間の細々とした仕事に精を出していた。


 警察長官としてのラスペンサーの仕事は多岐に渡る。重要書類に目を通し、サインをして認可をすることにはじまり、各所の会議への参加、市議会答弁での答弁書の確認など、行政のトップ層の一人としてラスペンサーがしなくてはいけない仕事は本当に多い。


 それをラスペンサーは決して苦とは思っていなかった。たまに肩が凝ったり、手首が痛むことはあっても、自分の仕事が市井の秩序のためと考えれば、決してきつい仕事とは言えなかった。


 無論、ラスペンサーにも仕事中に会いたくない人間はいるし、それがストレスになることは大いにある。例えば今のマウト市市長だったり、キスタだったりがその対象である。ああいった人の感情を逆撫でし、図々しく他人のパーソナリティゾーンに入ってくる人間がラスペンサーはどうにも好きになれなかった。


 かと言って嫌うというのもまた違う。キスタはともかくとして、今の市長やそれに類する人間を苦手としていることはあっても、嫌うということはなかった。むしろ、こんな自分と距離を詰めようとしてくれるだけ、ありがたく思えたほどだ。


 ラスペンサーは真実、キスタ以外の人間をマウト市を愛していると言ってよい。逆を言えばそれだけキスタがラスペンサーに嫌われているとも言える。十数億の人間と天秤に乗せてもなお、ラスペンサーはキスタが嫌いだった。


 「——だからこそ、踏み絵としては十分か」


 サインをする手を止め、ラスペンサーは何もない空間を、明後日の方向を忌々しげに睨みつけた。


 すでにラスペンサーは決断した。その幼く、中世的な美貌には影が落ち、普段の明るさはなく、日輪の如き金髪の輝きも今は遠く沈んでいた。


 「——よぉ、ラスちゃん。しけた顔してるねー!!」


 バタン、という音と共にドアが飛んできた。それは比喩でもなく、執務室と廊下を隔てる扉を彼の放った衝撃波が吹き飛ばしたのだ。


 その向こう側ではキスタを止めようとしたのだろう、警察署の職員が昏倒していた。目立った外傷はない、キスタが催眠系の魔法を使ったのだろうことがラスペンサーにはわかった。ラスペンサーは顔をしかめた。


 魔法使いはカーバンクルに愛された魔法の寵児だ。実際、辞儀通りの子供なのだが、それはそれとして、魔法に対して彼らは敏感だ。それは魔法や魔術といった魔力を用いた超常現象を察知する能力が高いということだ。


 ラスペンサーが顔をしかめたのは魔法の波動を感じなかったからだ。それはラスペンサーに驚きと同時に、恐怖を覚えさせた。


 ——やろうと思えばキスタは自分を四角から暗殺できるのにしなかったということだから。


 「——キスタ」


 「さんを付けろよ、クソ後輩」


 口元に笑みを浮かべているが、キスタの若葉色の瞳は笑っていなかった。夕暮れの如き悲壮で染まった茜色の髪は、紅蓮の溶鉱炉のごとく燃えたぎり、くっきりと白い額には青筋が立っていた。


 語気は荒く、血潮で錆びたのこぎりを彷彿とさせる。唇の縁から覗かせる歯は血を欲しており、人狼でないにも関わらず、否応なしに見るものに恐怖と畏怖を感じさせた。


 「何か、御用ですか?」


 頬に汗を滲ませ、それでもラスペンサーは平静を装ってキスタとの対話を試みた。


 「——素直になれば、ラス君。怖いですよー、怖いですよーって泣けよ、無様に惨めにガキらしく」


 刹那、キスタは火球を放った。詠唱なく、問答無用だった。


 「つ、『プローテ』!!」


 とっさにラスペンサーは防御魔法を使う。出現したのは紫色の半透明の障壁、キスタが用いるそれとは異なる防御魔法だ。


 爆炎がラスペンサーを包む。炎は終わることなく、数分以上浴びせられた。それはラスペンサーに恐怖を覚えさせるのに十分な時間だ。


 まるでずっと続くかのような恐怖を感じ、ラスペンサーは反撃に出た。取り出したのは黄金色(こがねいろ)の指輪だ。


 「『ルデオラ』!!」


 障壁を解除し、ラスペンサーは雷撃を放つ。指輪から撃たれたのは紫色の雷だ。キスタの放った炎を掻き消し、その向こう側のキスタを穿った。


 雷撃がキスタの胸を穿ちその矮躯が大の字になって床に倒れた。それを見てラスペンサーは自然と笑みをこぼした。


 「ははは。バカめ」


 「それは俺のこと言ってるの?だとしたら、勘がにぶってるんじゃないかな」


 その声はラスペンサーの耳元で囁かれた。直後、ラスペンサーの脇腹を鋭い拳撃が貫いた。


 「ぐ、あ!!」


 もんどりうって椅子から転げ落ちるラスペンサーをキスタは不思議そうに見つめた。キョトンとした様子で脇腹を抑えるラスペンサーを見て、キスタは杖を構えた。


 杖から雷撃が放たれた。赤熱しら雷撃は丸腰のラスペンサーの脇腹を射抜いた。しかし、ラスペンサーが痛がったのは右足のすねだ。攻撃が当たった箇所と実際にラスペンサーが痛がっている箇所がズレていた。


