夜明けのウェナン
短編と言いつつけっこう長いです。
──いつか、この国を背負う立派な王になってね。
美しい人だった。
強くて、凛としていて。
帝国との戦いにも臆さず剣を振るう姿は、まさに戦場の巫女さながらだった。
姉さんが捕まった。
──あなたは逃げなさい。ここはわたくしが食い止めます。
そう言った姉さんは、まっすぐ走って敵に斬りこみ、そして捕まった。
それが最後に見た、オレの大好きなイーファ姉さんの姿だった。
「どうしてダメなんだ!」
オレは大祭司に詰め寄った。
てらてらの額にぺったりと張りつく白髪。
法衣に隠された体躯はまるで豚のよう。
仮にも国を代表する神官なら、もう少し見た目に気を配れよと思うが、いまはそんなことはどうでもいい。
「答えろ、豚足!」
「──なっ、と、豚足だと⁉ この『不死蝶』のワシに向かって、このくそガキがぁ!」
「あ、王子に向かってそういうこと言う? 父上に報告しっとこーと♪」
「ぐっ……ぐぬぬぬぬぬ!」
目尻を下げてべーっと舌を出してやれば、大祭司は額に青筋を立てて身体を震わせた。
しかし、ごほんと咳払い。
すぐに気持ちの悪い笑みを向けてきた。
「──どうして、と仰られましても。すでにかの国との停戦条約は結ばれました。今後、帝国を刺激するような行動は控えよと国王陛下も仰せでございますゆえ」
「知るかっ、そんなもん! オレはイーファ姉さんを助けに行くんだ! つーわけで、その宝剣よこせ!」
「いけません、殿下! 誰ぞ、殿下を御止めしろ!」
「ははっ」
神殿に祀ってある宝剣を掴んで走り去る。
だけど、豚足大祭司の部下たちがオレを捕えようと手を伸ばしてくるので、その合間を縫って出口まで走れば、ああ悲しきかな。見事につかまってしまう。
「──くそっ、はーなーせ────!」
こんな感じでオレは神殿を追いだされ、城の自室へと閉じ込められてしまうのだった。
***
「ほんとあいつマジ無いわ。あの豚足大祭司、いつかハムにしてパンに挟んでくれるわ」
枕に顔をうずめて文句を言っていると、ベッドの縁がきしみを上げて、上から綺麗な声が落ちてきた。
「はあ、またですか……。あまりあの方を刺激しないほうがいいと思いますよ? 殿下が王位を継承するには、五大侯の皆様とクルビン大祭司のご支持が必要なんですから」
横を向くと、幼なじみのミリアがいた。
森のような緑の髪。
それを一本の太いみつあみにまとめたそこそこ美人な少女だ。
年はオレと同い年。十四歳。
白いローブを纏うコイツは、普段は神官見習いとして神殿で修行と称した雑用なんかを押しつけられている。
オレはミリアを一瞥してから、ふたたび枕に額をつけた。
「わかってるよ。でも、腹が立つもんは立つんですぅ。それに見たかよ、今日のあいつの格好。変に着飾って、おまけに香木なんかも焚いてさ。いっちょ前に貴族気取りかっつーの!」
「気取りも何も、公爵様ですので貴族かと。それからあの格好は祭事用の法衣です。香木についてもおそらくは晴れごいの儀式の準備なのだと思います」
「晴れごい? なにそれ」
「最近、雨が続いていますでしょう? このままでは麦の実りが悪いからと、太陽を喚ぶ儀式を行うと話されていました」
「ふーん……」
ミリアの言葉にオレは大祭司の姿を思い出す。
あんな見た目、白豚野郎なおっさんだが、あれでも身分だけは高いのだ。
王都にある大神殿。
そこを代表する一番偉い神官で、祭司として祈りの儀式を執り行ったり、希望者に祝福のまじないを授けたり。
オレからすれば脂の乗った豚足でも、民たちからはまさに『大祭司様!』なのである。
(そのうえ、ユーハルド公爵……)
大祭司の職についている時にのみ与えられる特殊な爵位がある。
いわゆる役職爵位というやつで、この国の名前を冠する特別な、王族の次に権力を持つ身分なのだと聞いた。
それがユーハルド公爵。
直接王家との血のつながりはないし、なぜそんな爵位が存在するかのさえ誰にもわからないそうだ。
それから、魔導師。
神官には魔法を得意する者が多いけれど、自分は歴代最強の魔導師だとアイツは自称している。
しかも、本物のユーハルド最強の大魔導師『不死蝶』と呼ばれた、初代大祭司の通り名を勝手に使っているあたり始末が悪い。
それはそうと、
「くそっ、次はアイツがいない時に剣を盗みに行ってやる!」
「どこの賊ですか、まったくもう……」
ため息混じりのミリア。
軽く頭を振ると、オレの鼻づらに指を突きつけてきた。
「あのですね? 城から神殿までは近いとはいえ、いまは子供を狙った賊が出るんです。万が一、殿下がかどわかされるようなことがあれば、国の一大事、なんですからね⁉」
「うぐ……」
つんつんと鼻先をつつかれ、オレは思わず呻く。
実は最近、王都で子供が消える事件が多発しているそうだ。
しかも異郷返りを狙った犯行。
ちなみに『異郷返り』とは、魔力の高い、特殊な血を引く者たちのことを指す。
かつてあったとされる神話の時代。
三匹の竜たちの大喧嘩により、世界は三つに分断される。
そのためこの大陸には妖精やら星霊やら、当時の神秘の血を色濃く受け継ぐ家系があるとかないとか、よく分からん伝承があるのだ。
その子孫たちを異郷返りと呼んでいる。
いちおうユーハルド王家にもわずかだが、その血が流れているらしく、稀に魔力の高い子供が生まれてくるそうだ。
五大侯爵家のひとつであるミリアの家系も同様だ。
高い魔力を有する異郷の血は、異人狩りに狙われやすい。
異郷返りを専門に人さらいを働く賊人。
おおかた、今回の件もそのあたりの犯行だろうとオレは睨んでいる。
事実、この前、廊下で父上を見かけた時にもその話をしていた。
見回り兵の強化がどうのと文官たちに指示を出していた。
どうせ父上が動いているなら事件もすぐに終わるだろうし、オレには関係ない。
なぜならオレが誘拐されたところで弟がいる。
そう思って口から出たのは、自分でも驚くようなひどく不貞腐れた声だった。
「……別に。問題ねぇよ」
「はい?」
「弟がいる。オレが誘拐されたところで次の王はロトだ。跡目には困らないだろ」
オレはこの国、ユーハルドの第一王子だ。
順当にいけば長兄であるオレが王位を継ぐことになるが、そうとも限らないのがうちの王位継承制度だ。
国王は、侯爵五家と大祭司の総意で決まる。
大抵は継承位がいちばん上の奴、第一王子が選ばれるのが通例だが、あくまでそうというだけで例外はある。
事実、各侯爵家はオレの弟を支持しているし、父上も弟のロトに期待している。
だからこうして勉強をさぼって神殿に突撃したり、部屋でゴロゴロしていても怒られないのは、そういう理由があるのだ。
(やべぇ、自分で言ってて悲しくなってきた……)
雑念を払うように仰向けになると、ミリアが思いきり頬をつねってきた。
