第七話 薬師イザベル・リュミエール
この春、十四歳となったカインとリリアンは共に王立学院へと入学することになった。
見分けがつかないほどそっくりだった二人も、背が伸びてずいぶん逞しくなったカイン、同じく女性らしさが出てきたリリアン、今や誰もが振り返る美少年と美少女へと成長していた。
「良かった、同じクラス」
カインと腕を組んだままクラス分けを眺めるリリアン、極度の人見知りもブラコンぶりも変わっていない。
だが――――
「やあ! カイン、リリアン、僕も同じクラスで嬉しいよ」
「エリオットも同じクラス、嬉しい」
美しい金髪碧眼、美少女かと見間違えるほど華奢で優しい笑みを浮かべるのはグレイスヴェール公爵家令息エリオット=グレイスヴェール、リリアンの婚約者だ。
彼女が家族以外で心を開いている数少ない人物でもある。
「俺も嬉しいよエリオット。楽しい学院生活にしよう」
穏やかに微笑むカイン。しかしその裏では、強い危機感と決意を秘めていた。
二年後――――運命の大きな分岐点がある。
十六歳の成人を迎え、結婚を目前に控えたタイミングでリリアンの婚約者であるエリオットが流行り病に罹って亡くなってしまうのだ。
両親の死が回避されたとはいえ、彼の死によってリリアンが再びふさぎ込んでしまう可能性は高い、そんな妹の姿は二度と見たくないし、エリオットはカインの親友でもある。絶対に死なせるわけにはいかない。
もちろんこれまでのカインの行動によって状況は変わりつつある。エリオットが流行り病に罹らない可能性もあるが、逆にリリアンや他の家族が病に倒れる可能性もあるのだ、カイン自身がそうならない保証もない。
流行り病の治療薬の開発はもちろん最優先だが、発生そのものを防ぐ方法も含めて今から出来得ることすべてをやる。カインは可能な限り足掻くつもりでここ数年着々と準備を進めていた。
流行り病の治療薬に関しては、解決策とまではいかないが、すでに可能性は見出している。回帰前の世界ではエリオットの死から二年後に特効薬が開発されたという事実がある。残念ながらカインは薬学には詳しくないのだが、幸い特効薬が発見された経緯や開発者のことは知っていた。その知識を活かして薬の開発を早めることが出来れば――――エリオットを救うことが出来るかもしれないのだ。
万一治療薬の開発が間に合わなければ――――何か理由を付けて強引にエリオットや家族を避難させることも視野に入れてカインは動いていた。
「所長!! 前にお願いしてた素材と器具いつ届くんですか!!」
王都にある薬学研究所、主任研究員の一人であるイザベルは所長に食って掛かる。
「お、落ち着けイザベル、予算が無いんだから届くわけないだろ」
「そんな……それじゃあ私の研究はどうなるんですか!!」
イザベルは薬学の研究で功績のある家門出身の令嬢、幼い頃から薬草や薬の開発といったものに親しみながら成長した。
王国民の30%が罹患すると言われる「白炎熱」という病は、死には至らないが、炎症と高熱が数週間続き、人々の生活を著しく妨げる厄介なものだった。これまでは対症療法しかなかったのだが、イザベルは病の原因を突き止め、それを抑制する治療薬「フロストリーゼ」を開発。
その実績が高く評価され、史上最年少で薬学研究所の主任研究員となった天才である。
しかし、そんな天才であっても予算がなくてはどうにもならない。
「お前だって知っているだろう? この国で手厚く支援されているのは剣士や騎士、魔法士だ。薬師に回ってくる予算なんて雀の涙くらいのものさ」
薬学は治癒魔法の補完程度にしか考えられていないのが現状、しかし、実際のところ治癒魔法で治せるのは傷や怪我、症状を緩和させることは出来ても病気を根治させることは出来ないのだ。
それに――――治癒魔法の使い手は貴重、全ての民がその恩恵を受けることなど出来ない。だからこそ薬学の発展が必須なのだが、現状理解されているとは言い難い。悲しいことだが、流行り病などによって甚大な被害が出るようなことが起こらない限り状況は山のように動かない。
「そうだイザベル、お前、見た目は良いんだからお偉方に媚び売って予算取ってきたらどうだ?」
「はああっ!? なんで私がそんなことしなきゃならないんですか!! もういいです!!」
所長室から飛び出したイザベルだったが、このままでは研究どころではないのはたしか。
「はあ……参ったわね」
お偉方に媚びを売るなんて論外――――でも何か手を考えなければならない。
だが――――イザベルは薬学の天才ではあるものの、それ以外は何も出来ない。幼い頃から研究に没頭していたので社交性は皆無、協力を依頼出来そうな友人や知人にも乏しいのが現実だ。大きくため息をつくくらいしか出来ることはなかった。
「イザベル!! どうだった?」
研究室に戻ると、同僚のメアリーが期待の眼差しを向けてくる。
「駄目……予算がないって」
イザベルはスッと目を逸らす。
「あはは、だよね……」
唯一彼女の友と言える存在は同僚のメアリーくらいのもの。彼女もまた優秀な研究者ではあるが、貧乏騎士爵家の娘なのでお金の役には立たない。
「ねえイザベル、こんなところにいるより貴女ならどこかの貴族に嫁いで研究させてもらったほうが良いんじゃない?」
「……私だって考えなくは無いけどね、そんな理解があってお金もある貴族なんて居るわけ無いし、仮にいたとしてもそんな優良物件が私になんて興味持つはずないでしょ?」
イザベル・リュミエール、彼女も一応リュミエール子爵家の令嬢ではある、ただ、貴族というのはほぼ例外なく薬学を軽視しているか蔑視の対象としている傾向がある。リュミエール子爵家は極めて稀な例外なのだ。さらに裕福な高位の貴族であればあるほど体面や外聞を気にするわけで、妻に薬学をやらせたがる物好きなどいない。
「たしかに……こんなボロボロで汚い作業着着て髪もろくに梳かしてないしお化粧だってしてないですもんね」
「いや、事実なんだけどそこまで言われるとさすがに落ち込むわよ?」
二人が話しているとにわかに研究所が騒がしくなる。
『おい、聞いたか? ソルフェリス家が研究所に来てるんだってさ!!』
『マジで!? ソルフェリスって言ったらあの?』
「……ソルフェリス家がどうしたのかしら? って――――どうしたのメアリー?」
「は、は、はああああ!!! そ、ソルフェリス家っていったら……あのカインさまですよね!!」
普段は研究にしか興味ないメアリーが異様に興奮しておかしくなっている。
「カインさま? ああ……聞いたことはあるわね、今王都で一番人気があるとかなんとか……先日の剣術大会で史上最年少優勝されたとも聞いたかしら?」
「そうなんですよ!! 実は私、一度だけ遠くからご尊顔を拝したことがあって……正直尊すぎて死ぬかと思いました」
恋する乙女の表情でうっとりするメアリー。
「はあ? まだ十四歳の子どもでしょ?」
「イザベルだってまだ十六歳じゃないですか?」
「十六歳は立派な大人よ」
二人がああだこうだ言っていると、同僚の所員が慌てて走ってくる。
「おい、イザベル、ソルフェリス家の方がお前に用があるそうだ」
「……はい?」




