第五話 氷血の皇太子
「殿下、ヴァラステリア王国のカスパー伯爵より抗議の手紙が届いております」
「ヴァラステリア王国のカスパー? ああ、あの下衆か。奴がなんだって?」
ここは帝国皇城のとある執務室、部下からの報告を聞いていた皇太子ルキウスは、カスパーの名を聞いて露骨に顔をしかめる。
「それが……暗殺集団が仕事をせずに失踪したと」
「何? そんな奴らを派遣したのか?」
「い、いえ、帝国直属の暗殺部隊から派遣しております。あり得ないかと……」
「ふむ……となるとカスパーの裏切り……いや、あの俗物に限ってそれは無いな、となると……」
皇太子は切れ長の瞳を閉じて考え始める。
「追加の暗殺部隊を派遣しますか?」
「いや、その必要は無い。今はヴァラステリア王国に構っている余裕は無いのでな。ワラキアさえ落とせば背後の憂いは無くなる、今は大人しく王国内での影響力を高めておくように伝えろ」
帝国は今、西の大国ワラキアと交戦中だ。ワラキアさえ滅ぼすことが出来れば西側に陸路で国境を接する大国は無くなる、そうなってこそ大陸に覇を唱えることが可能になるのだ。ヴァラステリア王国は次の侵攻対象ということもあって人員と金を使い弱体化を進めてはいるものの、下手に刺激しすぎてワラキアと手を組まれてしまっては挟撃を受ける可能性がある。
「カスパー伯爵からすれば不満だろうが、な」
現皇帝はまだ四十代半ば、あと最低十年は皇位継承は無いだろうが、大陸統一という歴史上初の偉業を成し遂げるには歳を取り過ぎている。つまり、歴史に名を残すのは次代の皇帝の役割となる。
「ヴァラステリア王国か……思ったより手強いのかもしれないな」
カスパー伯爵は気付いていないようだが、おそらく暗殺部隊は全滅している。それもただ倒しただけではない、報告すら上がって来ない以上、離脱することすら出来ないほどの実力差があったということになる。一伯爵家がそれだけの戦力を抱えているのであれば無視は出来ない。
だが――――皇太子に焦りの表情は無い。王国と帝国の国力差は現状ですら三倍、ワラキアを飲み込めばその差は近い将来五倍以上に広がるのだから。
若き氷血の皇太子は、温度のない瞳を細めて楽しそうに笑うのであった。
「申し訳ございません、全員特殊な訓練を受けているようで自害されてしまいました」
捕らえた暗殺部隊の尋問をしていたザインが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、気にしなくていい。逆に正体がわかったからね。おそらくは帝国の暗殺部隊で間違いないだろう。まあ……わかったからといって何も出来ないんだけど」
帝国との繋がりを示すものはもちろん、カスパー伯爵との接触を匂わせる証拠は何一つ入手出来なかった。これでは糾弾することは難しいが、現状暗殺部隊を倒したことを公にするつもりはないので問題はない。むしろ父ベイル伯爵や親国王派の貴族たちが危機感を強めて結束を強化するきっかけになれば良いとカインは考えている。
回帰前の王国はカスパー伯爵の裏切りによって帝国になすすべもなく蹂躙されたが、それが無かったとしても、遅かれ早かれいずれは飲み込まれていた可能性が高い。つまり――――カスパーを排除すれば万事解決というわけではないのだ。
王国をもっと強くすること、そして――――何よりも自分自身が強くならなければならない。そのためにすべきことは山積みである。カインはあらためて気を引き締めるのであった。
「――――なるほど……ご苦労だったなザイン」
ソルフェリス家当主ベイルは部下からの報告を聞いて頭を抱える。ちょっと街に行くだけだと言っていたのに、戻って来ればなぜか伝説の剣聖を雇っているし、自分たちを狙っていたという暗殺者集団と戦闘してきたというのだ。
「皆無事だったのですからそれで良いではありませんか」
夫人のサリアはそう言って微笑んでいるがそういう問題ではない。
「たしかにカインは天才なのかもしれないが、まだ十歳の子どもなんだぞ? それに――――今回のことで敵対勢力が本気で我々親国王派を潰そうとしていることがわかった、今後君や子どもたちにも危害が加えられる可能性が高いだろう――――それに、背後に帝国がいるとなれば、これはもはや我が家門だけで対処出来る問題ではない。内輪で争っている場合ではないのだ」
ベイルはギリリと歯を食いしばる。事態がここまで深刻化していたことに気付いていなかったこと、大切な家族に危害が加えられたという事実。すべては己の認識の甘さ、危機感の欠如が巡り巡って今の状況をもたらしているのだ。
「サリア、子どもたちも含め今後は護衛無しでは決して行動しないようにしてくれ」
「ええ、わかっています」
サリアは優秀な魔法士だが近接戦闘となれば出来ることはほとんどない。幸いソルフェリス家は武の名門、優秀な騎士や従者を多く抱えている。ベイルは護衛の数をこれまでの三倍に増やすことに決める。
「それと……相談があるんだが」
「……はい、わかっております」
「すまない……君と結婚する時の約束を反故にすることになってしまった」
「良いのですよ、これは私にとっても必要なことですから」
サリアは頭を下げるベイルに向かって優しく微笑む。
「そういう意味でカインが『剣聖』を連れてきたのは大きいですね」
「ああ、彼がどこまで協力してくれるかはわからないが、是非とも部下たちの指導を頼みたい。それに一度手合わせしてみたか――――」
「駄目です」
「……一回だけいいだろ? 頼むよサリアこの通り、一生のお願いだ!!」
まるで子どものように瞳をキラキラさせながら懇願するベイルにサリアは、はあっ、とため息をつく。
「まあ……そこまで仰るのでしたら私はもう何も言いませんが、くれぐれも怪我だけはしないように!!」
「大丈夫、我が家には優秀な治癒魔法士である君がいるじゃないか」
「……ベイル?」
「……ごめんなさい。怪我しないようにします」
「そもそも『剣聖』さまが受けてくれるかわかりませんけどね?」
「くっ、たしかに……こうなったら土下座でもなんでもして――――」
「まったく……当主としてあまりみっともないことはしないでくださいね」
「ああ、前向きに検討する!!」
ああ……これは駄目な奴だ、サリアは苦笑いするしかない。ベイルは伯爵で当主である前にひとりの騎士、剣士なのだ。サリアもそんな彼に惹かれて嫁いで来た以上今更である。
「期待してますね」
サリアは全く期待していない口ぶりで飛び出してゆくベイルを見送ると、筆と便箋を取り出す。
「私もやるべきことをしないといけませんね」




