プレリュード —孤独の剣と、慈愛の記憶—
月明かりに照らされた野営地で男たちが篝火を囲んでいた。
あるものは干し肉を噛み締め、あるものは酒をあおり、あるものは武器を手入れする。
「聞いたか、隣の村は魔物に襲われた後、盗賊達の略奪で皆殺しだってよ」
「どっちが魔物だかわかったもんじゃねぇな」
違ぇねぇ、とひげ面の男は酒をあおる。
「俺達聖騎士団が出張るのが遅すぎなんだよ」
「だな、あいつらなんか賞金首を狙った寄せ集めだ。盗賊と何が違う? 同列に見られちゃかなわねぇ」
色黒の男の視線の先には軽装の鎧を身にまとう自分達とは違う、てんでバラバラな服装の集団。
柄が悪そうな者たちの喧噪が離れていても聞こえてくる。
「傭兵なんてあんなもんだ。それにみろ、あんなガキまでいる」
その視線の先にはまだ年端もいかない黒髪の少年がいた。
光を失ったその瞳は誰よりも研ぎ澄まされ、静かに剣を研いでいる。
「俺の息子とそう歳も変わらねぇように見える。世も末だな」
「まったくだ」
少年は自分に視線が向けられているのをわかっていながら剣を研ぐ。
まるで自分の感覚そのものを研ぎ澄ます様に。
何度も、何度も、刃先を鋭く研いでいた──。
盗賊達の根城は高く堅固な防壁に囲まれた砦である。
魔物達の猛威を防ぐその防壁は、今や討伐隊を阻む最大の盾となってしまった。
「突撃!」
号令に続いて聖騎士団と傭兵の男たちが門に向けて走り出す。
後衛から魔術や矢の援護はあれど、門を突破できねば盗賊どもを殲滅出来ない。
防壁の上からの迎撃は激しさを増し、聖騎士団や傭兵達も歩が止まる。
そんな中──、一つの影が彼らの間をすり抜けていった。
それは小さな黒髪の少年。
彼は信じられない身のこなしで火球や矢の嵐をかいくぐり、門に迫る。
「一人で突っ込んでも門は開かねぇぞ!」
そんな声が響くが、少年はまだ加速する。
そして門ではなく、斜めに駆けて高い防壁へと向かっていく。
次の瞬間、彼は大きく跳躍する。
そして勢いそのまま、防壁を走り出す。
だが、まだ高さが足りない。
速度を失いかけたその刹那、彼は腰の剣を壁に突き刺し、それを軸に一回転。
剣を足場に跳躍すると、高々と反り立つ防壁を乗り越えた。
「あ、あいつ……バカだろ、一人で中に入って何すんだよ」
門の内側が騒がしくなる中、「今だ!走れ!」と声がかかり皆我に返る。
そして男達は門へと突撃していった。
盗賊団の首領、ガリオは聖騎士団達に囲まれて尚慌ててはいなかった。
ここの防壁は簡単には崩れない。
門が開かない限り、奴らはここへ辿り着けまい。
例え門を突破されても、その時に地下から逃げれば良い。
時間はまだまだ十分にある。
そう考えていた。
だが、何やら外が騒がしい。
それは城壁の向こうではなく、内側で起きている。
「何事だ!?」
「進入者です!」
手下の報告に舌打ちする。
ネズミが入り込んだか。
「何人だ?」
「一人です!」
一人……?