「いだ! いだたたたたっ! 痛い痛い痛い、ちょ、ミリアさん⁉ やめ——」
「殿下」
ぴしゃりと声が落ちる。
頬から離れる細い指先を視界に入れて首だけ顧みれば、ひどく真剣な表情をしたミリアがいた。
「そういうことは、冗談でも言わないでください。今度言ったら反対側の頬もつねりますよ」
「はい……、すみません」
左頬を手でさすりながら謝る。
ミリアが盛大に息を吐いた。
ため息をつきたいのはこっちである。
こいつ、容赦なくつねりやがった。
きっとオレの白くてプリティーな柔肌は、真っ赤に腫れあがっていることだろう。あとで冷やさなければ。
「ともかく。今後は勝手におひとりで外へ出ないでください」
「はぁ? 誰がお前の言うことなんざ聞くか痛い痛い痛い痛い痛い、痛い! わかった! わかったからその手を離し──ぐぁぁ!」
再び頬に激痛が走り、オレは問答無用で外出禁止となった。
理不尽とはこういうことを言うに違いない。
***
翌日、時刻はおやつどき。
昼食をとったオレはニアの森へとやってきた。
「ふっ、誰もこのオレ、ウェナン様の行動は縛れないのだ!」
草縄をぶんぶん振って、オレは歩みを進める。
きのうミリアに忠告されて半ば軟禁生活のような暮らしを強要されたオレだが、奴の目をかいくぐり、こうして城を抜け出してきた。
ちなみにいま手に持っているこれはオレがさっきまで縛られていた縄である。
ミリアがお花を摘んでくる、とか言って、オレを椅子にぐるぐる縛りつけたのだ。
しかし、縄抜けなど習得済みのウェナン様には通用しない。
華麗にほどいて、さぁ、ピクニック! という、今現在なのである。
「ま、本当は神殿に行って、剣を取って来たかったんだけどなー」
宝剣クラウスピル。
闇夜のように黒き刀身であり、ひと振りで山をも砕く光のつるぎ。
次代の王が触れると黄金色に輝くとされる、選定の剣。
伝承はいろいろあるけれど、いわゆるおとぎ話というやつで、信じる奴はけっこう多い。
あの豚足こと大祭司もその口だ。
あれでいて意外と信心深いところがあるらしく、たまに剣を拝んでいる姿を目撃する(気持ち悪い)。
宝剣は、ユーハルド王家の権威を示す国宝のひとつだ。
うちの国は他国から『妖精国』などと呼ばれる千年続く王国なのだが、過去、どこの国もその繁栄に傷をつけることはできなかったと聞く。
それもこれも宝剣クラウスピルの加護のおかげだとかで、この剣の持ち主は老いることも傷つくこともない。
竜のごとき力をもって敵を退け、必ず国に勝利をもたらす。
そんなすごい謂れを持つ剣なので、その警備はおそろしく固い。
しかもオレが何度も頂戴しにいったこともあり、守りがより強化されてしまった。
あれでは流石のウェナン様でも突破が不可能だ。
なので、今日は気分転換がてら森を散歩することにした。
ここは王都を出て、馬でぱっから歩いて一時間程度の場所にあるニアの森。
噂では、ここに例の誘拐犯──子供をさらう輩が潜伏しているらしいが、まあ遭遇することはまずないだろう。なぜなら、
「こういう時に『まっずーい! うっかり犯人と鉢合わせちゃった、てへぺろ☆』という展開は、物語の中だけの話だからである」
などど、フラグを立てながら歩いていると、巨木の前に出た。
「でかー」
天までの伸びる大木。
と、表現するのはちょっと大袈裟か。
まあ、樹齢千年くらいはありそうな大きな木。
そのすぐ側には祭壇が。簡易的に作られた、いわゆる供物置き場のような棚もある。
果物やら菓子やら丸パンやら、光蝶さんが『ラッキー』と言わんばかりの勢いでたかっている。
ちなみに光蝶というのは透き通った羽を持つ、金色の蝶のことであり、身体が半分透けて見える。
だが、安心してほしい。お化け的なものではない。
魔力が高い者の眼に映るといわれる、謎多き生物(?)なのである。
基本は人畜無害。せいぜい時折いたずらする程度。
風を起こしてミリアのスカートをひるがえすくらいのことだから、優しいオレは許してやっている。
グッジョブ、光蝶。
オレは上を向いて大樹を眺めた。
「登ったら楽しそう」
これだけ高ければ、ノーグ城はもちろん、隣国のセルドバルド帝国──イーファ姉さんがいる場所も見えそうだ。
「よし」
幹に手をかける。すると、後方の茂みがガサリと揺れた。
「んん? 森狼?」
振り向けば、艶やかな灰の毛並みに、厳つくも愛嬌のある顔立ちの犬。
もとい、狼が『ぐるる』と唸っている。
王都近郊でよく見る種類だ。
気性は穏やかで、下手に刺激しなければ襲ってくることはない賢き狼さんなのだが──
「どした? なんか機嫌悪い?」
『グルルルルルルル……』
低い唸り声。
不機嫌というよりも、鬼気迫る感じというか、それでいてどこか怯えているようにも見える。
なんだろうと、オレが首を曲げて様子をうかがっていると、突然ばしゃりと血がはねた。
「……へっ?」
──ぐちゃ、──にちゃ。
大きな口の中に狼の肉塊が消えていく。
ごくんと飲み下したソイツの瞳がぐるりと回る。
「ひっ……!」
赤い双眸に黒い毛並み。
猫の尾のようにゆらゆらと揺れる幾本もの触手。
その姿はまるで巨大なイノシシだ。
しかし、その額には赤い宝石のようなものがついており、それは誰もが幼い頃から『近づくな』と聞かされる魔境に棲むという、悪しき獣の姿に酷似していた。
「魔獣……」
ぽつりと、口に出した途端、そいつはオレめがけて飛んできた。
(まずっ、足が動かない……!)
はじめて見る魔獣に、本能が警鐘を鳴らす危機状況に、オレの頭の中は真っ白になった。
ああ、もうダメだ。
そう思って目を閉じた直後のことだった。
「──内から爆ぜろ。忘却の光」
突如、閃光が走った。
まぶしい光のなか薄くまぶたを開けると、その身を灰燼へと変える魔獣の姿があった。
跡形もない。
肉片も骨も、なにもかもが残ってない。
ただ雪のように降り注ぐ灰の中を、ひとりの青年が立っていた。
(誰……だ?)
風に流れるぼさぼさ頭の白い髪。
手には槍のような杖を持っていて、白いローブマントを羽織ったソイツは、見たところ二十歳そこそこの容姿といったところだろうか。
それなりに端正な顔つきはミリアが喜びそうだが、オレはそれよりもソイツの陰気な眼が気になった。
せっかく綺麗な太陽の色だというのに、まるで夜を映したような仄暗い瞳。
深い谷底を見たような、そんな昏い目をしていた。
「こんな場所で何をしている」
ソイツの口が動いた。
「森の最奥には近づくなと言われなかったか?」
「……は? 最奥?」
オレは目だけ動かしてあたりを見る。
ここはまだ、森の奥地じゃない。
こいつのいう『最奥』とは、もっと深い場所。
魔獣を閉じこめる結界が張られた領域のことだが、そういえばいつもあるモノがない。
上空からカーテンのように垂れこめる薄い膜のような結界。
それが今日は無いような……?