 実際、最初にキスタが狙ったのはラスペンサーの顔面だった。それが意味ありげに脇腹を抑えている事実に、キスタはある可能性に気づいた。


 「あー。なるほど可変じゃないのか。てことは一度大きくなったら元通りってことかな?」


 キスタの問いにラスペンサーは沈黙でもって答えた。それは肯定の沈黙だった。


 「『リギル・ミラージュ』」


 ラスペンサーは脇腹を抑えながら詠唱した。直後、彼の体をガラスのつぼみに似た花が包み、それはその姿を顕現させたと同時に砕け散った。


 砕け散るガラスの破片が塵になる中、ラスペンサーが一歩前に出た。その姿はさっきまでの幼童ではなかった。


 現れたのは長身で肩幅の広い金髪の男だ。歳の頃は30歳ほど、やさしげな瞳の男で、それはラスペンサーのかつての面影を感じさせた。


 子供のころは大きかったブカブカの赤いコートは適したサイズになっていた。そして杖もまた、彼の長躯にフィットしていた。


 「へー。それがラスちゃんの本来の姿か」


 淡々とどうでもいい感想を口にしながら、キスタは距離を取った。口調とは裏腹に大人の姿になったラスペンサーを彼は警戒していた。


 大人になったラスペンサーを子供の姿に見せていたのは彼のカーバンクルの能力だ。おそらくは鏡を用いた虚像の投影なのだろうと予想したキスタは光球を出現させた。


 「なぁ、聞かせてくれよ、ラス君。いや想像してくれよ、ラス君。俺が今なにを考えているかさ」


 ラスペンサーを見上げながらキスタは語気を強くした。なぜなら彼に、いや魔法使いにとって今のラスペンサーの状態は喉から手が出るほど欲しいもので、それを得ておきながら一人のうのうとしているなど、許されなかった。


 例えるなら、五人で宝くじを買って、一人だけ一億円を得てそれを黙っているようなものだ。どれだけ深い関係だろうとクッキーのように綻びるのに十分な裏切りだ。


 「キスタ。これは僕に必要な対価だ。君じゃない。君如きじゃない」


 「言うねー、木端後輩くん。じゃぁ、死ね」


 キスタが浮かばせていた光球を放った。それはある種の熱球だ。太陽ほどではないが、高密度に圧縮された灼熱の火球だ。


 放たれた光球をラスペンサーは紫色の障壁で受けようとする。一瞬の交錯、直後解けるようにして障壁が砕け散った。


 「つっ」

 「溶けちゃえよ!!」


 刹那、ラスペンサーは杖を振るう。杖から半透明の反物のようなものが出現し、それは光球を絡め取り、その軌跡を変えた。道を作られた光球はほの明るい空に向かってすっ飛んでいった。


 キスタはそれを見ても驚かない。むしろそれくらいしてもらわなくちゃ困る、とほくそ笑んで、おしゃべりを始めるほどだ。


 「そういえば、なんでアスクライド・ファミリアを潰したんだ?」

 「は?」


 「おしゃべりだよ、いいだろ」


 杖の構えを解き、キスタは問いかける。その質問に悪意や意図がないことを察し、ラスペンサーは答えた。


 「彼らは失敗した。失敗には報復が必要だ。そして、その失敗とは」


 「おにーさんを逃したこと、じゃないよね。ああ、なるほど」


 そうだ、とラスペンサーは頷き、キスタを睨んだ。


 「キスタ、あなたを関わらせた彼らは即刻叩き潰さなくてはならなかった。事情を知っている可能性があるものは、すべて、ね」


 それを聞き、知りたいことは知れた、と即座に攻撃をキスタは仕掛けた。


 部屋中の影が揺らぐ。揺れ動く影は巨大な影法師を無数に生成し、それは無数の触腕をラスペンサーに向かって放った。


 「『グロプローテ』」


 避けられないと察したラスペンサーは分厚い障壁を展開した。しかしそれはなんの意味もなかった。影は障壁の内側に容易く浸透し、ラスペンサーの体に突き刺さった。


 たまらずラスペンサーは血反吐を吐いた。何が起きたのかわからない、と目を右往左往させる。それを見てキスタはほくそ笑んだ。


 「影を通さないつもりなら、密閉空間でも用意すればー?」


 炎が追撃する。ラスペンサーはそれをギリギリで回避し、ガラスのペンタグラムをポケットから取り出した。


 「来い、『グラスランターン』!!!」


 ペンタグラムが光り、それを中心としてカーバンクルが姿を現す。現れたのは巨大なガラスのイヌホオズキだ。上部には花弁が、下部には果実が現れ、その周り四つの鬼火がぐるぐると旋回していた。


