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  作者: Yonohitomi
一章
87/165

90.見惚れるな


開け放たれた障子の向こう、一人の男がいた。


耀だった。


手に持つ扇子を軽やかに翻しながら、彼は静かに舞っていた。


一瞬だった。しかし、蓮次の目を奪うには十分すぎるほど美しい動きだった。

呼吸すら忘れたかのように、蓮次はその姿に見入っていた。


背後には若い女鬼が二人。どうやら耀が彼女たちに舞を教えているらしい。


(また、見れるだろうか)


もう一度、舞ってほしい。

期待するように、蓮次は目を凝らす。


そんな彼の耳元で、老婆の静かな声が響いた。


「耀様は、舞踊の心得がございます。若い鬼たちに舞を教え、鬼が営む隠れ宿などで披露できるようにしているのです」


蓮次は、ちらりと老婆の方を見る。しかしすぐに耀へと目線を戻した。


扇子が穏やかに空気を切り、はらりと翻る。

耀が再び舞の手本を見せたのだ。

先ほどと同じように、美しい動きだった。


「綺麗だ……」


蓮次は、思わず呟いた。

すると老婆は穏やかな口調で続けた。


「耀様の踊りは、朱炎様の前でしか披露されませんよ」


少しばかり笑みを含んだような声色で。

その後、老婆の姿はすっと消えた。


蓮次は、耀の姿に釘付けのまま。


(もう一度……)


耀の動きの余韻が目の奥に焼き付いている。 

今はもう手本を終えているが、もう一度、舞ってくれ、と、心の中で唱え続ける蓮次。


だが、耀はその後、舞う事はなく、女鬼たちと向かい合って座った。

それぞれが深々と頭を下げている。どうやら稽古が終わったらしい。


しばらくすると耀がこちらに向かって歩いてきた。


「耀」


蓮次は、迷いなく声をかけた。


「綺麗だった。また見せてくれ」


耀は何かを答えようとしたが、次の瞬間。


ゴンッ!


鈍い衝撃が蓮次の頭に響いた。


「……は?」


後ろから殴られた。蓮次が振り向くと、そこには黒訝が立っていた。


「またお前! なんで殴るんだ!」


「お前、話聞いてたか?」


黒訝は明らかに苛立っている。


「耀は父上の前でしか踊らねぇんだよ、馬鹿か!」


そう言い放つと、さらにもう一発。


「っ……!」


今度は避ける事ができたが……。

蓮次は舌打ちし、黒訝を睨みつける。


「お前は殴る事しか出来ないのか!」


「うるさい! お前が父上みたいな事を言うからだろうが!」


「なんの話だ!」


「絶対許さねぇ!」


互いに睨み合い、結局、二人は取っ組み合いになった。


「お前が一緒に来いって言ったから来たんだろう! 俺、来た意味なかったよな!? それに、耀に話しかけるくらい自由だろ!」


「お前が急にいなくなるからだろうが!」


「だから何だよ!」


「黙れ、クソが!」


言葉の応酬とともに、再び拳が飛び交った。互いの腕が絡み、膝がぶつかる。


蓮次と黒訝の取っ組み合いに、近くを通りがかった鬼たちは少しばかり距離を取り、見なかった事にして去っていく。


「全部お前が悪い!」


「知るか!」


「そこまでにしましょうか」


静かで穏やかな声が響いた。

先ほどまで殺気立っていた空気が、一瞬で鎮まる。


二人の熱を冷ますような静かな声は、耀のものだった。

蓮次が息を整えながら耀を見上げる。同時に、黒訝の姿はふっと影になり掻き消えた。


「……!」


蓮次は拳を握りしめたまま、ふと我に返る。


黒訝はもう、どこにもいなかった。何も言わず、去ってしまった。


残された静寂の中で、胸の奥に渦巻くのは収まりきらない苛立ち。


そして、言葉に出来ない、何か。 


蓮次は大きく息を吐き出すと、乱れた髪を整える。


蓮次の表情は曇ってしまった。


「…………」


「蓮次様、戻りましょうか」


相変わらず穏やかな声が響いた。

仕方なく、耀とともに屋敷へ戻る。


この日、結局、黒訝から鬼のことを詳しく聞くこともなく、ただ苛立ちが残っただけで一日が終わった。




森の中は、闇に沈んでいた。すっかり日が落ちていた。

昼間とは別の世界のよう。

木々の影が濃く、風の音すら吸い込まれる。


蓮次は足を止め、ふと見上げた。

月は雲で隠れていた。


蓮次はまた大きくため息をつく。

歩きながら考えるのは、黒訝のことばかりだった。




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