第五話 選定の儀
数年の時を経て、彼は訓練生最後の年を迎えていた。
かつて常闇の森で出会った魔女の言葉を胸に抱きながら。
それと同時期に、世界は大きな転換期を迎える事になる。
そして今、歴史に名を刻む「選定の儀」が始まろうとしていた——。
どこまでも続く長い螺旋階段。
蝋燭の光だけが仄かに辺りを照らし、剣を腰に差した人影が列をなして降りていく。
その階段の終着地は広い広間。
そこに佇むのは一人の影。
それは蝋燭の灯火に照らされた見目麗しきエルフの女性。
目を閉じて直立する彼女に誰もが目を奪われ、同性の女性騎士ですら息を飲む。
彼女は優雅に一礼した。
「私は聖剣の守り手、レクシア。皆様の行く末……見定めさせてもらいます」
顔を上げたレクシアは大きな瑠璃色の瞳を開き、皆を一瞥する。
「今回は粒揃いだ。少しは期待できるやもしれん」
「剣聖の貴方ですら届かない高み。担い手は、そう易々と現れるものじゃないでしょう?」
レクシアは再び目を閉じて彼等に背を向ける。
「それでは、これより〝選定の儀〟を始めます」
そして彼女は懐から黒い鍵を取り出し、堅固な大扉へと向かう。
「さて、覚悟して下さいね。ここより先は意志なき者では立つ事すら許されませんから」
そして大扉が開かれる。
隙間が出きた途端、禍々しい黒い霧が吐き出されるように地を這っていく。
耳鳴りのような低音を響かせて、死の匂いを振り撒きながら扉は開かれる。
扉の先には飾り気のない白亜の台座が一つ。
その上に、闇夜を閉じ込めたような一振りの剣が寝かせてあった。
一見すれば鞘に収まっただけの黒い剣。
目立った装飾と言えば鍔の中心に血のように赤い宝石が嵌め込まれている。
鞘には紋様が流れる血潮のように浮かんでいた。
控える剣士達はその剣から漏れ出る禍々しい邪気に身を引き裂かれる感覚を覚えた。
ただ一人、レクシアだけは涼し気な顔つきのまま部屋の中に足を踏み入れ、台座の隣に控えた。
「どなたから挑戦しますか?」
すると燃えるような赤髪の男が前に出る。
「意志の強さも、喧嘩も誰にも負けやしねェよ。俺から行かしてもらうぜ」
豪語する彼の指先が聖剣に触れるや否や、その手先が深く切り刻まれた。
「——づッ!」
「豪気なだけでは剣は応えません」
ソッと彼女が男に手を翳すと、傷口がみるみる癒えていく。
「クソッ、もう一度やらせろ!」
「野犬がどれほど吠えようとも結果は変わらないわ」
穏やかに見えるその笑みはまるで嘲るかのようにさえ見える。
「俺が野犬だってのか!?」
「止めろ、ガイル」
鋭く声をかけて止めたは顔立ちの整った金髪の男。
舌打ちしたガイルがゆっくりと部屋の外に下がるのと入れ違うように今度は彼が前に出る。
「貴女は花のように美しい。このような薄暗い場所は似合わない」
手を広げ、大げさに彼は語りかける。
「どうでしょう? 私が聖剣を握りしめたあかつきには優雅な夜を共に過ごしませんか?」
「歯の浮くような台詞で私が喜ぶとでも?口説くなら聖剣を口説き落としてみなさいな」
彼女の優しい微笑みすら仮面のよう。
「おおせとあらば——」
保護魔術で自身を守りながら、彼は勢いよく聖剣を握りしめる。
〝——汚らわし手で我に触るなッ!〟
それは耳ではなく頭蓋の内側を震わせるような声だった。
「ぐあぁッ!」
響き渡る悲鳴。
全身から鮮血が飛び散り、その場に力無く崩れ落ちる。
アルシュタインは混乱する。
今聞こえたのは何だ?
疑問は直ぐに身体中を引き裂かれたような痛みで掻き消される。
「これでは食事どころではありませんね」
彼女は再び手をかざす。
「黄昏に咲く光よ、癒せ——〝エリュシオン・グレイス〟」
彼女が静かに言の葉を紡ぐと、深手の傷が塞がっていく。
彼を包むのは癒しの光。
殺意が込められた邪気すら振り払う、聖なる光は彼の身体を元に戻す。
しかし傷が癒えて尚、彼は膝をつき項垂れている。
その端正な顔付きは苦虫を噛み潰したように歪んでいた。
「アルシュタイン、下がれ」
そんな彼に冷たい声を放ったのはランドルフ。
狼の唸り声のような響きで、有無など言わせないと圧が込められている。
アルシュタインはゆっくり立ち上がり、部屋の外へと歩いていく。
「次は貴女でしょうか?」
レクシアの瞳が射抜くのは蒼銀の髪の女騎士。
「ねぇ、貴女の見立てでは私は剣を握れると思う?」
挑戦的な目つきで女騎士は尋ねる。
「無理でしょうね」
「私もそう思うわ」
互いに短い言葉の応酬。
静けさを増すように空気が張り詰めて尚、彼女たちの視線は逸らさない。
「——ランドルフ殿」
彼女は剣聖に声をかける。
「なんだ、エレノア」
「辞退しても構いませんか?」
彼女は瞳閉じて迷いなく告げる。
「挑まぬのか?」
「代わりに、別の者を推薦します」
「ほう?」
その言葉を受けて、レクシアの瞳も僅かに細まる。
「ユウリ——」
そこでエレノアは再び鋭い瞳を開き、宣言する。
「ユウリ・ノクティス訓練生。
非常に不本意ではありますが——、この剣が応えるのなら、彼しかいないでしょう」