不思議に思って空を見上げれば、小さなため息が聞こえた。
「そこに置かれた結界水晶の力が弱まり、魔獣が逃げ出した。森で遊ぶなら今日は止めておいたほうがいいよ」
指で示された古木を見れば、穴の中に緑の水晶が置かれていた。
たしかに結界水晶だ。結界、というように、森の最奥をぐるりと囲うように各場所へ配置されている。……と城の教育係から習った。
青年はローブをひるがえすとオレに背中を向けてすたすたと歩き出した。
「あっ、待て!」
オレは急いで青年を追いかけ、そいつのローブを掴んで引っ張った。
「なあ! さっきのあれ、なんだったんだ⁉ どかーんって一瞬で魔獣が灰になったやつ! あれって魔法だよな? あんなのオレはじめて見たんだけど! なぁなぁ、もう一回見せてくれよ、つか教えてっ!」
興奮して一気に捲し立てれば、青年はわずかに嫌そうな顔で振り返る。
「断る。私はこれでも忙しいんだ。お前の相手をしている暇はない」
「あ、わかった! さっき閃光が走ったってことはさ、もしかして光の魔法だろ?」
「………………」
「すげぇな! 普通は火とか水とか四属性だってのに、光なんてどこで習ったんだ? 所属は? 聖国あたりか? あ、それとももしかしてうちの──」
青年は勢いよく腕を動かすと、ローブの袖を掴んでいたオレを振りほどいた。
反動でよろけたオレは地面に尻もちをつく。
「いた……って、いない⁉」
顔をあげると、そいつの姿は消えていた──。
***
翌日の正午過ぎ。
森にやってきたオレと、勝手についてきたミリアは例の男を探した。
短剣を片手に邪魔な雑草をスパスパ切って奥へと進む。
もう季節は初夏だ。
汗ばむ気温と湿気にミリアが衣服をはためく。
「それで、その魔導師の青年というのはどちらに?」
「わからん! だけど、きのうと同じ場所に行けば会えると思うんだよ」
オレは昨日、ニアの森で出会った魔導師のことをミリアに話した。
そのうえで今日も探しに行くと言ったら、自分もついていくと、頑として譲らなかったのだ。
──仮にも王子がひとりで森をぶらつくとかあり得ません! なにか会ったらどうするんですか? ましてや今は誘拐犯も出るというのに!
などと、グチグチうるさかった。
おかげできのうは晩飯を取りはぐるし、夜までお説教コースだった。
ちなみに今もここに来るまで苦言のオンパレードだった。
「はあ……」
空を見れば、曇り空。
まるでいまのオレの心を表しているようだ。
「……しかし、ほんと最近ずっと雨ばっかだな。今日は降ってないけどさ」
「そうですね、もうひと月になりますか。雨が続きますね」
「だなー」
遠くのほうでゴロゴロと雷が鳴っている。
こうも晴れ間がないと気持ちも沈みそうだ。
「殿下」
「あん? なに?」
ミリアに服の裾を引っ張られ、前方を見れば、茂みの向こうに白髪の青年が佇んでいた。
下を向くその瞳は相変わらず濁っていて、コイツ、心でも病んでのかなと思わせる。
まあ、こんな天気だしな。気持ちも萎えるさ。
オレが一歩足を踏み出すと、ぴくりとそいつの肩が揺れた。
「よう、きのうぶり」
「殿下! いけません、そのように勝手に近づかれては──」
ミリアの制止の声など聞こえないー。
オレは茂みを超えて青年のそばまで移動する。
だけど、ふいに視界に入った地面に横たわる子供を見て、思わず足が止まった。
「え……死んで……」
「生きている。気を失っているだけだ」
返ってきたのは抑揚のない声。
きのう同様、白いローブを羽織り、ぼさぼさの頭髪には木の葉がついている。
まさかとは思うが、こいつここに住んでるのか? とか思っていたらミリアが走ってきた。
ひどく慌てた様子だ。
オレをそいつから隠すように目の前に立つと、警戒を強めた声で告げた。
「直ちにこの場を去りなさい、賊人。これ以上の狼藉を働くというなら、ユーハルドの神官見習いがひとり、ミリア・ネジュ・ベルルークがお相手致します!」
「ちょお、ミリアさん⁉ こいつは賊なんかじゃ……」
「なにを悠長なことを仰っていますか! そこに倒れた男の子がいるでしょう、きっとこの男がさらったに違いありません」
「ええ? そうなん?」
「ベルルークに神官……。話には聞いていたが、まだ続いていたのか」
青年が呟くと、ミリアは祈文と呼ばれる呪文を口にする。
「賊、覚悟!」
巨大な鳥が現れた。
ごうごうと燃えさかる炎の大きな鷹。
上から下に振り下ろされたミリアの杖の動きに合わせるように、鷹は青年の頭上に向かって猛スピードで滑空する。だが──
「な……っ!」
ぱあん、と弾ける音がした。
青年をすっぽり包みこむように薄い水のベールが展開して、ミリアの魔法を防いだのだ。
結果、炎の鷹は霧散。
水蒸気となって風に流れて消えた。
「く……殿下! 走って王都に──」
「──すっっげぇぇぇぇぇぇぇ!」
「殿下⁉」
やばいやばいやばいっ! なにこのかっこいい魔法バトル‼
オレは思わず駆け出した。
というのも、普段は危険だと言われて騎士だの神官たちの訓練場へ顔を出すことを禁じられている。
たまにこっそり覗きに行くと、魔法が使える奴って第六感的なものが強いみたいですぐに見つかってしまう。
だからこんな間近で戦闘魔法を見学できるとか!
もうわくわくしかない。
オレがキラキラ顔(おそらく)で青年の前に立つと、そいつの眉間に僅かな皺が寄る。
「今日も遊びに来たのか。しばらく森には近づくなと話したはずだよ」
「なあなあなあ! さっきのやつ、どうやったんだ? 水の魔法だよな? きのうは光? 炎? の魔法使ってたみたいだし、お前、複数の魔法が使える魔導師なのか⁉」
「複数の魔法を使う……?」
ミリアが眉根を寄せる。
「まさか。そんなことはあり得ません。一般的に魔法の属性はひとりにつきひとつ。ごく稀に二種の魔法を扱うものはおりますが……それならば、かなり名の通った魔導師のはずです。失礼ですが、あなたの名前と所属をお聞きしても?」
「所属?」
「属する国のことです。魔導師の存在は各国でも貴重ですから、それだけの腕の持ち主ならばユーハルド……いえ、帝国という可能性も……」
「──なっ! 帝国だって?」
「?」
青年が怪訝な顔をする。
敵国の魔導師。
俺から姉さんを奪った、あの皇帝の──
「──違う。だから、その剣をおろせ」
「………………へ?」
向けられた視線の先を辿れば、強く握った短剣がある。
刃先は青年に。心臓をひと突きできる位置に向かって定められていた。
「あ……」
無意識。急に全身から力が抜けて、泣きたい気持ちになってくる。
そんなオレを黙って一瞥すると、首にぶらさげた星の首飾りに触れながら、青年はゆっくりと口を開いた。
「まあ……、しいていえばユーハルド、かな。所属は」
「ユーハルドですか? でしたら、神殿の魔導師登録名簿にお名前が?」
「いや、ないだろうね。登録した覚えはないから」
「ほーん。つまりは、はぐれ魔導師か」
「はぐれ……」
青年がなんともいえない顔をした。
オレは気持ちを切り替え、剣を腰に収めると、ぽんと両手を叩いた。
「よし! 決めた。オレはこのはぐれ白髪に弟子入りする!」
「はい⁉ 殿下、急になにを……」
「オレの名はウェナン・リーゼ・ユーハルド。このユーハルド王国の第一王子だ。ぜひともお前には、オレの魔法の師匠になってほしい」
「断る」
「即答かよ! ……給金ならちゃんと出すぞ? なんなら、住むところも用意するし。城にでも来るか? こんな森に住むよりはいいと思うぞ」
「誰がこの森に住んでいると言った?」
「違うの? だってお前、きのうも今日もここにいるじゃんか」
「……結界水晶の整備をしに来ているだけだよ。──ほら、作業の邪魔だから、さっさと家に帰るといい」
「ちょ、おま……!」
背中を押されて、オレは暴れる。
すぐに解放されたものの、オレはくるりと身体を回転して叫ぶ。
「いーじゃんかー、教えてくれたってケチー! 別になんも減るもんじゃないし、いいだろ? そんくらいぃー!」
「私の時間が減る」
「聞こえないー、いいから教えてくれよー!」
「殿下……」
ミリアが困惑顔でオレの腕を掴む。
なんだよ。わがままは駄目だって言いたいのか?