 「カーバンクルの顕現、このクソ狭い室内で?」

 「『ミラミラージュ・ソルラ』!!『ルデオラ』!!」


 無数の鏡が何もない空間に出現する。それ目掛けてラスペンサーは雷撃を放った。刹那、鏡の中に吸い込まれた雷撃が鏡の中から無数に飛び出した。


 キスタはその光景に目を見張る。無数の雷雨に対し、壁を張るか逡巡するが、すぐにそれは無謀、もとい無駄だと断じた。()()()()()だと断じた。


 「『アイスケル』」


 杖を回転させ、キスタは魔法を発動させた。直後、キスタの体を雷撃が射抜いた。しかし、それはキスタの体に傷ひとつ負わせられなかった。正確にはキスタの体を雷撃が通り抜けた。


 その異常な光景にこの日何度目かの驚愕をラスペンサーは覚えた。化け物、化け物と思ってきたキスタの真の化け物っぷりに畏れすら抱いたほどだ。


 「こいつは詠唱しないと能力が使えなくてね。ほんと、へそ曲がりの引きこもり野郎だよ、まったく」

 「『アルデ」


 「『ジンフィガール』」


 超速の炎がラスペンサーを襲う。それをラスペンサーは魔法を介さず、杖で割った。


 「ち、マギリか」


 魔法使いの杖でのみできる魔法を切断する技術だ。基本詠唱程度の魔法にしか効果はないが、魔術師相手であれば無双できる技術である。


 「じゃぁ、これはどう?」


 再び執務室の影が動く。今度は室内の影ばかりではない。鏡に写る影すらキスタは操って見せた。操られた影は鏡の中から這って出てきて、ラスペンサーに向かって押し寄せた。


 「く、またこれか。芸のない」

 「おやおや名実麗しい警察長官様は芸人を誤解してらっしゃる。芸が観たけりゃ金を払え!!最低でも100万ガットくらいさー!!」


 影の手がラスペンサーに突き刺さる。それは鋭く、鋭利で、ラスペンサーの体から血飛沫を垂れ流すのに十分すぎた。


 よろけながら倒れるラスペンサーは忌々しげな目でキスタを睨んだ。それは彼にできる最後の抵抗だった。


 「どーした、どーした。まだまだ俺の手札の五つ、六つしか見せてないぞ?この程度でもう心折れたか、三下後輩」


 余裕綽々とした態度でキスタが近づく。その背後には彼のカーバンクル、見知ったラースクライが瞳に炎を宿らせて顕現していた。その足元にはラスペンサーが顕現させたグラスランターンが敷かれており、苦しげな表情を浮かべていた。


 勝てない、とラスペンサーは即座に判断した。ラスペンサーの所有する83のカーバンクル、そのすべてを用いてもより多くの手札を持つキスタには通用しなかった。


 「さてと。心が折れたところで、三下後輩のラスちゃんに質問だ。質問は二つ、どうやって大人に戻ったのか、何を企んでいるのか。この二つだ」


 さらに脅しをかけるため、キスタは無数の光球を出現させた。それを見て同じように炎を操るラースクライは不愉快そうに唸った。


 「き、きすた、さん」

 「今更、俺をさん呼びか。それで?話すの、話さないの?」


 「は、はなす。話します。だから」

 「はよ、話せ」


 こくこくとラスペンサーは頷く。そして唇を震えさせてキスタの問いに答えようとした。


 刹那、大剣がラスペンサーの胸を貫いた。それはラスペンサーの背後から現れ、その心臓を穿った。


 あまりの光景にラスペンサーも、キスタも目を見開いた。唯一、その場で平静を保っていたのはどこからともなく現れた黒骸布をまとった銀髪の少女だけだった。


 「お前……!」


 「参上です。数時間ぶりですね、嬶衆の魔法使い。ええ、キスタ・アッセンブル。断罪教会が征使徒、ノクターン・エスティメイト、登場です」


 自己紹介をしながら少女は突き刺した大剣を上方向に向かって引き抜いた。直後、べろんと裂けたラスペンサーの肉体が爆発した。


 「どかーんです」


 「このクソあまぁ!!!」


 キスタは激昂する。この日、最高の怒髪天だった。


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