第四十二話 そして未来へ
「……入りますよ、父上」
ワラキア公宮の奥、静かな一室にて。
サリアは、久しく会っていなかった父――先代ワラキア公アキレウスの病床を訪れていた。
「サリア……よく来たな、十五年振りか?」
歳を重ねているはずだが、ワラキアの血筋のせいか未だ見た目は若さを保っている。病のため顔色も良くないが、その威厳だけは少しも変わっていなかった。
「……お元気そうでなによりです」
「ふはは、それは皮肉か?」
最初硬かった彼女も、すぐにいつもの調子に戻っていた。十五年という年月は――――長いようで、だが――――家族にとってはすぐに打ち壊せるものだった。
「私は今でもあの時の判断が間違っているとは思っていない」
「ええ、ワラキア公として当然の判断だったと私も思います」
サリアはすべての身分をはく奪されてワラキアを追放された。それは彼女を利用しようとする者たちから守るために必要なことだった。
「だがな――――父としては後悔しているよ。お前を守るために選んだ決断だったはずなのに、夜ごとに思い出すのは、寂しげに去っていくお前の背中だった。あの時、何か違う言葉をかけていれば――――そんなことばかりを考えていたよ。すまなかったな……サリア」
「父上……」
てっきり父に嫌われているものとばかり思っていたサリアは、初めて聞く父の苦悩に涙を流す。
「よくぞ戻って来てくれた。生きて孫たちの顔を見られる日がくるなど想像もしていなかった……本当にありがとうサリア」
そして――――その孫たちが国を救う英雄となったのだ。アキレウスは誇らしげに娘を見つめる。
「あら、まだまだこれからたくさん親孝行するつもりですから寝ている暇などありませんよ父上、幸い大陸一の薬師を連れてきておりますのでちゃんと診察受けてくださいね?」
「薬は……苦いから苦手なのだが……」
「ふふ、苦ければ苦いほど良薬と申します。我慢あそばせ」
焦る父の姿に――――サリアは目を細めて微笑むのだった。
「カインは本当に可愛いわね、リリアと一緒に私とも結婚しない?」
「えっと……その……」
リリアとレオニウスの母レオナに抱きしめられて返答に窮するカイン。
「母上、カインが困っております」
「カインは私のです母上!!」
レオニウスとリリアが諫めるが、レオナはそよ風のように聞き流す。
「レオナ、あまり孫を困らせないでちょうだい」
「だってライザ、カインって本当に可愛くて私好みなのよ~」
この女――――本気だ。ライザは危険を察知して素早くカインを奪い返す。
「もう大丈夫よカイン、サリア、結界を!!」
「はい、母上!!」
サリアも息子を守るため魔力結界を展開する。こうなるとさすがのレオナも渋々あきらめざるを得ない。
「わかったわよ……結婚は諦めるから、愛人はどうかしら?」
四十代のレオナだが、見た目は二十代にしか見えないから余計に質が悪い。
「母上!? 勘弁してください!!」
眉間を押さえながら叫ぶレオニウス。
「ヴェルナイト、カインを連れて逃げなさい!!」
リリアはヴェルナイトを呼んで緊急離脱を命じるのであった。
それから一月後、カインたちは王国へ帰還することになった。
本来であればもっと早くワラキアを発つ予定だったのだが、サリアの父アキレウスの治療をイザベルが続けており、ヴァレリアは七星に招かれて学術交流という名目で七つの塔を巡っている。要するに全員忙しかったのだ。
少なくとも数年は帝国が仕掛けてくることもないだろうから急いで帰国する理由も無くなった。
「このままワラキアに住んでもらっても私は構わないのだぞ」
ワラキア公レオニウスはわりと本気でそんなことを言い出すし、国民からの歓迎ムードも凄まじい。カインもリリアやルミナスとワラキア観光をしたり美味しいものを食べたり――――母の祖国はカインやリリアンにとってもまるで本当の故郷のように感じられたのだ。
すっと――――ここに居られたらいいのに、カインは想う。
この国の空の色、どこか懐かしい街のざわめき、この温かい笑顔と愛すべき家族――――それらすべてを、もうしばらくそばに置いておきたかった。
だが――――カインには使命がある。まだ立ち止まるわけにはいかないのだ。少なくとも――――今はまだ。
「お世話になりました」
