93.鈍く温かい力
耀の術は、確かに蓮次の傷を塞いだ。けれど、痛みは消えなかった。
肉体の痛みではない。烈炎の一撃によって打ち砕かれたのは、皮膚でも骨でもなく、心そのもの。
痛みを伴わずに塞がる皮膚の下で。
情けなさと、どうしようもない無力感が胸の奥を焼くように疼いた。
何もできなかった。攻撃を受けて倒れただけの自分。
(鬼になれば、何かが変わるか……?)
ふと、そんな考えが頭をかすめた。
弱っている心が揺らぎを受け入れてしまいそうだ。
力があれば、あの瞬間、立っていられたかもしれない。避けて、反撃できたかもしれない。もっと何かできたはず。
そんな想像が、膿のように頭の中でじわじわと広がっていく。
部屋にひとりになると、胸の奥がきゅう、と軋んだ。
孤独感に押しつぶされそうになる。
いつも温かく感じる布団が冷たく感じる。寒い。息がうまく吸えない。
目を閉じた。
情けない。悔しい。悲しい。
寂しい。辛い。
そして、なんだろう。
『認められたかっただけなのに……』
また、頭の中で声がした。
『強くならなければ……』
これは、もう、取り憑かれているのだろうか?と思い始めた。
ずっと「あいつ」の声がする。
何かが込み上げ、蓮次の体が震え始めた。
――違う、これは違う。
胸の奥から湧き上がってきた「何か」
それに気づいたとき、蓮次は本能的にそれが「駄目なもの」だと理解した。
これ以上考えてはいけない。目を背けなければ。
それは、あの部屋――以前の蓮次が過ごしていた部屋に漂っていた気配と同じものだった。
あの、何かが壊れてしまったような、あまりにも濃い、苦しみと怨念のような気配。
恐ろしくて、布団の中で丸まった。
思い出してはいけない。
ふとした拍子に、またあの孤独を抱えて生きなければならないのか、と。
震えが止まらなかった。
また、あの孤独、と分かってしまう事が恐ろしい。
知っているはずがないだろう?前世の蓮次が孤独の中で潰れていった事なんて。なぜ、分かってしまうのか。
だからこれ以上、考えてはいけない、と。
その時。
襖が静かに開いた。
すぐに誰かが来たのが分かった。気配で分かる。
黒訝だ。
蓮次は身を強ばらせた。今の自分の姿を見られたくなかった。また、殴られるのか?怒鳴られるのか?
そう思って身を縮めた。
こんな時に関わらないでほしい。
だが、黒訝は何も言わなかった。
ただ、どすん、と少し乱暴に座った音がした。そして、蓮次の布団を強引にめくった。その動作に迷いはなかった。
顔を見られたくなくて、蓮次は目を背けた。けれど、次の瞬間、体が引き寄せられ、黒訝の手が蓮次の胸に当てられた。
強い力がそこから流れ込んでくる。鬼の力。
息が詰まる。胸が焼けるように痛む。しかし、蓮次は拒まなかった。
受け入れるしかなかった。
自然に、黒訝の着物の裾を掴んでいた。苦しさに耐えるように、縋るように。
彼の力は、朱炎のものとは違う。
刺すような冷たさはない。もっと、鈍く温かい力。
それでも体は軋むように悲鳴を上げる。
けれど、痛みと同時に、少しだけ心が軽くなる。
烈炎の一撃を喰らった胸元。まだ疼いていたその場所に、じんわりと熱が籠り始める。
(楽……になってる……)
気づいたときには、意識が遠のいていた。
うっすらと眠ったのだろう。夢は見なかった。ただ、ずっと傍に温かな気配があった。
目を開けたときも、その気配は変わらずそこにあった。
薄暗い部屋の中に、黒訝が見える。言葉をかけるでもなく、ただそこにいた。
「…………」
蓮次は、ゆっくりと体を起こした。まだ少しだるさは残っているけれど、胸の痛みは和らいでいた。
黒訝は立ち上がり、ぽつりと一言。
「行くぞ」
それだけだった。でも、それだけで伝わる。
“共に任務に向かう”ということ。
蓮次は頷いた。
廊下に出ると、夜の空は清らかに澄んでいた。
月が高く、星が美しく瞬いている。
森の匂いがする夜の風が、肌に心地よく触れる。
二人、無言のまま夜の森へ歩き出した。
隣に感じる黒訝の気配は、前よりも少しだけ、近くなっている気がした。