だけど、駄々をこねて意見を通すのも一種の交渉術なのだ。
オレはべつにそれが悪いとは思っていないし、時にはこういう演技も必要だ。
なんとしてもこいつから魔法を学んで強くなりたい。
姉さんを助けるため、帝国に連れて行かれた家族を取り戻すための力がオレにはどうしても必要だ。
そのためなら、ガキだのなんだと言われても、ここはワガママしまくってやる!
そう心の中で企んでいると、案の定、青年はため息を吐いて呆れた瞳を向けてきた。
「……わかった」
「本当か⁉」
「ああ。ただし条件がある」
「条件?」
「私に一撃当てられたらお前を鍛えてやろう。もっとも、私は弟子を取る主義ではないし、さっきも言った通り忙しい。こちらの空いた時間に教えを請うというなら、考えてやらないこともない」
「よっしゃ、一撃だな? なら──」
オレはさっそく拳を作って、そいつに振りかぶった。しかし、
ひょい。右に避けられる。
ひょい、ひょい。
今度は左、次は下。
青年のほうが背丈は高い。
それでもオレの頭一個分程度だ。
完全に勝負にならないほどでもないというのに当たらない。
まるでどこに拳が来るのか分かっているような動きに、オレは悔しさがこみあげてきた。
「こんの!」
すかっ──からの、こつん。脛のあたりを蹴られた。
「んなぁっ!」
オレは顔から地面に突っ伏し、転んだ。
「魔法うんぬん以前に体術も駄目だな」
可哀想なやつを見る眼だった。
「ぐぬぬぬぬ」
「殿下っ、大丈夫ですか?」
ミリアが手を差し伸べてくれる。
その優しさが膝の傷に染み入った。
青年はオレから興味を失くしたように、ふっと視線をそらすと歩みをすすめた。
「あ! どこへ行く!」
「行ったはずだよ。結界水晶の整備をすると。残念だけど今日はもうお前の相手をしている暇ない」
それだけ言って、青年は去っていった。
うしろ姿に『また明日も来るからな!』と叫べば、『次に来るのは翌週だ』と返ってきた。
意外と律儀な奴め。
***
週が明けてから、毎日のように森へと通った。
しかし会えるかどうかはほとんど運だよりなところがあり、あいつは毎日この森にくるわけではないらしい。
それでも、オレは毎日ここへ通った。
なぜなら、あいつに会えない日は剣を振るって、会えた日は一撃を入れるべく奇襲をかける。
ミリアには『奇襲とか、王子らしくないです』とか言われたが、それはそれなのである。
……というか、茂みに隠れて襲っても、木の上から奇襲をしかけても、そいつはなんなく避ける。
隙がない。
ちゃんと死角をついているはずなのに、青年いわく『音でわかる』と言っていた。
なにそれ、怖い。
「お前はひとつひとつの動きに無駄がある。もっと、空を行く小鳥のように軽やかな足さばきじゃないと敵は簡単にお前の動きを読めるよ」
「小鳥? こいつなに言ってんの?」
「殿下。口は慎まれたほうがよろしいかと。そうでないと右から来ます」
ミリアの予告通り、右から青年の蹴りが飛んできた。
「にぎゃあ──!」
どさり。今日もオレは地面にはり倒された。
「ちょっと休憩~。おまえ、相変わらず強いな。風の魔法でも使って動き速めてる?」
「お前の挙動が遅いだけだよ。──それと、受け身を取る際に目を閉じる癖を直せ。それだと致命傷を避けることができなくなるだろう?」
「すげぇ的確な返し! おまえ、ほんとはいい奴だろ」
「いい奴も悪い奴も無い。そもそも、仮にも一国の王子という立場なら、剣術やら体術の指導は受けているだろう。なぜここまで動きが鈍いんだ……?」
それは純粋な疑問のようで、呟かれた声は嫌味も侮蔑も含んでいなかった。
ただ、真剣な表情で地面に視線を落としている。
話すようになって分かったこいつの癖だ。
なにか考え事をする時は斜め下に目線を落とすらしい。
くそ真面目な顔で、心底不思議そうに考えこまれるオレのこの気持ち。
誰か、こいつを殴ってくれ。
「殿下はよく稽古をお休みになられるので、そちらの方面は少々不得手なんですよ」
「なるほど、それでか」
「あの、ふたりとも、憐れみの目でオレを見るのやめてくれます?」
休憩中、といっても、一日一度の奇襲タイムしか与えてもらっていないオレは、いまので今日の勝負は終わった。
ミリアが昼にと用意してくれたサンドイッチを片手にオレは青年に返した。
「意味がないからだよ」
「意味?」
「弟。オレには剣の神童って言われてる弟がいるんだけど、頭も良くて、オレとは比べものになんないほどに優秀でさ。たぶん次の国王にはアイツが選ばれる。だからオレが剣術極めようが、勉強頑張ろうが、意味がないってわけ」
「そうか」
興味の薄い声で青年が相槌を打つ。
その向こうで丸太に腰かけたミリアが悲しそうな顔をしていた。
そういえば、この前もそんなことをミリアに言って頬をつねられたんだっけ。
これ以上この話はまずいなと思って口をつぐんだところで青年がたずねてきた。
「だけど、お前は私に魔法を教えろと言ってきた。それはつまり学ぶ意欲はあるということだろう。なぜ、魔法を学びたい?」
「なぜ、ってそりゃあイーファ姉さんを助けるために決まってるだろ?」
「姉さん?」
「殿下の姉姫様です」
ミリアが答える。
「先の帝国との戦いで、疲弊した両国間の和平の証にと、あちらの皇帝がイーファ様を妃にと所望したんです。それでイーファ様は帝国へ嫁がれて……。殿下は、姉姫様を助けるためにお力をつけたいといつも話されておりました」
「? 嫁いだなら助けるもなにもないだろう?」
「いえ、それが……」
「────姉さんは無理やり帝国に連れていかれたんだっ!」
だんっと、オレは膝の上に拳を叩きつけた。
あれはゾーラ平原での戦いだった。
敵に囲まれたオレを逃がすべく、イーファ姉さんは先陣を切って戦った。
姉さんはユーハルドでも指折りの魔導師だ。
戦巫女と呼ばれたイーファ姉さんは、剣に炎を宿して戦う『日輪剣』と呼ばれる戦法が得意だった。
「戦場で、数千の兵を相手に少数でぶつかったんだ。叶うはずもなかった。オレを逃がしてくれた姉さんはそのまま敵に捕まった。そのあとで帝国から和平の申し入れと称して戦巫女を献上するよう言われたんだ。だから……!」
オレのせいでイーファ姉さんは……!
