81.共に
霧が淀む中、蓮次と黒訝はじっと動かずにいた。
二人の視線は、縦へ、横へ。
上を見て、辺りを見回す。慎重に。
目の前にあるのは単なる岩壁なのか、それとも何か仕掛けがあるのか。
何かを見落としているのではないかと警戒する。
足元を確かめ、再び上空へと視線を向ける。
蓮次の眉間に皺が寄り、黒訝もまた静かに唇を引き結んでいた。
蓮次は先ほど、横がダメなら縦へと言った。
その様子を見ていた烈炎が、ニヤリと口の端を持ち上げる。
「そうだ蓮次、よく気付いたじゃねぇか。早く上がってこいよ」
彼は面白がるような声音で言うと、片手を腰に当てながらさらに続ける。
「グズグズしてると置いて帰るぜ?」
蓮次と黒訝は反応しない。階層が異なるから聞こえないのだ。
ただ慎重に足元を見つめる蓮次と黒訝。
黒訝の指先がわずかに動き、蓮次の爪先がゆっくりと岩をなぞる。二人とも、まだ迷っていた。
「上だ、上! 何やってんだ、早くしろよ」
烈炎の声が再び響く。今度は先ほどよりも少し真剣な響きを帯びていた。
その横で、耀は小さく目を伏せた。
烈炎の声が、やけに耳に障る。もともと喧しい男だが、今日の耀には少しばかり堪えた。
身体の内側に、どこか鈍い違和感がある。とはいえ、耀は表情には出さない。
ただ静かに立ち、二人を見つめる。だが――
「うるさい」
ぽつりと漏れた言葉。
烈炎がちらりと耀を見た。
「おぅ、悪ぃ」
軽く肩をすくめるように言いながら、その瞳が耀をじっと見つめた。
察しのいい烈炎は、すぐに耀の異変を感じ取った。
烈炎はさりげなく辺りを見回す。
座って休めそうな場所はないかと探すが、ここにはそんな都合のいいものはなかった。
耀はそんな烈炎の動きは気にせず、再び蓮次と黒訝に視線を戻す。
そして、静かに口を開いた。
「上に、とは言っても……二人には無理だろう、この場所では……」
言葉は淡々としているが、どこか沈んでいる。
「蓮次様もまだ不完全だ。どうやってここを……」
耀が続けようとした時。
黒訝がわずかに動いた。
その動きを察知し、烈炎が反応する。耀も思わず顔を上げた。
二人とも、黒訝を見つめる。
――何かが変わった。
黒訝の瞳の奥に、今までとは違う何かが宿っている。
決意か、覚悟か、それとも別の何か。
烈炎は口元を引き締め、耀も静かに見つめている。
黒訝の手が、蓮次の腕をぐいっと強く引いた。
――何かが起こる。
そう思った矢先、黒訝の背中からそれが生えた。
漆黒の大きな翼が、空気を切り裂くように広がる。まるで夜の闇を凝縮したかのような羽。
柔らかくも力強く揺れた。
烈炎が目を見開き、ぽかんとした顔になった。
「なんだあれ……」
一拍の沈黙。
そして、すぐに口の端を持ち上げ、ニヤリと笑う。
「どうした黒訝、鴉にでもなったか?」
面白がるような調子だが、その目は興味と驚きに満ちていた。
耀もまた、静かに息を呑む。
――知らなかった。
耀は朱炎の近くにいる身であり、朱炎の息子である黒訝の能力についても、ある程度は把握しているつもりだった。しかし、この黒い翼は見たことがない。
耀の表情に変化はないものの、その瞳には明らかな驚きが宿っていた。
黒訝自身は何も言わない。ただ、蓮次の腕をしっかりと掴んだまま、翼を広げたのだった。
風が舞う。
烈炎が、口笛を吹いた。面白がるようでいて、どこか感心したような表情を見せている。
「へぇ……そりゃまた派手なもんを隠してたな」
耀は無言で黒訝を見つめていた。彼の目が、一瞬だけわずかに細められた。
黒訝は静かに息を吐き、翼を一度強くはためかせた。
そして、蓮次と共に。
上へ、空へ、飛び立った。




