15. ハルヒサの優雅な拘置所生活
「出ろ」
起床のベルで目を覚まし、ベッドのクリーニングを行ったハルヒサは点検のために入ってきた警察官にそう言われた。言われるがまま、牢屋の外に出ると、同じようにして立たされている未決拘禁者、俗に言うところのまだ刑罰が確定していない逮捕者達が、列を作って、警察官の点検が終わるのを待っていた。
列の左端に立つハルヒサにその中の一人が話しかけてくる。口元に傷があるライカンスロープだ。ハルヒサの隣の房にいる逮捕者で、やることがなくて暇なのか、しょっちゅう彼に話しかけてくる。
名前はジープ・スマグルという。スリの常習犯でよく拘置所に来ていると全然かっこよくない自慢話が自慢話の変わった人物だ。
「ジープさん。今は話しちゃまずいだろ」
「いいさ。どーせ、10分20分はここでぼっ立ちしてなきゃいけねーんだからなぁ」
見ろよ、とジープは小声でヒソヒソと離している他の未決拘禁者を親指で指した。近くに立っている監視の警察官はそんなヒソヒソ話に対して目くじらを立てるそぶりはなく、見て見ぬふりをしていた。
拘置所に連れてこられて五日が経過した。その間、ハルヒサがやったことと言えば市警の取り調べを受けることと、拘置所で惰眠を貪ることの繰り返しだ。せっかくの異世界、しかし仰ぐのはいつだって取り調べ室か独房の灰色の天井だ。
「ほんと、いつまで続くんだか」
「そりゃおめー、裁判が終わるまでだろ」
「いや、そうなんですけど」
架橋世界にも司法はあり、裁判所も存在する。ジープの話を聞き、概ねの流れは自分が元いた世界と変わらない、というのがハルヒサの抱いた感想だった。
警察に逮捕されれば、取り調べを通じて書類送検がされ、その後は検察の手によって起訴か、不起訴かが決められ、裁判にまで持っていく。書類送検がされるまでは警察署に、その後は行政塔の近くにある大きな刑務所に連れて行かれる、という話だ。
「ま、軽犯罪つーか、大したことない犯罪なら大体一週間くらいで、送検されて検察の厄介だな。もちろん、拘留されてる間に無実がわかりゃ、即日釈放だろうが」
「俺無実なんですよ?」
「聞いたよ。明日にでも釈放されるんじゃねーの?」
ケラケラとジープは笑う。もっとも、ハルヒサからすれば決して笑えないことだった。一週間で書類送検ということは、拘留されて五日経っているハルヒサは残り二日ちょっとで送検されてしまうということだからだ。
どうにかしたい、と思いつつ何度となく取り調べをしている二人の警察官に無実を訴えてはいるが、二人の態度は冷ややかなままだ。情もへったくれもありはしない冷徹な仕事人の目で見てくるものだから、ハルヒサも尻すぼみをしてしまう。
「ほんと、最悪です」
「ま、一度くらい刑務所に行くのも悪かねーだろ。もしくは兄ちゃんの場合、刑務所に行かずに都市外追放って感じかもしれねーが」
そんな物騒な会話を繰り広げている中、警察官による点検が終わり、ハルヒサ達は縦二列に並んで食堂へ向かうように指示された。ざっざと軍隊のように足音を鳴らして食堂へ入っていくハルヒサ達はそのまま、配膳場の前で先頭が停止し、順番に配膳用プレートを受け取って並び始めた。
受刑者用の食堂はほどほどに天井が高く、オーガのような大柄な種族でも入れるようになっている。並べられているのは五つほどの縦長の机で、その左右に受刑者が座り、30分の食事時間が与えられる。昔は15分だったんだぜ、とジープは言うが、それが嘘か本当なのかはハルヒサにはわからない。ふーん、くらいのノリで聞き流した。
朝食を受け取り、食事を始めると、ヒソヒソ話がまた聞こえ始めた。監視のための警察官がそれを止めるようなことはない。就寝時間前を除けば受刑者達の会話はある程度、放任されており大声で話すこと以外を除けば許されている。