口には出さなかったが、ズボンの布をぎゅっと握り締める。
その様子を見てか、ミリアがパンをかじって静かに声を落とした。
「殿下はイーファ様をたいへん慕っておりました。半分とはいえ、血を分けた姉弟でなければ求婚しているのに、といつもおっしゃっている程度には」
「なるほどつまり、……シスコンか」
「シスコン言うなよォ! 言っとくけどなぁ、イーファ姉さんは超絶美人なんだぞ!」
可憐で淑やかで強くて賢い。
誰よりも美しい姉さん。
それをそいつに力説すると、『ユーハルドの法では三親等以内の血縁との婚姻は認められていない』と言われた。知っとるわ!
「──んん、ごほん……ともかくだ」
冷たいミリアの一瞥を浴びて、オレは話を戻す。
「オレは姉さんを助けたい。だから、力が欲しいんだ。一撃入れろとか言っていないでさっさと教えてくれよ、師匠~」
「誰が師匠だ。呼ぶならせめて『先生』にしろ。──それと、魔法よりも基礎の体術から学び直したほうがいいよ。それから剣術もね」
「うっさいな! オレは魔法でバーンってしたいの! つか、先生って呼んでいいのかよっ、やっぱりお前いい奴だな、おい!」
青年の背中をどつこうとして避けられた。立ち上がった青年は、
「……まあ、囚われの姉を助けるのもいいが、まずは先に足元のゴミを掃除することをお勧めするよ」
「ゴミ?」
オレの問いかけには無視してそいつはミリアに昼食の礼を言って去っていった。
***
そいつと出会って、ちょうどひと月が経過した。
オレは相変わらずあいつに挑んで、負けて、いまだに魔法を教えてもらえていない。
「殿下、今日もあのかたのところへ?」
「おうよ。今日こそ、一発かましてやるぜ!」
いつものようにミリアを連れてニアの森へとやってきた。
今日の天気も曇り空。
じきに雨が降りそうだが、まあ問題ない。
降ったら降ったで雨宿りをすればいいのだ。
「そういえば、例の件、片付いたんだって?」
「ああ、はい。先週、クルビン大祭司が討伐隊を出されて賊を捕らえたそうです」
「ふーん」
例の子供を連れ去る誘拐犯。
そのアジトが壊滅したと耳にした。
なんでも、このニアの森にある古い遺跡をねぐらにしていたらしい。
あの豚足大祭司が直々に討伐隊を率いて賊を捕らえたと自慢げに父上へ報告していたようだが、正直怪しいところだ。
だってあいつ、いまは儀式がどうので忙しいってミリアが言ってたし、どうせ部下たちに命じて自分の手柄にでもしたのだろう。
それにしても、これだけ連日森に通い詰めて、一度も賊と遭遇しなかったのは幸運だったと思う。さすがはオレ。
運命に愛された男である。
それをミリアに言ったら、『まあ……、殿下は悪運だけ強いですから』と返された。
前から思っていたけど、何気にこいつのオレへの扱いひどくない? 仮にも王子なのに頬をつねられたり、冷めた瞳を向けられたり。
あとでしっかり教育しよう。
……と、思って止めた。多分オレが反対に調教されそう……。
「──殿下」
「おうふっ⁉」
木の上にツノリスを見つけて可愛いなーと和んでいたら、いきなりミリアに服を引っ張られて前につんのめった。
「おまっ、急に引っ張んなよ、危ないだろーが!」
「いま、あちらに人影が……」
「人影? あの白髪陰険野郎か?」
実はいまだにアイツの名前を知らないので勝手にそう呼んでいる。
何度聞いても教えてくれないあたり、きっと恥ずかしい名前なのだろう。
毎度、涼しげな顔でオレの攻撃をかわしやがるいけ好かない野郎だ。
しかも反撃する際は容赦がないし、この前なんか水たまりに投げ入れられた。
おかげで全身泥まみれ。
その姿で突進しようものなら、風の魔法で吹き飛ばされたあげく、『崩れかけの泥人形みたいだね』と無感情の声で感想を言われた。
ちなみにそのあともう一度泥水の中に落とされた。鬼畜か、アイツは。
ミリアは、声を潜めると木陰に隠れますよと言ってオレの手を握った。
そのまま誘導される形で茂みのうしろへ隠れた。
ふわりと薫る甘い香り。
オレの精細なハートがトクンと跳ねる。
(いやいやいや! 俺には愛しの姉さんがっ!)
落ちつけ、思春期のマイハートォ!
とか、心の中で葛藤していると、ミリアが唇の上に人差し指を立てた。
「殿下、お静かに。誰か出てきます」
「あ? おう……」
促されて前方に視線を向けると、白髪の太った男が茂る蔦の隙間から出てきた。
正確には古い遺跡の扉……だろうか。
建物の側面が、苔と蔦で覆われており、言われなければそこに扉があるとは気づかない。
そこからさらに二、三人の神官服を着た男たちが出てきた。
その見覚えのある姿にオレは眉根を寄せる。
「うん? あれ、豚足とその腰巾着じゃね?」
相変わらずてっかてかの額を光らせて、神官たちと笑い合う豚足大祭司。
こちらには気づいていない様子だ。
オレが茂みから出ようと腰を浮かせると、ミリアが服の裾を引っ張ってきた。
「おかしいです。今日は確か神殿にこもって太陽に祈りを捧げると仰っていたのに……」
「太陽? ああ……、そういやこの前言ってな、そんなことを……」
ちょうど今日がその儀式の日なのかとミリアの言葉に上を向く。
分厚い灰雲。
ぽつりと一滴、雨が頬に落ちてきた。
視線を空から下げると、大祭司たちが何かを話しはじめた。
「──む、まずいな。急がなければ降ってきそうだ。儀式の準備はどうなっている?」
「すでに整っております。あとは猊下の祈りだけにございます」
「そうか。では急ぐぞ」
「はっ!」
大祭司が歩き出すと、部下の神官たちもついていく。
オレとミリアは奴らに見つからないように尾行する。
さくさくと草を踏みしめて、大祭司が忌々しげに言葉を吐いた。
「ふんっ、あの白髪頭の男め。せっかく捕えておいた贄を解放しおったからに……。おかげでまた一から子供を調達する羽目になった。今回は奴の邪魔が入らんだろうな?」
「問題ないかと。前回は雇った傭兵たちが下手を打ったようですから。今回は念入りに魔法陣を隠してあります」
「ならば、早々に儀式を終え、神殿へと戻るとするか。……まったく、あの王子のせいで今日も要らぬ仕事が山積みだ」
大祭司は杖を地につけ、いかにも面倒そうな足取りで木立のあいだを進む。
(子供を調達……? なにを話しているんだ?)
深い嘆息まじりに紡がれた言葉。
儀式、贄、子供、儀式。奴らの言葉を頭の中で反芻する。
(…………あれ?)
最近王都で人さらいが横行していた。
犯人は複数で、被害にあった者たちは総じて高い魔力を有する子供だった。
中には下級貴族の出身もいて、単なる賊にしては手際がいいとも言われていた。
ゆえに人さらいの玄人。
あるいは内通者がいたのではと目されている。
そして、いまの話。
儀式に贄は付き物だ。
牛に鳥に小動物。
古い時代には人間を使うこともあったのだという。
とりわけ子供。
その無垢なる魂は、神々への献上品として最上の贄だったと言われていたそうだ。
(まさか……こいつが賊を雇って、子供をさらうよう指示していた?)
