第一話 王国の滅亡
「副団長、もうすぐ建国祭だからでしょうか、すごい人ですね」
「ああ、建国祭の時だけは王都の人口が数倍に膨れ上がるからな。めでたいことだが、我々騎士団は寝る間もないほど忙しくなる。お前たちも覚悟しておけよ」
「うへえ……俺だって建国祭を彼女と楽しみたいのに……」
「お前、彼女なんて居ないじゃないか」
「だからこそですよ!! 祭りの雰囲気って彼女作る絶好の機会なんですから!!」
「……その熱意を職務で発揮してもらいたいところだが。まあ、ちゃんと交代で休みは取らせるから頑張れよ」
「さっすが副団長、吉報を待っててくださいね」
「いや、報告とかいらないから」
王都へつながる街道を巡回するのは王国騎士団副団長のカイン=ソルフェリスとその部下たち。カインは若くして伯爵家当主となり王国騎士団副団長という要職に就いた期待のホープだ。本人に自覚は無いが、その端正で甘いルックスは女性人気が高く、誠実で優しい人柄から部下からの人望も厚い。
「そういえば副団長はモテるのになんで結婚しないんだろう?」
「馬鹿、それはほら、妹君がいらっしゃるから……」
「ええっ!? 副団長って重度のシスコンだったんですか!?」
「お前たち……全部聞こえてるぞ」
シスコンではないが、妹のことがあって結婚していないのは事実なので、カインは怒るに怒れずため息をつくしかない。
リリアン=ソルフェリス、双子の妹はカインにとってただ一人残された家族だ。
兄と同じ深い深紅の艶髪、そして燃えるような緋焔の瞳を持つ麗しの令嬢。元々人見知りな性格で、家族と幼馴染の婚約者以外には心を開くことがなかったのだが、両親に続いて婚約者が亡くなってからというもの、それまで以上に心を閉ざし屋敷に閉じこもるようになってしまった。
王国屈指の名門伯爵家当主で名誉ある王国騎士団副団長を務めるカインには、当然山のように縁談が舞い込んでくる。だが兄としてたった一人の家族として、妹が再び前を向いて心から笑える日が来るまで結婚するつもりはなかったのだ。
そして――――もちろん美しいリリアンにもたくさんの縁談が舞い込んでくる。カインもこのままで良いとは思っていないし、良い縁があれば良いと願ってはいる。それでも彼女が望まない結婚はさせるつもりはないし、たとえそれが王家からの要請であったとしても応じないという覚悟がカインにはあった。
リリアンは彼にとって何よりも優先すべき大切な存在だったのだ。
「そういえば……建国祭楽しみにしていたな」
カインは朝食の席でことを思い出す。建国祭のことを話すリリアンは久しぶりに楽しそうだった。ゆっくりと一緒に回ってやる時間は取れそうにないが、それでも半日程度は確保するつもりでいる。良い気分転換になれば良い――――想像しただけで頬が緩む。
辺りを見渡せば気の早い連中がすでに屋台を出して商売を始めている。普段は見かけないような異国の珍しい菓子などもある。そうだ――――甘いものが好きな妹のために何か土産に買って帰ろう。カインがそう考えた直後――――
「副団長!! 大変です!! お屋敷が――――ソルフェリス家のお屋敷が燃えています!!」
王都から全速力で馬を駆けてきたのだろう、人馬共に倒れ込みそうな勢いで騎士団本部からの使いがカインに伝える。
「シモン、ここは任せる」
「はっ、お任せください!!」
カインは驚く時間すら惜しいとばかりに手綱を緩めると、愛馬は主人の意を汲み矢のように駆けだした。
「リリアン……頼む無事でいてくれ」
王都の中心部、王城に隣接した貴族街の中でも威容を放つソルフェリス家の本邸、歴史ある豪華で荘厳な屋敷は轟々と燃え盛っている。不幸中の幸いがあるとすれば、本邸の周囲には広大な敷地があるため延焼する危険性は無いことぐらいだろうか。
カインは火の海と化した屋敷を前に立ち尽くすことしか出来なかった。
何も出来ることが無い、これだけの火力の中に飛び込めば間違いなく死ぬ。もし万一、逃げ遅れている人が中に残されていたとしても――――ここまで燃えてしまえば生存は絶望的だ。カインに出来ることは、無事避難出来ていると信じることだけだった。