なんだ、一人か。
ならば、今頃と取り囲まれているはずだ。
防壁の内側には総勢五百の手下がいる。
いつの間にか、荒くれ者をかき集めたらここまで大きくなったのだ。
たった一人の侵入者、何を恐れる事が──。
しかし、悲鳴と怒号が近づいてくる。
それは確実に、遠くから近づいてきていたのだ。
「おい!たった一人じゃないのか!?」
「一人です!しかもガキなんですが、止まりません!」
監視塔の男は戦慄した様子で声を上げる。
「お任せを、私が仕留めてきます」
静かに座っていた大男が立ち上がる。
その手には大きな両刃斧が握られていた。
「た、頼むぞ!ギルバート!」
もともととある傭兵団の団長をしていた大男のギルバート。
彼ならば聖騎士団相手でも不足はない。
そして外から激しい物音が響きわたり、大きな衝撃音を最後に静かになった。
「な、なにがあった!?」
監視塔の男に問いかけるが、彼は眼を見開き声が出ない。
足跡が近づいてくる。
一歩一歩、確実に近づいてくる。
「くそっ!」
慌てて逃げようとするが、その時にはもう扉が蹴破られていた。
そこにはギルバートの生首を下げた黒髪の少年がいた。
血しぶきを浴び、顔は血だらけ。
何人切り伏せてきたのか、剣からも血が滴り落ちている。
強烈な血の匂いが鼻につく。
「こ、こんなガキにッ!」
ガリオが剣を振り上げるや否や、その腕が宙を舞う。
肘から先はすでに無く、激しく血が飛び散った。
「く、クソが──」
その声を言い切る前に、視界がぐるりと回転する。
もう声が出ない。
回転が止まったのは、髪の毛を少年に掴まれてから。
ガリオは恐怖で目を見開き、意識は闇に落ちた。
ようやく門を崩した聖騎士団達は内部へと進行する。
だが、そこはすでに混乱の極みにあった。
こちらが放った矢や魔術の被害もあるが、それに加えて首が無い死体がいくつもある。
門が突破された事で盗賊達は逃げまどっている。
第四部隊長を任されているリーダスは周りを警戒しつつ、残党狩りを指示する。
そんな中、静かに聖騎士団へと歩み寄る小さな影があった。
その両手にはそれぞれ違う生首を下げている。
そして聖騎士団に向けて投げ捨てられた。
「ここの盗賊の首領と、側近だ。賞金よこせ」
リーダスは眉をひそめる。
こいつ、さっき防壁を乗り越えたガキか?
一人でやったってのか?
「……悪いが、賞金はここにいる全員で山分けだ。お前ひとりの功績と思うな」
冷たくリーダスは言い放つ。
賞金目当てのごろつきだ。
ある程度その功績に報いてやるが、独り占めは見逃せない。
「だったら、文句あるやつ全員倒したら俺のものでいいか?」
「なに?」
問い返した直後、少年の姿が掻き消える。
そして顎に強烈な衝撃が走る。
遅れて、少年が回し蹴りを放ったのだ、と消えゆく意識で認識した。
「隊長!貴様ぁ!」
そこから、聖騎士団達が少年に迫るが、その小さな体で翻弄し、次々になぎ倒していく。
「団長!」
「敗残兵どもを片付けるだけなのに何を騒ぐ」
片目には大きな切り傷が刻まれた男は唸るように応じた。
「聖騎士団と傭兵との間で小競り合いが!」
まったく、これだから統率のなってないごろつきは困る。
団長と呼ばれた碧眼の男はすぐに現場へと向かった。
そこには既に複数の聖騎士団が倒れ伏していた。
うめき声をあげるものや、気絶しているものまで、10人は下らない。
今も一人、小さな少年の蹴りを食らって吹き飛ばされていた。
「……子供相手に何人やられてんだ」
男は目にも止まらず俊足で間合いを詰めて、少年の顎を拳で打ち抜いた。
「その辺にしとけ、小僧」
小柄な体躯が宙を舞い、一回転すると少年は身構えた。
「今度はあんたか?」
血を吐き捨てて、鋭い目つきを向けてくる。
闘志は衰えるどころか、研ぎ澄まされているかのよう。
久々に肌がひりつく感覚を覚えた。
少年は軽く地面を蹴ったとは思えない加速を見せる。
それは残像すら置き去りにするほどの急加速。
小柄な体躯は地を這うように突き進み、勢いそのまま薙ぐような蹴りが放たれる。
それを軽々片腕で受け止められ、代わりに野太い腕が振り落ちる。
まるで落雷のようなその一撃は小柄な少年を勢い良く地面に叩きつけた。
「……まぁ、筋は悪くねぇな」
痺れる片腕を振るいながらそう言い残して、碧眼の男は去ろうとする。
