74.地獄とは
灼熱の炎が噴き上がった。赤黒い大地が大きく揺れた。割れ目から噴き出した火柱は凄まじかった。
熱風が吹き荒れ、砂煙と黒煙が入り混じり、舞い上がった。
だが、炎はすぐに静まった。
闇の中に赤い残光だけを残して。
蓮次の身体は焼かれ続けている。
肌は赤く光り、焼け焦げ、煙を上げて、また再生する。
大地はなお熱を帯び、周囲の空気すら灼き続けていた。
それらを見守る二つの影。
蓮次が黒訝を庇った瞬間も、黒訝が蓮次の首に手をかけた瞬間も、今なお苦しみにもがく蓮次の姿も、二人の鬼が見守っていた。
耀と烈炎。
二人は蓮次と黒訝のすぐ近くに立っている。
しかし、蓮次にも黒訝にも、彼らの姿は見えない。
階層が異なる。
「おいおい、あいつ、死なねぇのか。やっぱ強ぇな、蓮次!」
烈炎が感心したように声を上げる。だが、その横で耀が静かに首を振った。
「……いや、違う。蓮次様がまだ人間だということだ」
「……何!?」
烈炎が驚きの声を上げる。しかし、その声も炎の轟音にかき消された。
ここは地獄。
この炎は鬼も異形も悪鬼すらも一瞬で焼き尽くす。
だが、人間だけは違う。
死んだ人間を放り込んでも蘇り、死ぬことなく永遠に焼かれ続ける。終わりのない苦痛が待つ場所。
耀と烈炎は知っていた。ここで燃え続ける者たちを何度も見ている。
暗殺の任務で仕留めた人間の死体をここへ捨てることもある。
「……ここは、朱炎様がかつての蓮次様の死に様を見て、作った場所……」
耀が独り言のように呟いた。その声音にはどこか、自分自身に言い聞かせるような響きがあった。
「鬼が、苦しまずに死ねる場所を――」
耀の言葉に、烈炎が静かにため息を吐く。
鬼は強い。強すぎるがゆえに、時に死ぬことすらままならない。
朱炎は一族を強くするために鬼の間引きを行う。
弱い鬼は不要だ。しかし、鬼同士の殺し合いは禁忌。
鬼を殺すためには、まず悪鬼に落とさなければならない。
そして、悪鬼に落とすためには、想像を絶する苦痛を与える必要があった。
それが朱炎一族の掟であり常識だった。
だが、蓮次の最期を見た朱炎は変わった。
耀は目を伏せる。
「――蓮次様は、強くなりすぎて、死ねなかった」
朱炎が蓮次を見送った時、そこにあったのは鬼の誇りではなく、ただひたすら苦しみ続けた“魂”だ。
死にたくても死ねず、痛みの果てにようやく終わりを迎えた蓮次の魂。それを見た朱炎は、鬼の死に様について考えたのだ。
「だから朱炎様は、この場所を作った。鬼が、安らかに死ねるように…」
耀は静かに語り終えた。烈炎は黙って聞いていたが、再びため息をつき、口を開く。
「……皮肉だな。蓮次の苦しみを見て、鬼が楽に死ねる場所を作ったってのに……今ここで苦しんでるのは、また蓮次かよ」
炎の中で蓮次はうめきながら身をよじっている。
その前で、黒訝が拳を握りしめ、唇を噛みしめていた。
烈炎が堪えきれずに叫ぶ。
「おい!黒訝!嫉妬で動けなくなるなんてカッコ悪りぃぞ!」
黒訝には烈炎の声は届かない。
烈炎の言葉は的を得ていた。空気が揺れた。
黒訝は拳を握りしめたまま、立ち尽くしている。
――なぜだ?
蓮次は今、苦しみにもがき、声も出せないほど焼かれ続けている。
それを見て、黒訝の胸の奥底に絡みついていた感情が、怒りから別のものへと変わり始めていた。
――俺は、こいつに嫉妬してるのか?
蓮次が朱炎に選ばれたことが許せなかった。鬼としても半端な存在。なのに、朱炎に特別扱いされている。
気に入らなかった。でも、今目の前にいる蓮次は。
ただ苦しんでいるだけだ。
黒訝は蓮次のもとへ歩み寄った。
再生力を失い始めた蓮次の腕――残る熱で焼けただれている腕を掴み、黒訝は力強く引き上げた。
黒訝に引きずられる蓮次。抵抗する力もなく、無理矢理に足を動かしながら進む。
耀と烈炎は二人の後を追った。
「なぁ、なんで朱炎様は階層変えたんだ?」
蓮次と黒訝は別の階層に飛ばされていた。
「これじゃ守れって言われてもなんもできねぇじゃねぇか!」
烈炎が苛立った声を上げる。耀は少しの間を置いて、静かに答える。
「……おそらく、ただ見守れ、ということなのだろう」
その声色は冷静だったが、どこか暗かった。
簡単には戻れないようにしている――つまり、朱炎には何か考えがあるのだろう。
烈炎と耀は、ただ二人を見守ることしかできなかった。
黒訝は蓮次を引きずりながら進んでいる。
蓮次をどうする。
このまま引きずって、どこへ進もう?




