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  作者: Yonohitomi
一章
99/166

102.広がる負

 

 朱炎の部屋。

 黒訝は部屋の中央に座し、一人の部下として手短に任務の報告を行う。

 しかし、報告を終えてもなお、その場を動かずにいた。


 朱炎が静かに視線を向けると、黒訝は少しだけ眉をひそめ、不満げに声を落とす。


「父上……蓮次に、甘すぎます」


部屋に、僅かな緊張が走る。


「力を貰わなければ、生きられない身でありながら、蓮次は食うことすら拒んでいる。そんな有様で、鬼として生きていけるとは思えません」


 朱炎はすぐには応えなかった。

 少し遠くを見つめたあと、やがて静かに口を開く。


「……分かっている。だが、今は距離を置いている」


 父の声に迷いが滲んでいるのを黒訝は見逃さなかった。一瞬は唇を噛んだ。だが引き下がるつもりはない。


「……ですが、父上」


「黒訝……お前が蓮次を導いてやってくれ」


 朱炎の頼みとも命令ともつかぬ声に絶句した。

 父の目には、諦念に似た影が宿っていた。


 黒訝もまた、目線を落とす。


「……俺の言葉など、最初から聞いていない」


 ため息混じりに呟かれた言葉。黒訝は先ほどの出来事を思い出し、報告を続ける。


「蓮次は、鬼を殺そうとしました」


「そうか」


 焦りも怒りも見られない朱炎の反応に、黒訝は息を呑んだ。どういうつもりなのかと怒鳴りたくなったが、ここでは抑え、話を続ける。


「以前、鬼を殺してはならない話も伝えたはずです。……ですが!」


 語尾を沈めた黒訝の心には、失望に似た怒りが宿っていた。


そのとき。


 控えていた耀が、躊躇うように部屋に入ってきた。


「失礼いたします。……大変申し訳ございませんが、急ぎご報告を」


 扉を静かに閉じ、丁寧に一礼した耀。切迫した気配を隠しきれずにいる。

 朱炎と黒訝が視線を向ける中、耀は要件のみを丁寧に伝える。


「先ほど、蓮次様が攻撃なされたその鬼ですが、すでに事切れております」


 一瞬で空気が凍った。


「……ですが、呪詛の発動は見られません。蓮次様にも、屋敷の者にも」


 耀は続けて朱炎と黒訝に呪詛が出ていないか尋ねるつもりだったが、黒訝が顔を顰め、間髪入れずに声を荒げた。


「父上! 今こそ、蓮次に折檻を!」


 勢い込んで訴える黒訝に対し、朱炎は沈黙を貫いた。しばらく目を閉じ、朱炎は屋敷中の気配を丹念に探る。


「……折檻はせぬ」


 短く告げられた言葉に、黒訝の眉が跳ね上がる。どんっと床に手をついて、「なぜ!」と大声で問うた。

 耀も朱炎から目を離さず、答えを待っている。


 長い沈黙となった。


 朱炎はゆっくりと目を開け、黒訝を真っ直ぐに見た。


「あの子は脆すぎる。弱すぎる。私が手を下せば壊れるだろう……今世の蓮次には、もう、何もできぬ」


 聞いて、黒訝は奥歯を噛み締めるしかなかった。俯き、拳を握りしめ、怒りを顕にしている。


 その様子に朱炎は小さくため息をつき、黒訝の名を呼び、宥める。


 それはもう、親子の会話にすぎなかった。

 耀は二人のやり取りを黙って見守っていた。

 彼らは呪いの発動よりも蓮次のことに気を取られている。


(……この二人に異変がないなら、呪詛の発動は確かにない。けれど……)


 耀は、拭えぬ不安を覚えた。

 朱炎の沈痛な態度も、黒訝の焦りも、どこか尋常ではない。屋敷の空気は、重く、沈みきっている。


 あまりにも静かな空間で、なぜか、瘴斎(しょうさい)の言葉が頭をよぎる。


『負が、底なしに広がり始めておる証よ』


 耀は朱炎の顔色を窺う。いつものように自信に溢れたような姿はなく、影を落としていた。


 耀の視線を感じ取りながらも、朱炎が耀に向き直る事はない。

 静かに遠くを見つめる朱炎。


 視線の先は、いくつもの壁を隔てた先にある、蓮次の部屋。

 揺れ動くほどの大きな気配こそないが、今にも崩れ落ちそうな脆さが滲んでいた。


(あの子を、どうすべきか……)


 朱炎の胸にあるのは、ただ一つ、父としての痛切な思い。

 過去の栄光も、未練も悔いも、もはや関係ない。


 ただ、いま目の前に在る蓮次を、壊したくない。それだけだった。


 一方で、黒訝の瞳には、黒々とした怒りが燃えていた。

 なぜ半端者である蓮次を甘やかし、鬼として扱い、一族を継がせるつもりなのか、と。


 黒訝には、裏切りにすら思えた。


 沈黙の中で、三者三様の思惑が交錯する。


 

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