会話の内容は大した話ではない。昨日の晩はお前のいびきがうるさかった、とか、本の内容がどうした、とかそんなありふれた内容だ。ハルヒサもジープと並んで座り、そんなどーでもいい話に花を咲かせた。
「あのベッドはな、横になって眠るとちょうどいいんだよ。仰向けになんぞ寝てみろ、肩と腰にひびくぜ」
「そうは言ってもそれだと一方への負担がすごくありません?」
「ばーか。寝るまでの間って話だよ。寝てる間にころころ器用にいいような体勢に変えられるわけねーだろ」
「へーそういうもんなんですねー」
どーでもいー、と言外に吐露しながら、ハルヒサは朝食を口に入れた。今日の献立は卵を固めたものとベーコンが主菜で、麦のパン二つと乳のスープが主食、副菜としてついてきた。原則としてお代わりは認められていないから、一部の大柄な種族にとっては物足りないのか、不平不満を漏らす受刑者もいた。
そういった受刑者は大抵、近くの小柄な受刑者にたかるか、奪うかしている。もっとも、そんなことをすれば喧嘩になるため、両方とも監視の警察官に拘束され、重大犯罪の容疑者らと同じ階層へ連行されてしまう。その日も二人、大柄なデーマンと無精髭のドワーフが喧嘩を起こし、警察官によって連れて行かれた。
朝食時間の終わりを告げるベルが鳴る。警察官の号令と共に受刑者達は立ち上がり、ザッザと再び足音を鳴らして二列で行進を始めた。
食堂を出てしばらく歩くと、不意に「全体止まれ」という号令が先頭の方から聞こえてきた。即座に止まる受刑者達に今度は「左向け、左」と廊下の壁を向くように指示された。なんだろう、と不思議に思いつつもハルヒサは壁の方へ体を向ける。
直後、先ほどまで彼らが上げていた足音と同じような足音が遠くの方から聞こえてきた。視線を足元へ降ろし、彼らの足元へ向けると、今ハルヒサが履いている受刑者用の上履きと同じ靴を履いている一団が彼らの後ろで同じように壁に向かって立たされいた。
「受刑者同士の鉢合わせを防ぐため、か」
拘置所という施設は多数の容疑者を抱えている。必然、犯罪の程度に大小はあるから、その大小によって独房も分けられていて、ハルヒサがいる房は比較的軽犯罪に分類される容疑者が収監されている。
「右向け、右!!」
先に房に戻されたのはハルヒサ達だった。命じられるがまま、ハルヒサは右に向かって体をひねった。
その時、ハルヒサは彼に代わって壁に向かっている一団の中に見知った茜色の頭髪を見た。背丈もそう変わらなかった。思わずそれを凝視していると、おい、と後ろを歩く容疑者が彼に先に進むようにうながした。
しかしハルヒサは動けなかった。代わりに列から離れ、彼は壁に向かっている茜色の少年の肩を叩いた。
少年が振り返り、その素顔が顕になった。そしてその直後、ハルヒサは反射的に少年の頬を叩いていた。
「いた。ひどいよ、おにーさん」
「お前!こんなところで何やってんだよ!」
声を荒げ、ハルヒサは少年に、キスタに詰め寄った。バツが悪そうにキスタは叩かれた頬をさすり、無言で目を細めた。
「なんとか言えや!!」
その胸ぐらを掴み、殴り掛かろうとするハルヒサだったが、すぐ駆け寄ってきた刑務官によって止められた。
「おい!!なにをやっている!!」
「は、放せ!!こいつは1発殴りたい!!」「もう殴ってるだろ!!」「おい、抑えろ!!」
「叩いただけ!!叩いただけ!!まだ殴ってない!!」
なんとか拘束を抜け出そうとハルヒサはもがくが、多勢に無勢。あっさりと押さえ込まれたハルヒサをキスタは申し訳なさそうな目で見つめていた。
「ぐがー!!」
「こいつを懲罰房に連れて行け!!」
大柄の刑務官がハルヒサを持ち上げ、その身柄はそのまま懲罰房へと放り込まれた。
「げふ」