「おや、遅かったではないかカイン」
だが――――駆け付けたカインを出迎えたのは、妹でもなくソルフェリス家の家人でもなく騎士団の人間でもなかった。
「カスパー・ヴァレンティス……なぜお前がここにいる?」
カスパー・ヴァレンティス、王国の商務大臣にしてヴァレンティス伯爵家当主。カインよりも二回り以上年上で良く言えば恰幅の良い、悪く言えば少々太り気味の男。余った腹肉が覆いかぶさるようにベルトを半ば隠し動くたびに肉が揺れる。派手で悪趣味な服のボタンが今にも弾けそうなほど張り詰めているが、ただの自堕落な豚ではない。その高圧的な態度とは裏腹に細く小さな目は狡猾な光を放ち、常に周囲を探るように油断なく動いている。獲物を狙う蛇のような執拗さと草食動物のような臆病さを兼ね備えた人物。
王城に居るはずの彼が、しかも大勢の武装した護衛騎士を引き連れてこの場所に居るのは明らかに不自然だとカインは最大限に警戒する。
「ハハハ、せっかくお前にリリアンのことを知らせてやろうと思ってわざわざ待っていてやったのにつれないではないか?」
話すたびに唾を飛ばし、笑い声は耳障りなほど大きい。そんな男からリリアンの名が出たことにカインは顔をしかめるが、今は何よりも彼女の安否確認が先だ。
「……それはすまなかった。それでカスパー、リリアンはどこにいる?」
そもそもリリアンが無事であるならばなぜここに居ないのか? 怪我をして治療中なのだとしたら一刻も早く安心させてやりたい。カスパーに疑念は残るが、口ぶりから少なくともリリアンのことを知っているのは間違いない、であるならば下手に刺激するのは得策ではない。今はとにかく一刻も早くリリアンの安全を確認することが最優先だとカインは激情を押し殺す。
「まあそう焦るな、そう長い話でもない」
「……聞かせてもらおう」
「私がここにいるのはリリアンに会いに来たからだ。せっかくこの私が妻に貰ってやると申し出てやったのに断られたのでね、カイン、どうせお前が勝手なことをしたのだろうと直接リリアンに会いに来たのだよ。ところが――――わざわざ出向いてやったこの私に向かってあの女……近寄らないでと叫びおった。まあ……目の前で侍女を斬り殺したから怖がったのかもしれんが……とにかく面倒なんで適当に大人しくさせてさっさと既成事実を作ろうとしたんだがね、自ら舌を噛んで死にやがったのだよ。まったく……死ぬほど嫌われるなんて傷付いてしまうよ、そう思わないかね?」
言葉の意味としては理解出来るが、目の前の男が何を言っているのかカインにはわからなかった。
「おや、どうしたのかね? ああ、屋敷へは勝手に入らせてもらったよ、全員皆殺しにしてね、当然屋敷に火を放ったのも私だ」
その状況を思い出したのか、にんまりと笑みを深めるカスパーにカインは呼吸も忘れて身体を震わせることしか出来なかった。
「貴様……正気か?」
怒りよりも嘘であってほしい、こんなの現実のはずがないという思いで、やっとのことで絞り出した言葉。
「無論!! 私はいたって正気だよ。むしろキミの方が心配だがね、ずいぶんと顔色が悪いように見えるが」
この男は一体何を言っているんだ……理解できないししたくもない、激しい吐き気に嘔吐しそうになる。
それでもまだカインが動かなかったのは、この状況が何かの罠だと考えたからだ。彼を逆上させて手を出させることで口実を得る、いかにもこの狡賢い男が考えそうな筋書きだ。
そもそもカインはリリアンの遺体を見たわけではない。それに他家へ侵入し虐殺に加えて放火、すべて王国では死罪となる重大な犯罪だ。カスパーが現役の大臣だろうが関係ない、むしろ余計に責任が追及されることになるだろう。
皮肉な話だが、カスパーの冷静さがカインを安心させていたのである。彼がリリアンに執着していたことはたしかだが、そのために人生を捨てるようなタイプでは決してない。
