第九話 第一王女イヴァリス=ヴァラステリア
学院に通い始めたカインだったが、早急に解決しなければならない最優先の課題があった。
それは――――
ずばり婚約者問題である。
リリアンとエリオットが十歳で婚約しているように、高位貴族ほど婚約は早い。一般的には生存率が大きく上がる七歳以降から家同士で婚約の話が進むことが多く、定期的に会わせたり遊ばせることで相性を確認するのが一般的だ。余程の問題が無ければそのまま成人に達した十六歳で結婚というのが王国貴族の常識であり、十四歳で婚約者の居ないカインは本来なら周囲から心配されるレベルなのである。
もちろん、相手がいなかったわけではない。ソルフェリス家と婚姻関係を結びたいという貴族家は掃いて捨てるほどいるし、もしカインがその気になれば申し出を断る貴族令嬢など王国にはまず存在しないだろう。
十四歳になってもなおカインに婚約者がいない理由は回帰前に原因がある。十歳にして両親と死別したカインは、幼くして名門伯爵家当主となったのだ。一刻も早く一人前になるために当主としての仕事をこなす傍ら勉強もしなければならなかった、とても婚約どころの話ではなかったのだ。
だが――――そんなカインが十六歳の成人を迎えた時、大きな縁談が舞い込んできた。
イヴァリス=ヴァラステリア、王国第一王女にして天才剣士として知らぬものがいない美貌を持つヴァラステリアの華。カインの学友でもあり剣技を競うライバルでもあり親友でもあった彼女との婚姻話が持ち上がったのだ。
だが――――カインはその縁談を辞退した。
イヴァリスに問題があったわけではない、むしろカインは彼女のことをとても好ましく思っていた。ただ――――当時婚約者を失ったばかりで悲嘆に暮れるリリアンを一人残して自分だけ幸せになることが出来なかったのだ。
タイミングが悪かった――――王女相手にこちらの事情で待たせることなど出来なかった。
ところが、結局イヴァリスはその後すべての縁談を断り帝国軍の手にかかって命を落とすまで独身を貫いた。
それがカインに対する思いからなのかどうかは結局わからなかった。それでもカインは自分の都合でイヴァリスの人生を狂わせてしまったことをずっと後悔していたのだ。そして――――何より彼女はカインの良き友であり理解者であり敬愛すべき上官――――王国騎士団騎士団長だったのだから。
だからこそ、カインは今度こそイヴァリスとの婚約を果たしたいと誓っていた。
だが、さすがのソルフェリス家でも王家相手に王女殿下を下さいとは軽々に言えない。回帰前の世界でイヴァリスとの婚約話が来るのは十六歳になった時、王女としては遅すぎるが、カインと似て剣に命を捧げたような武人気質の王女、おそらくは興味がないと突っぱね続け、成人するにあたってこれ以上先延ばしできない状況になって学院で仲の良かったカインを指名したものと思われる。
それまで待っても良かったのだが、回帰前と大きく状況が変わってしまっている以上、同じ展開が来ない可能性もあるし、エリオットを助けられる確信もまだ得られていない。そして――――何より帝国に対抗するには王家との信頼関係を築く必要がある。個人的な感情、婚約は抜きにしたとしても、イヴァリスとは早めに接触し確固たる協力関係を持つべきだとカインは判断していた。
そういうわけでカインは、学院に入学したら積極的にイヴァリスと親交を深めてゆくつもりであったのだが――――
「カイン、イヴァリス殿下との婚約話が来ている。お前さえ良ければソルフェリス家としては受けたいと思うのだが?」
「……え?」
一体どういうことだ、とカインは動揺する。両親が死ななかったことで歴史が変わってしまったのだろうか? だがイヴァリスは学院に入るまでの大部分の期間、母である王妃の母国に居たためカインとは数えるほどしか面識はない。なぜ突然婚約者に指名されたのかわからない。