断腸の思いで別れを告げる。王国とワラキアは遠い、休戦状態となったことで以前よりは交流しやすくなるとはいえ、余程のことがなければ再訪は難しいだろう。
リリアと目が合う。そして――――ルミナスを見つめる。
二人の気持ちは別にして、彼女たちを王国へ連れてゆくことは出来ない。
リリアとルミナスはワラキアの守りの要であり、精神的な支柱である英雄なのだ。
カインは言葉にならない想いがあふれてくるが――――一滴たりとも零すまいと笑顔で別れようと決めていた。
今は無理でも――――いつか帝国を倒し平和な大陸となった暁には――――きっと
「カイン、どうしたのですそんな泣きそうな顔して」
「そうですよカイン、もしかして具合悪いんですか!?」
二人とも強いな、カインはいつも通りな様子のリリアとルミナスを見て、己の弱さを恥じる。
「それにしても楽しみですね王国」
「はい、私も楽しみです」
「…………え?」
もしかして――――
「二人とも一緒に王国へ来るつもりなのですか?」
「当たり前じゃないですか」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
ふふふ、と悪戯っぽく笑うルミナスと勝ち誇ったように肩をすくめるリリア。どうやらカインを驚かせるつもりだったらしい。
彼女たちのサプライズは見事に成功した――――カインが胸の奥に押し込めた別れの悲しさは、まるで陽の光に溶かされるように一瞬で消え去り――――言葉にならない安堵と喜びが広がってゆく。もう、二人と離れずに済む。そう思えただけで、自然と頬が緩むのを感じた。
「でも――――二人がいないとワラキアは――――」
「ああ、そのことなんだがな、実は対帝国戦の一環として王国にも転移ゲートを設置することにした。他の同盟国にも提案してみるつもりだ。もちろん厳しい利用制限はかけるがな。リリアとルミナスは転移ゲート設置のための先遣隊として王国へ行ってもらうことになった。すまないが滞在中は面倒を見てやってくれ」
レオニウスがカインにウインクする。どうやら知らなかったのはカインだけらしい。
「ふふ、もっともらしいことを言ってますけど、転移ゲート設置は兄上の私情が多分に入っているんですよ。大好きな姉上にいつでも会えますからね」
「り、リリア、余計なことは言わなくて良いから!!」
慌てるレオニウスに皆が笑う。
ルミナスとリリアは転移ゲートが完成するまでは長期の休暇扱い、ちなみにルミナスとセレナ王女はカインたちと同じ学院に編入するらしい。
リリアは王国でカインと暮らしながら転移ゲートで魔法騎士団へ通う遠距離通勤。早く後進を育てて引退するのだとヤル気に燃えている。
「本当に楽しみだな」
転移ゲートが完成すれば、いつでも両国間を移動できるようになる。やがて同盟国すべてに転移ゲートが設置されれば、アストラやセレナも瞬時に故郷へ帰れる夢のような時代がやってくるのだ。戦局だけでなく日常のすべてが変わる。そして、それは間違いなく帝国の支配を打ち破る鍵となるだろう。
今はまだ道半ばであるけれど――――
皆と作る未来は明るく希望に満ちている。
決して夢では終わらせない、カインは強くソルフェリスに誓うのであった。
これで第一部 完結となります!
ここまで物語を追い続けてくださった皆さま、本当にありがとうございました。第一部を書き終えた今、こうして皆さまに届けられたことを心から嬉しく思います。カインたちと共に歩んだこの物語は、私にとっても多くの挑戦と発見の連続でした。そして、皆さまの応援があったからこそ、ここまでたどり着くことができました。
しかし、物語はまだ終わりません。ワラキアの勝利は大陸に新たな希望をもたらしましたが、帝国の暗雲は未だ晴れず、さらなる試練がカインたちを待ち受けています。魔族の姫の運命、帝国皇太子ルキウスの策略、そして転移ゲートをめぐる新たな戦い——物語はさらに壮大な展開へと進んでいきます。果たして、カインたちは平和への道を切り開くことができるのでしょうか?
第二部以降では、成人したカインたちの物語となる予定です。
ここまで読んでくださった皆さまに、心からの感謝を込めて。次の章でまたお会いできることを願って。
2025月6月12日 ひだまりのねこ