カインは激しく動揺しながらも最後まで冷静な部分で状況を分析していたのだ。
だが――――それでも屋敷が炎上しているのは紛れもない事実。だからこそ腑に落ちない、カインはカスパーを問い質す。
「カスパー、放火は死罪だと知っているはずだが?」
「ハハハ、たしかに王国法ではそうだがね、国が存在しなければ裁かれる道理はない、言ってる意味、わかるかね?」
ニヤリと暗い笑みを浮かべるカスパー。カインの脳裏に一つの可能性がよぎる。
「まさか……クーデターか!?」
現在の王族を廃し新たな国を興す。たしかにそれなら罪を免れる可能性はあるが、カスパーにはクーデターを成功させるほど軍部と太いパイプは持っていないはずだ。彼のフィールドはむしろ商務大臣として他国との貿易や交渉――――
そこまで考えてハッとする、建国祭に向けて膨れ上がった人口――――
「まさか――――この国を帝国に売ったのか!!!」
「ほう、正解その通り、さすがに頭の回転は早いな。今頃商人に化けた帝国兵が一斉に動き始めたところだよ。可哀想に君の可愛い部下たちも皆殺しになるだろうね」
「カスパーああ貴様ああああ!!!!」
天をも裂けよ――――激昂したカインの剣は幾重にも取り囲む護衛たちをものともせずに薙ぎ払う。
「距離を取って矢を浴びせろ!!」
完全に包囲され全方向から無数の矢が襲う、カインがどんなに強くとも無敵ではない。一本、また一本、突き刺さった矢が、流れた血が彼の動きを力を着実に奪ってゆく。
「カスパー!! 男なら剣で勝負しろ!!」
「私は野蛮な騎士ではないのでね、最後に立っていた方が強いのだよ」
カインの咆哮も怒りの剣もカスパーには届かない。
すでに周囲はカスパーの手勢だけでなく雪崩れ込んだ帝国兵によって埋め尽くされている。王都は人々の逃げ惑う悲鳴と殺される兵士たちの断末魔に埋め尽くされてゆく。
「カイン、いい加減無駄な抵抗はやめたらどうだ?」
「黙れ……貴様だけは絶対にこの手で殺してやる……」
蟻のように群がる敵兵を鬼神のような強さで斬り倒す。その姿はまさに悪夢そのもの死神もかくやと思わせた。勇猛で知られる帝国兵ですらその迫力に逃げ出す始末。
「矢だ、矢を放て!!」
接近戦では勝ち目がないと包囲網が広がった瞬間をカインは逃さなかった。
「死ね、カスパー」
石畳が砕けるほどの凄まじい踏み込みから一瞬で距離を詰める。もはや防御は捨て最後の一撃に全振りした雷のような突き。
だが――――命をかけた最後の一撃はあと一歩及ばなかった。
魔法師部隊による土壁がギリギリのところで間に合ったのだ。
最後の力を振り絞ったカインに容赦なく矢の雨が降り注ぐ。
「まさかこれほどまでとは……驚いたがもう終わりだ。しかしまあ……楽しませてもらった礼だ、カイン、お前には見届けてもらおうか――――この王国が踏みにじられ崩壊してゆくその最後の瞬間をね」
全身にハリネズミのように矢を受け、朦朧とする意識の中でカインは王国の最期を目の当たりにする。
次々と告げられる王族の死、その中にはカインが敬愛してやまない騎士団長の名もあった。
「さて……世紀のショーは楽しんでもらえたかな? ふむ、このまま死なれてもつまらん……最後は憎い私の手でとどめをさしてやろう。ククク、さぞや悔しいだろう? うんうん、実にいい表情だ、視線で殺せるなら殺してやりたいってところだな、だが――――残念!! お前は今から何も出来ずに虫けらみたいに殺されるんだ。しかも!! 自分の愛剣で殺されるなんて……騎士として最悪だろうな!! ハハハハハ!!!!」
もはやカインは指一本動かすことも出来なかった。しかしその眼は最後までカスパーを睨みつける。
「ふん、その眼……リリアンにそっくりだな、虫唾が走るんだよこの虫けらがっ!!!」
ドシュッ
剣が心臓を抉るように深々と突き刺さり、血が噴水のように舞う。
「このゴミを片付けておけ」
唾を吐きかけ踵を返すカスパーは――――気付いていなかった。
カインの剣が淡く――――光り輝いていることを――――