98.繰り返す因果
蓮次と黒訝が森の奥へと駆け去った後も、異様な気配が残っていた。
異形の鬼は、一歩も動かず、じっと立ち尽くしていた。
鬼の身に刻まれた蓮次の爪痕が深かったのだろう。どうやら様子がおかしかった。
切り裂かれた胸元からは黒い液体がどろりと落ちた。出血、とは言いにくく、まるで泥。その後、毒が回ったように鬼の肉が崩れ始めたのだ。
時間とともに、傷が広がった。
木々の影から、耀は静かに見つめていた。
蓮次が攻撃をしかけ、黒訝が止めに入り、ふたりが逃げるまでを。
(もっと早く止めるべきだったか……)
蓮次がとどめを刺す寸前、止めに入るか迷ったが、黒訝の気配が凄まじい勢いで近づいていたのを察知し、黒訝に任せた。
耀は観察に徹したのだ。
しかし、判断を誤ったかもしれない。
――このままでは鬼が死に、取り返しのつかないことになる。それは、
“鬼殺しの呪い”
鬼は、吼えるでもなく、じっと立ち続けていた。それは、崩壊へと向かっている。
傷口から溢れ出す液体が、勢いを増し、鬼の体は膨れ上がり、今にも破裂しそうだった。
耀はすぐさま距離を取る。
直後、鬼の体は、木っ端微塵に爆ぜてしまった。
肉片が木々を叩き、黒い瘴気が散る。原形を留めない残骸が辺り一面に広がった。
鬼は、死んだ。
耀は目を細めた。
(……致命傷だったか)
蓮次はとどめを刺さなかったが、あの爪は、鬼の芯まで届いていた。
つまり、蓮次は鬼を殺してしまったのだ。
時を置いて果てたとしても、それは“蓮次が殺した”という結果に変わりはない。
本人も黒訝も、その事実には気づいていないが。
耀は静かにため息をつく。
この死は、朱炎の一族にとって、重大な意味を持つものだ。
(……長のもとへ……行くしかない)
耀は踵を返すと、静かに森を進んだ。蓮次と黒訝が向かった方向とは逆の、暗黒の森の中心部へと。
蓮次が知らぬまま犯した“鬼殺し”。
その代償がどれほどの波紋を呼ぶのかを、耀は過去に見て知っている。
ここは、異形の鬼が屯する場所。
彼らの縄張りに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
ざわりとした草の波が足元に触れる。這い寄るような気配が絶え間なく押し寄せ、耀は無意識に息を呑んだ。
空気が冷えているのではない。皮膚の奥が凍てつくように、じわじわと何かが這い上がってくる。
無数の視線に晒されている。
「……申し訳ございません、瘴斎様」
耀が足を止め、木々の間に向けて静かに声をかけた。すると、森の奥がぐるりと動いたように思えた。
細長い肢体に、人とも獣ともつかぬ顔。濁った目に舌を這わせる異形の鬼たち。
耀を目にすると何体かが慌てて木々に擬態した。耀を取り囲んでいる。
その中央に、ひときわ異様な存在がいる。
その者は、姿を変えることなく静かに佇んでいる。
異形たちの“始祖”にして、支配者。長老・瘴斎。
醜悪な姿の中に、異様なほど澄んだ双眸だけが、ゆるりと耀を捉えていた。
「久しいな、耀……」