背中から懲罰房の中にぶち込まれたハルヒサはすぐに飛び上がって扉に向かってダッシュするが、彼がタックルした程度では扉はビクともしなかった。ついさっきまで入っていた拘置所の房の扉より数段分厚い鉄の扉に跳ね返され、仰向けになったハルヒサは暗い天井を仰いだ。
懲罰房は窓のない閉鎖的な部屋だ。薄いマット一枚だけが敷かれ、毛布も布切れ一枚だけ。とても人が寝泊まりするような場所じゃなかった。
マットが薄いからまともに仰向けになればゴツゴツとした石床の感触が背中に伝わり、ストレスが溜まる。はおる毛布は毛布とすら言えず、肌寒さすら感じさせた。
「だから、懲罰房から帰ってきた奴らはゲッソリしていたのか」
「そーだよー?誰だって二度と懲罰房に入りたいなんて思わないよねーあはははは」
独りごちたハルヒサは直後、カッと両目を見開き、声がした方へ駆け寄った。耳を壁に押し当てると、その声の主はからからと笑いながら、ハルヒサに話しかけてきた。
「お兄さんも不幸だったねー。なんだって市警のやっかいになってんのさ」
「お前のせいだよ!!お前が警察の厄介になったから、事務所にも警察が来たんだよ!!」
乱暴に吐き捨てるハルヒサ、壁の向こうの茜色の魔法使いはそれを聞き「うん?」と疑問符を帯びた声を上げた。
「警察が俺の事務所に?そんなのありえないんだけど。あーひょっとして。ははは。お兄さん、お兄さん。悪いけどお兄さんのそれって完全な勘違いっていうか、逆恨みだよー」
「どういうことだよ」
怪訝そうに尋ねるハルヒサにキスタは笑いながら答えた。
「お兄さん、掃除をあれこれしたでしょ?その時に俺が施してた人払いの呪いも壊しちゃったんだよ、多分。言ったでしょ、掃除はほどほどにってさ」
からからと笑うキスタ。対照的にハルヒサは羞恥と悔しさで歯軋りをした。
「おい、お前らうるさいぞ!!」
直後、見張りの刑務官が乱暴に二人の懲罰房の扉を立て続けに叩いた。すいませーん、とキスタは軽いノリで謝罪した。
「ま、もうしばらくしたら、出られるからさ。それまで大人しくしてよーぜ?」
「ん?なんでそう言い切れるんだ?」
「ふふーん。大人にはいろいろあるのさ」
「ガキだろ、お前」
「おやおや。人を見た目で判断しちゃいけないぜ、ぼーや?」
「貴様ら!!私語を慎め!!2日以上、懲罰房に入れられたいか!!」
再び見張りの怒号が轟いた。これ以上怒らせたらまずいと思い、ハルヒサは口をつぐんだ。キスタも同じように考えたのか、それ以降話しかけてくることはなかった。
そしてそれから1時間後、キスタの予言した通り、二人は懲罰房から出された。あまつさえ、拘置所からも釈放された。そのことにハルヒサが目を丸くしていると、二人の前に一人の少年が現れた。
金髪の少年は髪が地面に付くくらい長い長髪で金眼。その体躯とは不釣り合いな襟の立ったぶかぶかの茜色のロングコートを着ていた。コートの袖口からは無数の宝石がついたブレスレットや指輪が見え隠れしていた。よく見れば首元には虹色のペンタグラムがあしらわれたネックレスをつけていた。
コートの下は空色のシャツ、黒いスーツズボンと社会人っぽい。そしてその左手には特異な形状の杖が握られていた。
「まったく。まさかまさかです。一体全体継体どうして、こうなってしまったのでしょうか、キスタさん」
現れるなり金髪の少年は長々と愚痴をこぼした。その様子からキスタは少年にある種のシンパシーを感じた。
そう、キスタ被害者の会的なシンパシーだ。
「よっすラスちゃん。相変わらず不健康そうな顔してんじゃん!!」
「ふけ、はぁ。クソが。けふんけふん。——キスタさん。ちょっとお話しましょうか?」
ラスちゃんと呼ばれた金髪の少年は鋭い眼光でキスタを睨み、そう言った。
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