もっとも理由はともかくカインの側に断る理由はないわけで。
「はい、是非ともお受けしたいと思います父上」
カインは婚約を快諾する。
もちろんまだ打診の段階であり正式な決定までには時間がかかる。しかし幸いにもイヴァリスとは学院で顔を合わせる機会がある。まさに渡りに船、予定通り彼女に会いに行こうと決めるカインであった。
「エリオット、俺をイヴァリスに紹介してくれないか?」
「ええ!? カインってイヴァリスみたいなのが好きだったの?」
カインに頼みごとをされてテンションが上がるエリオット。無理もない、なんでも完璧にこなす超人のような親友が頼み事なんて長い付き合いで初めての事だったから。しかもそれが女の子のこととなれば、エリオットもにやけずにはいられない。あまりにも女の子に興味を示さないので、もしや男色の気があるのでは? とエリオットを含め周囲の人間から疑われていたぐらいなのだ。
たとえその相手が天下のじゃじゃ馬娘であり、エリオットが一番苦手とするタイプの従妹だったとしても。
「か、揶揄うな、出来るのかと聞いているんだが?」
カインは回帰前も含めて妹以外の女性と付き合うという経験が無い。思った以上に緊張してしまい、思わず赤面しながら視線を逸らす。
「ふふ、もちろんさ。これでも従兄妹同士なんだし。大船に乗ったつもりでいてよ」
そんなカインを見ながらエリオットは誇らしげに胸を張る。カインは瞳をキラキラさせている親友に苦笑いしつつ、よろしく頼むと頭を下げるのであった。
「エリオット、すまないがカインを紹介してもらえないか?」
カインと話した直後、エリオットはイヴァリスから呼び出されていた。
「……え? イヴァリスも?」
カインの頼みでイヴァリスに会いに行こうと思っていたエリオットだったが、なぜか彼女からもカインを紹介して欲しいと言われて驚く。
「も? とはなんだ、出来るのか出来ないのか聞いている」
「ふふ、もちろん出来るよ、僕に任せておいて!!」
よくわからないけど、なんだか面白いことになりそうだな。エリオットは、早くリリアンに教えてあげなくちゃとにやけそうになる口元を必死に隠すのであった。
「イヴァリスは中で待ってるから。それじゃあごゆっくり」
ニマニマが止まらない様子のエリオットを半ば意識から外して、カインはイヴァリスの待っている部屋へと入ってゆく。
ここは学院内にある王族と王族が許可した者だけが利用できる部屋。高価な防音魔道具が使用されており、盗み聞きされる心配もなく大事な話をすることが出来る。カインとイヴァリスは、そ目立つの容姿と立場からすでに学院で最も人目を惹く存在となっており、学院内のカフェなんかで会った日にはそれこそ騒ぎになりかねない。
「ここが王族専用施設か……初めて入ったが凄いものだな」
部屋の中はさすが王族専用、豪華で質の高い調度品で品よく仕上げられている。
そして――――ゆったりとしたソファーに座っているイヴァリスの姿を見た瞬間、カインの胸に様々な想いが一斉にこみ上げてくる。涙が零れ落ちそうなほどの感情を必死にこらえるが――――鋼鉄の自制心をもってしても視線が彼女を追ってしまうのを止めることは出来なかった。
「カイン、よく来てくれたな」
その誇り高い獅子のようなブロンドの髪は、黄金の太陽を纏うかのように輝き、その光は鋭く磨かれた剣の刃先を彷彿とさせる。その透き通るような紫の瞳は、夜明け前の空に残る星のように輝き、嵐の前の激情を湛えながらも、アメジストのような高貴さと紫陽花の涙を思わせる儚さを秘めていた。もちろん今の彼女はカインの知る凛々しい騎士団長ではない。ただの十四歳の少女にすぎない。だが、それでもカインは――――彼女から回帰前と変わらぬ強き意志と揺るぎない魂を感じたのだ。