第三十六話 聖女ルミナス=ワラキア
ワラキア公城・聖女の間――――
「ルミナス、入るぞ」
部屋の中央に置かれた豪奢な寝台――――そこには、静かに横たわる 聖女ルミナス=ワラキア の姿があった。
淡い光が窓から差し込み、彼女の燃えるような赤毛を照らす。だが、その神聖な輝きは、どこか弱々しく揺らいでいた。
「……すみません……お迎えするはずが……」
ルミナスは薄く微笑みながら、カインたちを見つめる。その赤い瞳には決して消えない強い意志が宿っている――それでも、彼女の息遣いは浅く、身体は起き上がれないほど酷く衰弱していた。
「気にしないでください、ルミナスさま。初めまして、私はカイン=ソルフェリスです。どうか治療に専念なさってください」
カインが言葉をかけるが、ルミナスは首をゆっくり振る。
「私は聖女……こうして弱っている姿を晒すなど、本来許されないことです……」
白磁のように美しかった肌は今や薄く透けるほど血の気が失われ、ほのかに浮かぶ血管すら淡い青に沈んでいる。それゆえに生気のなさが際立っている。かつて聖女の象徴だったバラ色の唇は凍えるように青白く見る影もない、まるで死人のように青白い。あくまでも聖女として高潔であろうとする彼女の言葉。それはたとえ死に瀕したとしても消えることのない真っすぐで強い想い。カインはこの人を絶対に死なせてはならないと心の底から強く思う。
「セレナ、頼む」
「わかりましたカイン」
エルフ族の王女が一歩前に出る。
「……これは……やはりただの病ではありませんね」
セレナ王女がルミナスの近くに歩み寄り、その赤い瞳をじっと見つめる。
「エルフの王族に伝わる秘術で診断します。少し目を閉じて楽にしていてください」
ルミナスはゆっくりとまぶたを閉じ、セレナが両手をかざすと淡い緑の光が彼女の身体を包み込んだ。
数秒の静寂――セレナの瞳がかすかに揺れ、息を飲む音が響く。彼女の指先が震え、背筋が凍るような悪寒が駆け巡った。
「これは……っ!?」
彼女の声は震えていた。場に漂う空気が一気に張り詰まり、誰もが呼吸を止めた。
「……これはっ!? やはり古代呪詛です……しかも極めて凶悪で残忍な呪詛……おそらくは『運命固定の呪詛』に違いありません……」
場の空気が張り詰める。ワラキア公レオニウスの表情が険しくなり、リリアが歯を食いしばる。
「古代呪詛……」
サリアが低く呟く。想定はしていたが、絶望的な状況が確定したことに誰一人言葉を発することが出来ない。
「なんて酷いことを……『運命固定の呪詛』は万を超える生贄を必要とする最低最悪の呪詛です……それゆえに使用法を含め完全に歴史から消去されたと聞いていましたが……」
セレナ王女の顔色が悪い。もしその言葉が事実なら――――帝国は聖女一人を消すためにそれだけの犠牲を払ったということになる。はっきり言って狂気以外の何物でもない。実際、栄華を極めた古代王国は呪詛によって崩壊したのだ。帝国はその過ちを再び繰り返そうとしている。
「セレナ王女、そのルミナスにかけられている『運命固定の呪詛』というのはどういう呪詛なんだ?」
レオニウスがたまらずに尋ねる。聞きたくないが現実から目を逸らすわけにはいかない。
「魔力を使うと呪いが全身に侵食し死に至ります。魔力の流れが呪いのエネルギーに変換されるということです。魔法士を――――特に聖女さまのような方を確実に殺すための呪詛ですね。魔法を使わずとも魔力を使わないのは呼吸をするなと言われているに等しいですから」
「そんな……なにか方法は無いのか!!」
「救いがあるとすれば、呪詛が不完全であることですね。いまだに聖女さまが生きているのがその証拠です。あくまで推測ですが……帝国が魔族を使って私を拉致しようとしたのはエルフ王族である私の膨大な魔力が呪詛の完全発動に必要だったからでしょう」
間接的にカインたちの行動がルミナスの命を救うことになっていた。それ自体は喜ばしいのだが、不完全とは言えルミナスの力が封じられている状況に変わりはない。
「それを聞いて安心しました。私にはまだこの国のため、民のために出来ることがあるのですね。父上、このルミナスの命、決して使いどころを誤らないでください」
「ルミナス……お前は……」
誰もがその言葉の意図することを悟った。ルミナスは最後に神聖魔法を使うつもりだ、もちろんそんなことをすれば間違いなく死ぬことになるだろう。だが――――このまま何もせず生きながらえるよりも聖女として死ぬことを選ぶ、そんな彼女だから聖女として覚醒したのだろう。
強い人だ――――カインの心にルミナスの覚悟が伝わりどうしようもないほど震える。
怖いだろう、絶望するに決まっている。その瞳に迷いは無いが、僅かに身体が震えている、そして――――それを隠そうと気丈に微笑む彼女のことを想って胸を痛める。こんな華奢な身体でどれほどの覚悟と重責を背負ってきたのか想像も出来ない。
回帰前のルミナスと面識はない――――けれどカインにはわかる、彼女は――――ルミナスは絶望の中で――――それでも自分に出来ることを貫いて死んだのだろう。だが――――目の前の彼女はまだ生きている、まだ出来ることは残されている、絶対に帝国の思い通りにはさせない、必ずルミナスを助ける、たとえ――――どんな手を使ったとしても。
カインは痛いほど拳を握り締める。爪が手のひらに食い込み、鋭い痛みが激情を抑え込み冷静さを失わせない。
「イザベル、薬での治療は可能か?」
ワラキアは魔道国家のため王国以上に薬学が軽んじられている傾向がある。だからこそカインはイザベルを同行させたのだ。
「……治療は不可能です」
ルミナスの診察を終えたイザベルが苦しげに言う。
でも――――と言葉を続ける。
「―――― 治療は無理でも、症状を緩和する方法ならあります!」
イザベルが素早く薬袋を広げる。次々と香草や精製された粉末を取り出し、調合を始める。
「この呪詛は魔力を侵食することで症状が悪化します。ならば、魔力の流れを一時的に緩やかにする薬を使えば――」
彼女は手際よく薬液を混ぜ合わせ、小さな瓶をルミナスに手渡した。
「これを飲んでください。苦いですが、楽になるはずです」
ルミナスは微笑みながら、小さく頷き、薬を口にする。すると――――
「……とても、楽になりました……」
彼女の表情が柔らかくなり、息遣いがゆるやかになる。頬にも少し赤みが差したように見える。
「イザベル殿、あなたは……素晴らしい薬師なのですね」
ルミナスの言葉に、イザベルは恥ずかしそうに笑いながらも、誇らしげに薬袋を片付けた。
「私からも礼を言わせてくれイザベル嬢」
「お、お役に立てて光栄です!!」
頭を下げるレオニウスにイザベルは慌てて首を振るのだった。