さっと頭から血の気が引いた。
「うそ、だろ……」
「……殿下、ここは一度城に戻られたほうが」
ミリアもなにかを察したようで、気持ちを押し殺したような声で言った。
しかし、戻るもなにも目的の場所についてしまったらしい。
大祭司は足をとめると部下に何かを命じた。
部下たちが地面に敷かれた枝葉をよける。
そこから現れたのは赤黒い文字で書かれた魔法陣だった。
──血だ。
瞬時に分かった。
あれはきっと、さらった子供たちの血だ。
殺して、その地をインク代わりにして描いたのだろう。
風に乗って、わずかな鉄の匂いが鼻腔をくすぐった。
「おい、贄はどうした? 生きた奴が一匹必要だろう?」
大祭司が鼻をつまんで部下にたずねる。
「はっ! ……それが、今朝がたそこの木陰に隠して置いたのですが……」
「逃げたか。——チッ、おい、そこの」
「はい!」
「この際なんでもよい。王都に行って、どれかさらってこい」
「こ、子供をですか? それはその……」
命じられた部下の顔が一気に青ざめる。
しかし大祭司は嫌な笑みを浮かべて、畳みかけるように続けた。
「ならば、お前が贄になるか? 無垢なる子供の魂のほうが良いとは思ったが……なぁに、ひとつくらい不純物が混じっていても、天はお許しになるだろう。どうする? お前が望んで命を捧げるというなら、ワシは止めんが」
「……っひ、お赦しを! すぐに連れて参ります!」
走り去る男の背を見送り、大祭司は「ふん」と鼻を鳴らした。
「さて、雨が降る前に執り行いところだが……」
鬱陶しげに空を見あげる。
雨が降ってしまっては、地面に描いた魔法陣が消えてしまう。
おおかたそんなことでも思っているのだろう。
オレもミリアもこの光景にごくりと息を呑みこむ。
そのおり、オレの脇から何かが飛び出した。
大祭司がこちらを見る。
「……む、リスか」
地面を走るツノリスを一瞥したあと、なにかに気づいたように大祭司の口端が吊りあがった。
「おやおや。そこにいるのはウェナン殿下ですかな? それからミリアも一緒とは」
──見つかった!
今更ながら必死に声を押し殺すも、それは無理なようで、近づいてきた神官たちに茂みから引きずり出されて大祭司の前に投げられた。
「今日は森でお遊びになられていたとは。いけませんよ? 王族にとって外は危険を伴う地。なにがあっても文句は言えませぬぞ」
「きゃあっ」
「ミリア!」
神官のひとりがミリアの髪を掴んで、魔法陣の上に転がした。
「豚足! お前なにを──」
「なに。晴れごいの儀式をしようとしたら、ちょうど贄が一匹足りなくてですな。そうしたら、かの高潔な血を受け継ぐベルルーク家の御息女が現れたではありませぬか。これは使えと天からの思し召しだとは思いませぬか?」
大祭司が合図すると、神官たちが何やら呪文を唱え、ミリアの身体を拘束する。
(──土の魔法か!)
土くれに手足を取られたミリアは仰向けで逃げようと身をよじる。
だが、魔法で編まれた拘束具にそれでは通じない。
再度神官が呪文を唱えると、ミリアは呻きをあげた。
「おい! やめろ、ミリアを離せ!」
「それは出来ぬ相談ですな。上質な素材を捨てるなど、魔導師としてなぜ出来ましょう」
「御託はいい! 命令だ、いますぐミリアを離せ! さもなくば──」
「さもなくば──、なんですかな?」
にやりと嫌な笑み。
オレを見下ろす形で立つソイツの顔は、明らかに優位に立っている者の面だった。
「──フッ。所詮はなにも出来ぬ王子風情よ。そのようだから大切な姉君を帝国に取られるのですよ。まあ、あれは最初から決まっていた密約でしたがな」
「は? 密約?」
あっけに取られてオレが返すと、大祭司は高らかに笑った。
「ゾーラ平原にて、戦巫女イーファを帝国へと献上せよ。──戦いに赴く前、かの皇帝より遣わされた和平の使者の言葉にございます」
演技掛かった仕草で恭しくオレに頭を垂れる。
「ユーハルドの戦巫女を差し出せば、今後帝国は不可侵を約束しよう。ゾーラ平野での戦いが最後となるのを願っている──と、実は事前に打診があったのですよ。帝国からの停戦の申し入れがね」
「──なっ、それじゃあ、まさか……」
「そのまさかであらせられますよ、ウェナン殿下。イーファ王女の輿入れは、あらかじめ決まっていたことだったのです。それをあなたと来たらまったく……」
大祭司が呆れたように頭を振る。
オレは目を見開き、すべてを悟った。
「……まさか……お前が売ったのか? 姉さんを……、ユーハルドの戦巫女を……」
オレの、たった一人の大切な肉親を──!
「────!」
「おおっと。これ、拘束を緩めるな」
いまにも飛びかからんばかりの勢いで暴れるオレを、神官たちが取り押さえる。
地面に顔を押しつけられて、口の中に砂利が入ってきた。
「ふははははははっ! 良いお姿ですなぁ、殿下。クソ生意気な小僧には似合いの格好だ」
「くそっ! ──この、外道神官がっ!」
「外道? まさか。どうやら殿下はひとつだけ勘違いをなされておいでですな」
大祭司が肩をすくめる。
「あれはあくまでもイーファ王女が仰ったこと。ワシはなにもしておりますまい」
「は? 姉さんが?」
身をよじり、やっとの想いでそいつの顔を見上げれば、若干可哀想なものを見るような憐れみの目に変わっていた。
「むろん。帝国から打診があったとはいえ、ワシとてユーハルドの戦巫女を渡すなど気が進まぬ話。なにより、奴らからは幾度となくしてやられましたからなぁ。最初はそんな密約など突っぱねるつもりでしたわ」
しかし、とそいつの口が動く。
「イーファ王女が帝国に向かうと仰いましてな。国のため、民のため。ひいては大切な弟たちのために敵国に参りましょうと。それゆえ王も帝国の申し入れを承諾したのですよ」
「そんな……」
つまり、父上も知っていて、姉さんを帝国に売ったというか。
「このまま争いが続けば民たちのあいだに不安が広がる。ですから、王も王女も帝国の要求を呑んだ。帝国に捕らえられたというのはあなたも知っての通り、戦場のみでの話。表向きは和平を結ぶ婚姻。民たちにもそう伝えている。この身を差し出すことで、皆が笑顔で過ごせる未来が守れるならと、イーファ王女は笑っておられました。いやはや、民を想う王女のお気持ち。ワシも心が痛み入りましたわ」
わざとらしく目元をぬぐう。
その仕草が余計にイライラさせた。
「ふざけるな! 姉さんの犠牲の上に成り立つ和平なんてオレは納得しない。誰かを引き換えにして得た未来なんざ、そんなの──、そんなの笑えって言われたって無理に決まってんだろうがァッ!」
半泣きで叫ぶ。
だってそうだろう。
失ってしまった者の代わりなんていない。
どんなに幸福な未来が待っていたとしても、大切な奴がいなくなってしまえば、それはもう偽りの幸せだ。
心にぽっかり空いた穴は塞がらない。
確かに長い年月をかければ空洞は小さくなっていく。
けれど、きっと死ぬまで忘れることはできないはずだ。
