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  作者: Yonohitomi
一章
86/166

89.特別な着物


黒訝が女鬼たちと楽しげにしているのを横目に、蓮次は無言でその場を離れた。わざとらしく横切るようにして。


黒訝の態度が妙に苛立たしかった。


普段は睨みつけて圧をかけてくるくせに、女鬼どもにはあんなにも素直に甘えたような顔をするのか。


(……馬鹿みたいだ)


蓮次は鼻を鳴らし、そのまま奥へ進もうとする。


「おい」


背後から怒声が飛んできた。足を止める。


「お前の用事じゃなくて、俺の用事だろ。付き合えよ」


黒訝の苛立ちを背中越しに感じたが、振り返ることなく、蓮次はそのまま歩き出そうとした。


だが、黒訝はそれを許さない。


「おい!」


強引に腕を掴まれ、力任せに引き戻される。蓮次が顔をしかめる間もなく、そのまま女鬼たちが案内する部屋へと連れて行かれた。




黒訝はよく着物を傷つける。

戦いのたびに破るのか、それとも単に粗雑なだけなのか。とにかく、彼がこの店を訪れることは多かった。


朱炎の息子という立場ゆえの特権で、常に新しい着物を仕立ててもらえる。


「これはいかがです?」


「こちらもお似合いかと」


鬼女たちはいつも通り楽しげに着物を選び、次々と黒訝へ差し出す。


黒訝は満更でもなさそうに袖を通した。

姿見として傍らに掛けられた影布えいふを手で撫でる。すると、一瞬だけその表面に自身の姿が映し出された。


黒訝はそれを確認すると、満足げに口角を上げ、次の着物に手を伸ばした。


「黒訝様、とっても素敵ですわ!」


「黒訝様、こちらを向いてくださいませ」


女鬼たちは甘ったるい声で惜しみなく賛辞を浴びせている。


黒訝といえば蓮次を気にする素振りもなく、影布に映る自分の姿を確かめ、楽しげに次の着物を選んでいた。


部屋の端に座し、その様子を眺めている蓮次。

腕を組みながら胡乱げな視線を向ける。


(……なに、あいつ)


普段は不機嫌そうな顔しかしないくせに。

自分にはやたらと棘を向けてくるくせに。


何がそんなに楽しいのか。

女鬼たちの前ではああも態度を変えるのか。


蓮次の胸の内には、妙な不快感が渦巻いていた。


ふと、黒訝と目が合う。

蓮次はぷいと顔を背け、そのまま瞬間移動で部屋を出た。




外の空気は澄んでいて、屋敷の奥へと続く廊下にも、ひんやりとした静けさが満ちていた。


蓮次は足を進める。


曇り空の合間からわずかに光が差し込んでいる。

庭に伸びた木々の影が揺れ、床にもまだらな模様を落としていた。


喧騒から離れたこの場所は、妙に静かで、冷えた空気が肌を撫でる。

先ほどまでの苛立ちは、知らぬ間に薄れていた。


さらに奥へと足を運ぶ。


外の光が届かない廊下を曲がると、壁に沿うように行灯が並んでいるのが目に入った。

それはぼんやりと光を灯し、薄暗い屋敷の奥へと誘う。


ふと奥の方から、何か強い気配を感じた。

ある襖の前で足を止める。

奥から、何かがこちらを見ているような錯覚を覚えた。


「……なんだ」


そのとき、不意に背後に気配が立つ。

振り向くと、老人のような女鬼が立っていた。


白髪を丁寧に結い上げ、質の良い着物を身につけている。

姿勢も良く、厳かな気配を醸し出す老婆鬼。蓮次を見つめ、細い目をさらに細めながら、静かに口を開く。


「あちらには、生きた着物がございます」


「生きた着物?」


「朱炎様の血を織り込んだ特別なお品。選ばれ者しか手にできないお品物となっております。蓮次様のそちらも……」


蓮次は眉をひそめ、自分の着物に視線を落とした。


(……なるほどな)


黒訝が地獄の谷で「俺はそんなの貰えなかった」と言っていたのは、これの事だったのか、と、蓮次は無言で着物の裾を指でなぞった。


「蓮次様」


低く静かな声が、そっと名を呼んだ。


老人の女鬼はゆっくりと歩を進め、「別のお部屋へご案内いたします」と言う。

それはつまり、これ以上、奥へ進むな、ということだろう。


蓮次は大人しく老婆に従った。


来た道を引き返す。光の届かない廊下を抜けて再び中庭へ出た。

奥の重い空気とは異なり、外の空気はいくぶん軽やかだった。


「さぁさぁ」


老婆鬼が穏やかな声音で促し、黒訝のいる部屋とは反対の方角へ歩みを進める。

蓮次もそれに続いた。


だが、ふと足を止める。


中庭を挟んだ向こうの部屋。

開け放たれた障子の向こう、一人の男の姿があった。


それは——。


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