第六話 剣聖と弟子
「……なんでこうなった?」
剣聖クライヴは総勢五百名にもなる男女が必死に剣を振る姿を見つめながら思わず天を仰ぐ。
もう――――弟子など取らないと決めていたのにな、と自嘲気味に笑う。
カインは弟子ではない、はずだ。あくまで雇い主であってたまたまその業務の中に剣術指導が含まれていただけだ。
まあ……どうせカインに指導しなければならないのだから、ついでに何人教えても大して変わらないだろうと伯爵からの要請を受けたのは失敗だったか。まさかこんな大勢いるなんて聞いてない、確認しなかった自分の迂闊さに腹が立つが、その分報酬は貰えるのだからしっかり教えなければ。
クライヴは根が真面目だった。
それにしても――――久しぶりに血が滾る戦いが出来たな。
ベイル伯爵との手合わせを思い出してクライヴはいまだに残る高揚感を自覚していた。
十年近いブランクを考慮してもベイル伯爵は強かった、これまでクライヴが戦った中でも十指に入るほどに。さすが王国の剣と呼ばれるだけのことはあった。
無論負けることはなかったが、だからといって手加減出来るほどの大きな差も無かった。
だが――――クライヴがここまで高揚しているのはそれだけが理由ではない。
「なんなんだアイツは……」
クライヴはまだ幼さすら残る小さな雇い主を見つめる。カインはまだ十歳、それは間違いない。
背も低いし身体もまだ出来ていない。当たり前だ、だって子どもなのだから。
「逆に言えばそれだけなんだよな……」
カインの力量を測るため手合わせしたクライヴだったが、生れてはじめて驚愕したのだ。
恐るべきことにカインは十歳にしてすでに剣技そのものはベイル伯爵の域に届いていた。
足りないのは筋力とリーチだけ。
それだけだったのだ。
まさしく天才、いや――――そんな言葉ではその異常性を捉えきれない。
しかし――――クライヴを驚愕させたのはそれだけではなかった。
「嘘……だろ?」
カインはクライヴ流剣術の基本技をすでに身に着けていた。
まさか――――一度見ただけで?
彼がカインに剣術を見せたのは暗殺者集団と戦った一度きり。もはや天才とかそういう次元の話ではない。
クライヴは遠い昔のことを思い出していた――――
かつて――――彼がとある国の剣術指南をしていた若き日の出来事を。
『ねえクライヴ、私に剣を教えてくださらない?』
『なんでお姫さまが剣なんて振りたがるんだ?』
『そんなの決まってるじゃない、私はこの国の姫なのよ、私の家族もこの国の民も――――私が心から愛する大切なものを守りたいの』
粗野な自分とは生まれも育ちも全く違う、本来なら決して交わることのなかった聖女のような屈託のない微笑み。その嘘偽りのない言葉が――――クライヴの荒んだ心を癒していた。そして――――そんな彼女に彼は次第に特別な感情を抱くようになっていった。
しかし――――
『悪いな、俺は弟子は取らないことにしているんだ』
尊敬する師に裏切られた経験、初めて弟子にしても良いと思った人間を死なせてしまったという罪悪感、そして――――何より生まれて初めて心から守りたいと思った女性に剣など持って欲しくなかった。
そもそも――――姫が剣を持って戦わなければならない時点で、その国はもう終わりだろう。
だから――――
『だから――――お姫さまと大切なものは俺が守ってやる』
『本当ですの?』
『ああ、約束だ!!』
守れると思った。クライヴには自信があった、誰にも負けないという揺るぎない力があったのだ。
『大変だ、王宮が襲われた!!』
『急げ!! 急いで戻るんだ!!』
もし――――あの時剣を教えていたら――――失わずに済んだだろうか。
あと少し時間を稼ぐことさえ出来れば――――せめて身を守る術さえ教えておけば間に合ったかもしれない。
クライヴが駆け付けた時、彼女はすでに動かなくなっていた。
『俺の……せいだ……俺が……俺が……』
どれほど怖かっただろう、悔しかっただろう、そして――――死の瞬間までクライヴのことを信じていたに違いなかった。
守ると誓った、その時見せた幸せそうな笑顔を――――永遠に失ってしまった。
『何が剣聖だ……俺は大切なものを何一つ守れないじゃねえか……』
クライヴは慟哭し――――泣いて、泣いて、涙が枯れるまで――――泣いて
そして――――復讐の修羅となった。
同盟をしていたにもかかわらず、裏切り王宮を襲撃した隣国。
『この世に存在していること、呼吸をしていること、たとえ神が許しても――――俺が許さん』
実行犯を殺し、指揮した上官を殺し、少しでも関係のある貴族を皆殺しにして――――最後は命令を下した王と王族を根絶やしにした。
一夜にして国を滅ぼしたクライヴは剣を置いた。
関わらなければ失うこともない。そう考えた彼は人付き合いを避け、各地を転々と放浪した。
用心棒として最低限の収入を得ていたが剣を抜くことは一度も無かった。
だが――――カインと出会った時、クライヴはたしかに最愛の女性の面影を見た。その表情と言葉に彼女を重ねてしまったのだ。
大切なものを守りたいと言った真っすぐなその瞳は――――彼が愛したあの瞳と同じだったから。
クライヴは知っていた。
こういう表情をする人間は早死にすると。真っすぐすぎるから止まれない、自分を犠牲にしてでも大切なものを守ろうとするのだと。
放っておけなかった。
『ねえクライヴ、貴方はとても強いのだから、もしその力を必要する人がいたら助けてあげてね』
クライヴは歯を食いしばった、結局――――逃げていただけじゃないかと。
これ以上あの人の言葉を裏切れない、クライヴが誰かを助ければ、それは彼女が助けたことになるのだ。誰よりも優しかったあの人ならきっと喜んでくれる。気休めかもしれないけれど、自己満足かもしれないけれど――――逃げてばかりの情けない今よりはずっとマシだと思えた。
そして――――気まぐれだと言い訳しながらカインの依頼に応じた今、燻っていた彼の想いに消しようのない火が点いた。
――――カインになら――――俺の全てを伝えられる。
剣とともに歩んだ彼の人生は苦痛と絶望に満ちたものだった。
だが――――それでも、それでもクライヴは剣が好きだった。
剣術は彼の人生そのもので――――たったひとつの生き甲斐だったのだ。
捨てようとしても捨てられず、何度諦めようとしても諦めきれなかった。
「先生、俺はもっと強くなりたい。だから――――貴方の全てを教えてください!!」
クライヴは思う、たった十歳でここまで覚悟しなければならないほどの境遇を、そしてこの先に待っているであろう数多の困難と絶望を。
「ああ、この俺が教えるんだ、強くなってもらわないと困る」
もう間違えない、この子には同じ思いをさせない。
大切なものを守るためには力だけでは足りない。それを成し遂げるための強い意志と――――手数だ。
「――――というわけだから、お前ら覚悟しろよ? 死にたくなければ強くなれ」
ソルフェリス家総勢五百名が顔面蒼白になる。地獄の特訓はまだ始まってもいなかったのだ。