オレが嗚咽をもらすと、大祭司は呆れたようにため息を吐いた。
「はあ……、なにを言うのかと思えば、くだらぬ感傷ですな」
「なんだと⁉」
「なにかを代償に事を為すが人の世のことわり。奪い奪われ、得て捨てる。そうやってこの世は回っているのだ」
大祭司は睨み上げるオレに近づき、頭を踏みつけた。
「──ぐっ!」
「貴様の言うそれは何もわかっていない者、青臭いガキが単に吠えているだけの戯言にすぎん。ワシはな、殿下。そういう綺麗ごとだけをさえずる理想論者が大嫌いなのだよ。なぜなら──」
大祭司は冷めた顔でオレから視線を切ると、部下から剣を受け取り、魔法陣へと近づいた。
「ワシは魔導師だ。代償なしに神の恩寵は得られない。加護も魔法も誓約も、元来そういうものなのだ。そして、これからおこなう晴れごいの儀式もまたそう──」
すらりと鞘から宝剣を引き抜いた。
クラウスピルの宝剣。
闇夜のごとく黒き刀身が雨のしずくを弾く。
「いいですかな、殿下。ワシは国を預かる者として、この雨雲を太陽に変えなければなりません。そうしなければ、作物は育たず、皆が今年の冬を越えることができぬからです。民全員の命と、たかだかひとりの命。考えずともわかることだ」
「わからない! そいつを放せ……!」
手足をばたつかせて暴れると、オレを押さえる神官たちの力がより強くなる。
大祭司はそんなオレを見て、侮蔑にも似た一瞥を投げるとくるりと背中を向けた。
「……まあ、今回はひとまずそこで大人しく見ているがよろしい。そうすれば、次の王にウェナン殿下を推薦してやらんこともない」
完全に興味を失ったような声色で言ってから、魔法陣の上に剣をかざす。
「──神なる太陽に願い奉る。無垢なる魂をここに。最上の血肉をここに」
魔法陣が光り出す。赤と黒。禍々しい光が大気を走る。
「我は赤き竜の血を引く神の代弁者。闇を切り裂き、光をもたらす者なり」
ざわざわと木々が揺れ、まるで嵐のように風が渦巻いていく。
なにが起きるのかは分からない。
解らないけれど、止めないといけない。
本能が訴えている。
なのに、手足が地面に縫い付けられて動けない。
なにかの詠唱が続く。
その中に混じるくぐもった声。
揺れる視線の先に映るのは、苦悶の表情を浮かべるミリアだ。
手を伸ばす。届かない。
(ああ、またか……)
また、あいつまで、オレの前から去ってしまうのか?
──そう思ったら、急に喉から声が出ていた。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!」
必死だった。
自分の行動なんていちいち覚えていない。
ただひたすらに大祭司から宝剣を奪って、オレを掴まえようとした神官たちを斬り伏せた。
殺してはいない。
手に持つこれは千年前の古びた宝剣だ。
鈍器としては使えても、斬ることは出来ない。
だから精一杯、振り回してやった。
「はっ……は……っ──」
呼吸もままならない状態で横を見れば、大祭司は驚愕顔で地べたに尻をつけていた。
儀式は中断された。
魔法陣の光は消失し、ミリアの呼吸も次第に落ちついていく。
「殿、下……」
ミリアの声だ。
まだ苦しさが残っているのか、ゴホゴホと咳きこむ音が聴こえてくる。
「──きさまっ、やりおったな!」
大祭司が杖を支えに立ち上がる。オレに指を向けて怒号を飛ばす。
「神官を斬るは重罪! 森を焼く次に重い罰を課せられるとわかっていての蛮行か!」
「……んなこと、知るかよ」
わからない。
なんで。どうして。こいつも、父上も、イーファ姉さんも。
誰かを切り捨てればいい。
そういう考えかたは嫌いだ。
そんなものはおのれが絶対的優位かつ、安全な高みに座る強者の狂論だ。
自己犠牲もそう。
キレイ? トウトイ? そんなわけあるか。
自分を差し出す時点で狂っているし、けっきょく身近な誰かの『気持ち』を踏みにじり、切り捨てているじゃないか。
「オレは、自分を含めた『みんな』を悲しむ選択はしたくない! 最後に全員が笑って終わる、そんなハッピーエンド以外は認めない!」
「ぐぬぬぬっ、まだそのような戯言を──!」
「だから」
剣を真っすぐ構える。
「こんな儀式なんざ、オレがぶっ壊してやる!」
地面と垂直に剣を構えて、台詞を言い切るやいなや、風のように地を蹴った。
「ミリア! そいつの足を掴め‼」
「はい!」
「──なにぃ⁉ くそ、放せっ、この────!」
五歩、四歩、三歩。狙うは肩。
一気に飛びあがり、ミリアに足を掴まれ動けぬ焦りと、驚愕に目を見開く大祭司に向かって剣を振り降ろす。
「お前のような奴がいるから!」
「んなぁっ⁉」
「国が──、腐るんだあああああああああああ!」
ゴキンと肩の骨が砕ける鈍い音。
痺れるような振動が腕に伝わってくる。
歯を食いしばり、着地すぐに前転して、敵から距離を取って振り返る。
白目を剥いた大祭司の背中がぐらりと揺れて、地面に崩れた。
「……はぁ、はぁっ……はっ……、ぐっ──」
「殿下!」
ぺたんと地面に尻をつけたオレのもとにミリアが駆け寄ってくる。
服や頭に泥がついていてひどい格好だ。
「……悪い。助けるのが遅れた。身体は平気か?」
「大丈夫です。それよりも申し訳ありません。不覚を取りました」
「いや……。相手は腐っても上級神官だ。見習いのお前じゃ、どのみち勝ち目は無い。そんなことよりも、お前が無事でよかったよ」
「殿下……」
ミリアが安心するようにニッと笑ってやると、ありがとうございますと涙混じりの笑顔が返ってきた。
あたりには倒れた神官たちと大祭司。
全員昏倒しているだけとはいえ、あまり気分のいい光景ではない。
ミリアの肩を借りて、その場を離れるべく起き上がる。
「とりあえず、早くここから──」
城へ戻ろうと告げながら数歩進んだ、その刹那のことだった。
後方、誰かが動く気配がした。
急いで振り向くと、ゆらりと大祭司が立ち上がる。
「……こんの、くそガキどもがああああああああ──────!」
血走る瞳に、怒りのあまりに青筋立った形相。痺れるほどの怒号が大気を揺らした。
「────っ、ミリア、下がれ!」
「殿下⁉」
とっさにミリアを背に隠して、両腕を広げる。
大祭司の杖先が瞬いた。
「罪ある者も等しく清浄なる炎に焼かれよ。裁きの炎弾! ──ふたりとも、死ねぇぇぇぇぇい!」
杖が振り下ろされる。
火の弾が飛んでくる。
オレの上着を握るミリアの力が強くなる。
まるで、一枚の絵が、ゆっくりと動き出すようなその光景に。
ああ、これはもう終わった。
諦観から来る無気力な思考の中で、オレは、固く目をつむった。
「──戦いでは目を閉じるなと言ったはずだよ」
相変わらず、感情の読めない声だった。
その瞬間、パアンと炎が弾けて、耳をつんざく爆発音とともに白い霧が立ち込める。
それらの霧が風に流れて眼前に現れたのは──あの、白髪の青年だった。
「子供がそこの木に拘束されていたから町まで送ってやったが……」
ちらりと地面に描かれた魔法陣を一瞥し、
「先に陣を消しておくべきだったようだね」