雨がポツリポツリと降り始め、地面を濡らしていく中、ゆっくりと立ち上がる小さな影が一つ。
碧眼の男はゆっくりと振り返る。
手応えは十分だった。
普通ならしばらく動けない。
それなのに立ち上がるとは——。
「根性だけはあるみたいだな」
「……金が、いるんだ……」
一歩、一歩と身体を揺らし、先程までの鮮やかな身のこなしは見る影もなく、しかし真っ直ぐに拳を突き出した。
その拳は碧眼の男の胸を正確に打ち付けて、着込んだ鎧は軽い音を響かせる。
「賞金……よこ、せ……」
そして今度こそ倒れ込む少年を男は抱き止める。
地面に転がる生首をみると、随分汚れているが賞金首の二人だと確認出来た。
「なるほどな」
全てを察した男は大きく息を吸う。
「賞金はコイツのものだ!文句ある奴ぁ前に出ろ!俺の一撃に耐えたらくれてやる!」
降り頻る雨音を消し飛ばすような咆哮。
誰一人、動く事も声も出ない。
「文句ねぇなッ!?」
そして碧眼の男はそのまま少年を担いで戦場を後にする。
ベッドで横たわる少年は、目覚めると同時に呻き出した。
歯を噛み締めて、必死に何かを耐えながら、胸を押さえている。
「おい、どうした?」
声をかけると、少年は徐々に呼吸を整えていく。
顔色も少しづつ良くなるのが見て取れる。
「俺の一撃で頭がやられたか?」
「……あんたは……」
少年は横になったまま、俺に声をかけてかた。
「負けた……」
「俺に一撃喰らわせたんだ、誇っていいぞ」
腕を撫でながら俺は笑う。
だが、少年は眉間に皺を寄せていた。
「——ほらよ、これ持ってけ」
そう言って差し出したのは重みのある布袋だ。
それを少年の上に放り投げる。
少年は怪訝な顔をして、中身を確認すると目を見開いた。
「これって……」
「賞金の金貨百枚だ。持ってけ」
「——いいのか?」
俺は葉巻を胸から取り出して指先に火を灯し煙をふかして頷いた。
「……ありがとう」
その一言を受けて、思わず目を丸くしてしまった。
これが、あの時俺と対峙した少年か?
今目の前で金貨を抱きしめる彼はまさに年相応の幼い少年そのものだ。
野獣の如く立ち向かってきた彼と同一人物とは到底思えない。
「……お前、それやる代わりに聖騎士団に入れ」
思わず、そう口にしてしまう。
勧誘なんて滅多にしないが、コイツの行く末が気になった。
「断ったら、これは返さなきゃなのか?」
「あ?それはテメェにやったもんだからいらねぇよ」
ふー、と煙をはいて俺は立ち上がる。
「来るも来ないもお前次第だ。勝手にしろ」
それだけ告げて、その場から立ち去ろうと扉に手を伸ばす。
「小僧、名前はなんだ?」
しばしの沈黙の後、少年は口を開く。
「……ユウリ」
「ユウリか、覚えておこう」
今度こそ、俺はその場を後にする。
残された彼は、静かに布袋を抱き締めていた。
大量の食料や雑貨を荷車で運んでいく。
その行き先は教会だった。
「ユウリ兄ちゃんだ!」
「ホントだー、なにこれすごー!」
子供達がわらわらと集まってくる。
皆、頬がこけて身体も痩せ細っている。
「沢山あるけど、よく噛めよ」
そう言って食料を配っていった。
「ユウリさん……」
そんな少年に、声をかける修道女が一人。
「あぁ、これどうぞ」
そう言って差し出したのは金貨のつまった布袋。
「こ、こんなの!もらえません!」
「子供達が、腹を空かせてるから」
そう言って布袋を押し付けた。
「悪い盗賊達のせいで、ぶっか……ってヤツが上がったんだってさ。孤児もどんどん増えちまった。悪い奴はやっつけたから、後のことは頼むよ」
少年は無理やり布袋を押し付けて、その場を去ろうとする。
そんな彼の背中を、修道女が抱き止める。
そのあまりに小さな背に、思わず涙が出た。
「ユウリさん、もうこんな無茶はやめて下さい……」
そんな彼女の手を、小さな手がそっと触れる。
「奪われた分、奪い返せばいい。俺がそれをやるから、皆は不安にならなくていい」
そう言って、彼女の手から離れていく。
小さなその背中は、残酷なまでに頼もしかった。
「……女神様、どうか、彼に良き道を示して下さい。お願いします、どうか……」
彼女は手を握り、そう祈らずにはいられなかった。
彼は歩く。
迷いなく、自分の道を——。
しかしその先は、彼が想像していない景色が広がっていた。