第二話 騎士の回帰
「おはようございますカインさま、朝食の準備が整っておりますよ」
浮上する意識の中で、カインの耳はどこか懐かしい声を捉える。
差し込む朝の光に目を細め、窓から吹き込むそよ風は頬をふわりと撫でる。柔らかいベッドの感触と温もりが全身を優しく包んでいるのを感じる。
カインの目に映る天井は見慣れた自室のものだ。だが――――何かがおかしい。妙な違和感がある。
部屋だけではない、あの痛み、間違いなく致命傷だった。そもそも屋敷は焼け落ちたはず――――
「ここは一体……俺は死んだはずじゃ……!?」
「あはは大袈裟ですね、風邪で寝込んだくらいで死んだりしませんよ。食欲はございますか?」
クスクス笑いながらそれでも心配そうに覗き込んでくるのはカインもよく知るメイドのクララだった。
「クララ……? お前……生きて……いたのか?」
カインは信じられないという思いで目の前のメイドを見つめる。
「今度は私まで殺すおつもりですか? もしかして――――そういう遊びなのでしょうか?」
キョトンとした表情で苦笑いするクララを見つめながらカインは状況を把握しようと頭をフル回転させる。
(クララは父上、母上と一緒にあの事件で亡くなったはず……)
「クララ、今何年だ?」
「はい? 王国歴994年ですが、それが何か?」
994年……だと!? そんな馬鹿な……
まさか――――俺は十年前の世界にいるのか?
あり得ない仮説、だが――――焼け落ちたはずの屋敷、死んだはずの自身がこうして無事であること、十年前の事件で亡くなったはずのクララが生きていることを考えれば一応の辻褄は合う。なんらかの理由で過去へ回帰したのだと考えるしかない。
「……何でもない、食欲はあるからすぐに着替えるよ」
「お手伝いいたします」
「大丈夫、一人で出来るから」
風邪で数日まともに食べていなかったこともあり、カインは酷い空腹感に襲われる。
だが――――いつもの要領でベッドから降りようとしてカインは派手に転落し、床とキスする羽目になった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「イテテ……ああ、大丈夫だ」
慌てて駆け寄ってくるクララの手を借りて立ち上がるカイン。
十年前ということは十歳、小さくなった身体にあらためて過去へ回帰したのだと実感する。
「クララ、皆はどうしてる?」
「当主さまと奥方さまはすでに朝食の間でお待ちです。リリアンさまはまだお着換え中かと」
家族が生きている、クララは当然のように話すがカインにとってはそうではない。少し新しく、装飾も違う屋敷内を移動する間、彼の胸はかつてないほど高鳴っていた。
「カイン、もう大丈夫なのか?」
朝食の間へ入ると、サラサラのブロンドヘアに碧眼という王家の血を色濃く受け継ぐ名門貴族らしい風貌の男性が声をかける。ベイル=ソルフェリス、伯爵家当主にしてカインとリリアンの父だ。一見優男に見えるが、鍛え上げられたその肉体にはまったく余計な肉が付いていない。しなやかな肉食獣のような体をしている。
「はい父上、ご心配をおかけしました」
「無理をしてはいけませんよ?」
続いて声をかけたのは艶やかな深紅の髪と瞳を持つ美女、サリア=ソルフェリス、ベイル伯爵夫人でカイルたちの母親である。双子は母親の要素を強く受け継いでいる。そのことにベイル伯爵は少し寂しい思いをしているのだが、決して表に出すことはない。
「母上、おかげさまでもうすっかり元気です」
優しく高潔だった両親との十年振りの再会、カインはこみ上げる涙をぐっとこらえながら朝食の席に着く。
そして――――
「カイン、元気になったお祝い、私のニンジンあげる」
「ありがとうリリアン」
失ったはずの最愛の妹が手を伸ばせば届く場所にいる、その声が――――その笑顔がたまらなく愛おしい。カインは受け取ったニンジンと一緒に喜びを噛み締める。
「カインどうしたの? まだ熱があるんじゃ?」
いつもなら好き嫌いするなと突き返されるはずが、御礼まで言われてリリアンは不安そうに双子の兄とおでこを合わせる。
「うーん熱は……無いみたいだけど?」
「リリアンのくれたニンジンは宝物だからな」
美味しそうにニンジンを食べながら最愛の妹を抱きしめるカイン。
「母上……やっぱりカインおかしくなった!!」
「あらあら、二人は本当に仲が良いのね」
幸せな時間、もう二度と訪れることのなかった家族団らん。
だが――――カインにはこの状況をゆっくり楽しんではいられない事情があった。
記憶が正しければこの日は――――
「カイン、リリアン、私たちはこの後ヴァレンティス家主催のパーティーに呼ばれている。戻りはおそらく深夜になると思うから、すまないが夕食は二人で食べて先に休んでいなさい」
そう――――この日、パーティーに出席するため向かう道中、両親は野盗に襲われて死ぬことになる。
これまでは運が悪かった、事故みたいなもの、そう言い聞かせてきたカインだったが、思えば不審な点が多い事件だった。
父である伯爵は王国の剣として武勇に秀でた一門の長、野盗程度に不覚を取るとは考えにくい。
そして――――何より犯人とされた野盗は結局捕まらないまま捜査は打ち切られたのだ。
今のカインならわかる――――これは事故なんかじゃない、両親は殺されたのだと。
事件にカスパーが直接関わっているのかどうかはわからない。だがヴァレンティス家主催のパーティーが偶然とは思えない。それに――――十年後に起こる王国の滅亡は周到に時間をかけて準備されたものであると認めざるを得ない。騎士団の目をかいくぐって大量の兵士を送り込むなど一朝一夕に出来ることではないからだ。少なくとも年単位で計画されたものだろう。
カインの父ベイル伯爵は親国王派の筆頭で現職の国防大臣でもある。帝国の走狗どもにとって最も邪魔な存在、排除しようとする動機などいくらでもあるだろう。
両親は絶対に死なせない、思い通りになんかさせてやるものか!! カイルは固く誓う、そうでなければ何のために過去へ回帰したのかわからない。