彼の瞳はきっと、いつものように濁った光をしているのだろう。
ここからそいつの顔は見えない。
けれど、無感情に言葉を吐いたそいつの背中が遠ざかる。
「ふたりとも、私のうしろからは出ないように」
「おまえ、なんでここに……」
「き、貴様は……っ!」
さくさくと草を踏みしめる青年に、大祭司は焦燥に駆られた様子でたじろぎ、倒れた部下たちに『奴をとめろ!』と命じる。
しかし、青年は涼しい態度で口にする。
「この前言ったはずだよ。くだらない儀式はさっさと止めろと」
──一歩。神官たちの放つ魔法が青年を取り巻く結界に拒まれ、消失する。
──二歩。青年が、コンと手に持つ槍杖で地面を叩く。受けたものとまったく同じ魔法が倍の威力になって跳ね返る。
──三歩。その場の神官たちがすべて倒れた。
およそ五秒にも満たない出来事だった。
部下たちを蹴散らされた大祭司の顔が激怒に歪む。
「くそっ! また邪魔しにきおったな⁉ なんなのだ、きさまは、なにが目的だ!」
「目的? 特には無いが……まあ」
ぴたりと、大祭司の前で歩みをとめる。
「いまの大祭司がどんな奴なのか、多少の興味はあるかな」
静かに落とされた声に、心底悔しそうに歯噛みして大祭司は青年をねめつける。
「……ぐぬぬ、意味のわからんことを……。馬鹿にしおってからに! いいだろう、この不死蝶の魔導師が直々に相手をしてくれるわっ!」
短い呪文とともに炎の刃が舞い飛んだ。
しかし当然ながら青年を囲む結界に弾かれる。
そのあいだに次の詠唱へと移る大祭司。
だが、青年の動きのほうが早かった。
横に薙いだ槍杖によって突風が巻き起こる。
(すご……っ)
吹き荒れる乱風によって転がされた大祭司は青年を凝視し、悲鳴をあげた。
「ひっ……!」
ずるずると情けなく尻をつけてあとずさる。
青年がゆっくりと歩み寄る。
「──不死蝶、ね。別にその名を名乗りたいというなら好きにすればいいが……。もう少し、肉は削いだほうがいいと思うよ、見苦しいから」
「は? なにをいって……」
そこまで言って唐突に、紫紺の瞳が大きく開かれた。
ぱくぱくと声なき言葉を紡いで、顔には敬念混じりの恐怖の色。
石像みたいに硬直した大祭司の顔がたちまち青くなる。
「白髪に黄昏の瞳……そしてその星飾り……。まさか……、あ、あなた様は……」
無言で佇む青年の杖が、右から左に動いた。
その拍子にゴロンと首が地面に転がった。──ような、幻が一瞬だけ見えて、大祭司は泡を吹いて気絶した。
「──────」
強い。
それ以外の言葉が浮かばなかった。
オレはごくりと息を呑む。
アイツがこの場に現れて瞬く間にすべてが片付いた。
倒れた相手はあんなんでもこの国最高位の魔導師だ。
それが瞬殺。手も足も出なかった。
格が違う。
卓越した魔法技術に洗練された動き。
いちぶの隙も無駄もなく、圧倒的な力の差で相手を完封したいまの戦い。
あらためて、恐ろしいまでの青年の強さにオレは異様な高ぶりを覚えた。
コイツに師事されたい。学びたい。そうすれば、きっと……!
オレは黒き剣を強く握り締めた。
「──さて」
青年が振り返る。
「お前たちも、そろそろもど……」
そいつの言葉と動きがぴたりと止まる。
半分だけこちらに向かれた青年の顔。
その端正な右頬からは一筋の赤いしずくが流れている。
ミリアの小さな悲鳴が風に乗って聴こえた。
そう、オレは──青年に向かって宝剣を突きつけたのだ。
「とった」
「────……は?」
ソイツにしては珍しく間抜けな声だったと思う。
冷たい表情で、向けられた剣には目もくれず、オレの顔を、いや、オレの動きを見ているようだった。
こちらがほんのわずかでも剣を動かせば、瞬時に反撃へと転じる。
くもった眼に殺意はないが、得体のしれない恐怖を感じる。
コイツの前に立っているだけで怖い。
畏れで足がすくみ、息がうまく吸えない。
背筋に一筋の汗が滴り落ちる。
それでもオレはぐっと唇を噛みしめ、そいつの目をまっすぐ見据えた。
「お前に一撃当てたら、オレを鍛えると約束した」
無言の視線。
「んだよ、ずるいってか? ああ、そうだよ。でもだからなんだ、勝ちは勝ちだろ!」
剣の柄を強く握る。
脳裏に映るのは戦場での光景と、いまの惨劇だ。
「目の前で、奪われる家族の手を掴めなかった。目の前で殺されそうになる幼なじみをひとりじゃ助けられなかった。オレは、無力だ……」
だから、力が欲しい。
「いまのオレは弱い! こんなゴミひとつ片付けられないような脆弱なやつだ。おかげでミリアを救うどころか、逆にアイツに殺されそうになる始末だよ。──だけどな!」
──いちど決めたことは、どんな手を使ってでも、必ずやり通すと決めている。
「オレは、諦めだけは悪いんだ。誰になにを言われても姉さんを取り戻す。でもって、帝国の皇帝、説得して和平を結ばせる。それからお前のこともいつか一発ぶん殴ってやる。だから──」
大きく息を吸い、オレはそいつに宣言する。
「首を洗って待っていろ、白髪陰険野郎! オレにボコられて負けるその日までな!」
言い切り、にっと笑ってみせる。
宝剣が一瞬だけ光を放ったような気がした。
「──────」
青年がほんのわずかに瞠目した。
一気に捲し立て、肩で息をするオレを見て、そいつが何を思ったのかは知らない。
けれど、少しだけそいつが纏う空気が変わったような気がした。
わずかにつり上がる口の端は、おそらく初めて見るそいつの笑顔。
くるりと身をひるがえし、オレから遠ざかりながら青年は応えた。
「わかった。こんなかすり傷でも一撃は一撃だ。約束は守ろう。明日から、いつもの時間にここにおいで。簡単な指導くらいならしてやるから」
「本当か!」
「まあ、約束したからね」
「────っしゃあ!」
思わず拳を握る。
「じゃあ明日から指導よろしくな、師匠!」
「師匠じゃない。先生、もしくは名で呼べ」
「いや……、名で呼べって言われても、名前教えてくれないじゃん、お前」
オレが呆れた声で返せば、青年はぴたりと足をとめた。
「オーゼン」
振り返る。
「──そう、呼ぶといいよ」
さわさわと、静かな風がそいつの白い髪を揺らした。
暗雲から零れる一筋の光。
金色と緋色が混ざる狭間の色。
生い茂る木立の隙間を縫って、眩しい陽の柱が降りてくる。
まるで、夜明けのような晴れ間だった。
細い陽の光に照らされるそいつの瞳は、朝焼けとは真逆の夕陽色。
それが、のちにオレの最大の敵として立ちはだかるユーハルドの初代大祭司、不死蝶の魔導師オーゼンとの出会いだった。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
漫画で言うところの読み切りですね!
とくべつ連載の予定は無いですが、いつか続きが書きたい、そんなお話でした。
こちらは連載中の『ゼノの追想譚』にも繋がっております。
こういうの好きって方がいたら、感想とかイイネとか★★★★★を押していただけると嬉しいです!