99.呪われた一族
「久しいな、耀。……まだ“朱炎の影”を続けておるのか」
声は枯れ木の軋むような音色で、皮膚の裏に染み込むように響いた。
耀は頭を垂れながらも、警戒を解かずに答える。
「我が一族の者が、あなた方の同胞を……殺しました。制止が間に合わず、誠に申し訳ございません」
瘴斎は一つ頷いた。声に怒気も、嘲りもない。
「謝罪か。珍しいな。朱炎一族が、口を濁さず詫びに来るとは」
一拍。瘴斎の目が、耀を射貫くように見据えた。
「ふむ……“あの子”の仕業か。蓮次。懐かしい名だ。だが、今の蓮次は、かつての“あの子”とは違うようじゃの」
「はい。記憶はありません。性質も……脆く、危うい」
耀の返答に、瘴斎は顎を上げる。
「だが、同じ“魂”を持っておる。そうだろう? 魂の因果は、肉体や記憶よりも遥かに深く、濃い」
その言葉に、耀の瞳が微かに揺れた。
「……おっしゃる通りで」
「ふふ……相変わらず、呪われておるな、お前達は」
声音には、わずかな嘲笑が滲んでいた。
耀はすっと目を細め、睨むように瘴斎を見返す。
瘴斎は楽しげに続ける。
「そう睨むな。わしらが呪いをかけたなどと、まだ思っておるのか?」
耀の眉がわずかに動く。瘴斎はそれを見逃さなかった。
「お前たちは、朱炎が“我らの呪い”に蝕まれたと思っておるのだろう? だが、違う。……あれは、朱炎自身が、自らを呪ったのだ」
その言葉に、耀の脳裏に過去の記憶がよぎる。
朱炎の父――先代の長であった閻王は、ある日を境に衰え、あっけなく命を落とした。特に病に倒れたわけでも、戦に敗れたわけでもない。
蝕まれるように、力を失い、死んだ。
その死を皮切りに、彼の側近だった鬼たちも、ひとり、またひとりと姿を消した。皆、強く、名のある鬼ばかりだった。
まるで、見えぬ手に順番を決められたかのように、朱炎の周囲から力ある者が次々と。
それが鬼殺しの代償。
そして朱炎は、その頃から鬼の殺戮をやめたのだ。
森がざわめく。地の底から這い上がるような異形の鬼たちの呼吸が、森の空気を歪ませる。
「朱炎なあ。鬼を……無数に殺し、力に酔って……悦に入っておったな、あれは」
瘴斎の声は、やけに静かだ。
「わしら異形の鬼は、分裂によって数を増す。殺されても、すぐに増える。朱炎は……それを“遊び”のように楽しんでおった」
その言葉に、耀の胸がひやりと凍る。朱炎の、若き日の戦いの姿。いや、恐ろしすぎる“鬼”の姿。
耀が目を伏せまいと、まっすぐに瘴斎を見つめる。
瘴斎は嗤った。
「──同じ顔をしとったぞ。蓮次もな。先ほど、我が同胞に攻撃を仕掛けた時……あれは朱炎と同じ目をしていた。酔っておった、血と力に」
耀はその言葉に反論しようとしたが、言葉が出ない。
「呪いとは、己の罪を知る者にこそ降りかかる。……お前たちは、自らを呪ったのだよ」
瘴斎の声音は乾いていたが、どこか愉悦に満ちていた。
「……過去のことを言いに来たのではありません。ただ、これ以上の禍が広がる前に、今回の件を収めたく……」
「安心せい。言ったであろう? 我らは呪ったりはせぬよ。だが……あの子が、自らを呪うとなると……面白い事よ」
刃のように鋭く突き立てられるその言葉に、耀は目を細めている。
しかしここで、長老の目が伏せられる。
「ここ最近、嫌な風が吹く。異形たちが疼いておる。お前も気づいておろう?」
耀の肩が、僅かに強張った。
「……“悪鬼”は、最も厄介な鬼だ。自らを壊し、世界を呪って堕ちる、破滅の器」
「何のことでしょう?」
「哀れなものだよ。また鬼になる。いや、“もっと酷い何か”になるかもしれんな」
瘴斎の言葉が、森そのものを揺らすように響いた。
だが耀は、なおも目を細めている。この長老を信用していない。話は聞くが、すべてを鵜呑みにするつもりもなかった。
「我々のことではない……そもそも、我ら異形の鬼は“悪鬼”には落ちぬ」
瘴斎の口元が、わずかに歪む。
「我らは、空っぽの性質を持つ。……元は、憎しみに塗れた人間を喰ったことで生まれた存在。憎しみすら、自分のものではない。だから堕ちぬ。だが……負の力には、敏感でな」
不気味な光を孕んだ双眸が、細くなる。
「蓮次が発する“力”は強大であろう。それに呼応して、我が一族の者もおかしくなり始めておる。負が、底なしに広がり始めておる証よ」
「…………」
「悪鬼の存在は確かに厄介だが……あの子は、それ以上かもしれんぞ。破滅そのものの器、魂がな」
最後の言葉は、風のように遠くへ、湿った空気に溶けていく。
耀は何も答えなかった。
長老の残響を背に受けながら、その場に立ち尽くす。
森の中にうごめく無数の異形の鬼たちの視線。
今もなお、耀の背中を刺し続けていた。




