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  作者: Yonohitomi
一章
94/167

97.妙な鬼



 蓮次が辿り着いた先。

 そこには、まだ幼い少女が怯えて蹲っていた。


 艶やかな黒髪は泥にまみれ、おさげの先には赤い紐。薄い花柄の着物は破れ、袖口は濡れ落ちた葉に汚れている。


 逃げ惑ったのだろう。

 瞳は見開かれ、今にも泣き出しそうだった。


 その眼の前に、鬼が立ちふさがっている。


(これは……鬼か……)


 人の形は保っているが、顔は歪み、虚ろな目が宙を泳いでいる。異様な気配が辺りを濁していた。

 異形のような鬼だ。


 蓮次の身体は、思考よりも先に動いていた。

 伸びた爪が、空気を裂く。


 研ぎ澄まされた意識が、鬼の輪郭に焦点を合わせた。

 少女の前に躍り出て、鬼を斬る。


 一撃。

 そして、もう一撃。


 爪が鬼の肉を裂き、悲鳴とも咆哮ともつかぬ声が森に響く。


 蓮次の手は止まらない。


 守らなければ。

 ——人間を。


『いや、弱き者を』


 体は勝手に動いていた。いや、動かされていた。

 力を抜けば抜くほど、鋭く、迷いなく。


 軽やかに、風のように、蓮次は戦った。


(とどめを!!)


 その瞬間——


「やめろ! 蓮次!!」


 怒声が叩きつけるように響いた。


 同時に、蓮次の体が吹き飛ばされる。地を転がり、木の根に背を打ちつけた。視界が白く弾ける。


「何やってんだ馬鹿ッ!」


 黒訝だ。

 怒りをあらわに、目を見開いている。


「鬼を殺すな!」 


 その剣幕には、怒り以上のものがあった。

 焦り、恐れ。


 蓮次は混乱した。

 なぜ止められたのか、理解できない。


 目の前の鬼は人の子を襲おうとしていた。間違いなく。


 ふと気づけば、鬼が吠える。


 蓮次は再び立ち上がり、黒訝を押しのけて少女へと向かおうとする。


 だが——


 視線を感じた。


 鬼の目が、こちらを捉えていた。


「……ッ!」


 足がすくむ。

 凍りつくような恐怖が、背骨を伝って駆け上がる。


 同時に、蓮次の中の過去の影が消え去った。


 さっきまでの“蓮次”はもう居ない。

 蓮次はただの蓮次に戻ってしまった。喰われる者、鬼の餌食に。


 ――狙われている。


 そう理解した途端、足元が崩れて尻もちをついた。


 異形の鬼が、蓮次に向き直る。

 その隙に、少女は逃げていった。


 鬼はそれから一歩も動かず、蓮次を凝視し続けている。


「ちっ、もういい、行くぞ!」


 黒訝が蓮次の腕を掴み、強引に立ち上がらせた。

 引き揚げられて冷静になれた。


 慌てて地面を蹴り、一目散に森を駆ける。


「ダメなんだよ、鬼を殺すのは!」


 黒訝の声が、風を切って飛んでくる。


「しかも、あいつ……妙だった。負けてたら、お前もう喰われてる!」


 蓮次は、走りながらも鬼の顔を思い出す。


 異形のような鬼でありながら、不思議なほどに重い気配を纏っていた。気味が悪い。




 やがて、森を抜けた先で立ち止まり、近くの岩影に座り込んだ二人。


 雨は止んでいた。空は鈍く曇っている。

 蓮次は息を整えると、ぽつりと漏らす。


「……あの子、無事だったかな」


 掠れた声で。


 それを聞いて、黒訝は苛立ったように頭を掻きながら言った。


「人の子の心配より、自分の心配しろよ。お前、狙われたんだぞ。しかも、普通の鬼じゃねぇ」


 たしかに。

 あの鬼は、異形とは異なる“何か”だった。


 形は歪んでいるが、漂う気配は上位の鬼に近い。どこか、混じりもののような違和感。


 黒訝は言葉を慎重に選びながら、口を開いた。


「俺たち朱炎の一族には、掟がある。鬼を殺すことは、禁忌だ。異形は構わない。でも鬼は……ダメだ」


 蓮次は、黙って聞いていた。


「殺したら呪いが発動する。本人だけじゃ済まない。

関係ない奴らまで、命を落とすことになる。……洒落にならねえだろ」


 しばらくの沈黙。蓮次は問う。


「でも……異形と、低級の鬼って、見分けがつかない。さっきの鬼も変だった」


 黒訝は、静かに答えた。


「異形は空っぽ。鬼は……生きてる。気を張ってりゃ違いくらい分かるさ」


 少し間を置いて、付け加える。


「……低級の鬼なら、呪いが発動しない場合もある。けど、それを期待して殺しにいくもんじゃない。分かったな」


 その声には、警告と共に、どこか悲哀が滲んでいた。

 蓮次は、ただ頷いた。




 遠く、木々の間に、気配を殺して佇む影がある。

 耀だ。


 彼は、冷静な目で、蓮次と黒訝が消えていった方角を見つめていた。


 元々、二人を密かに尾行していた。

 まだまだ不安定な蓮次なのだ。何かあったとき、放ってはおけない。


 二人の影が見えなくなると、耀は背筋を伸ばし、踵を返す。


 向かう先は、先ほどの“異形の鬼”の背後にいる一族の長。


 次の災いを、未然に防ぐために。





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