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  作者: Yonohitomi
一章
64/177

71.地獄の炎


黒訝は宙を蹴り、落下する蓮次へと手を伸ばした。


絶対に落としてはならない。何があっても、この谷の底へは――。


蓮次が炎に呑まれたかのように見えたが、揺らめく火が躍り出てきただけだった。

まだ無事だった。


吹き荒れる熱風が、黒訝の手元を掠めそうになる。


皮膚が焼かれるような錯覚を覚えたが、そんなことを気にしている場合ではない。


蓮次はまだ無事。


黒訝はもう一度、強く空気を蹴った。




届いた。




蓮次の身体を掴み、強く抱え込む。そのまま崖に向かって宙を蹴り上げる。


岩場へと着地した。

そこは、地獄の縁だった。


岩も土も、焼け焦げたように赤黒く染まり、無数の裂け目から炎が滲み出ている。

谷底ほどではないにせよ、地面には至るところに深い穴が穿たれ、その奥で赤黒い火が蠢いている。

足を踏み外せば、一瞬で燃え尽きるだろう。


これは、ただの火ではない。全てを焼き尽くし、喰らう、赤黒い業火。地獄の炎。


黒訝は蓮次の身体を乱暴に地面へ下ろし、低く言い放つ。


「火には絶対に触れるな。」


その声には怒気が滲んでいた。


蓮次は顔を上げ、「分かった」と小さく答えた。


その瞳にはまだ実感のない戸惑いが揺れている。黒訝は苛立ったが、それ以上の言葉は飲み込んだ。


二人は無言で辺りを見渡した。


風は重く、熱気に歪んでいる。空には黒煙が漂い、どこからか爆ぜるような音が響く。


足元には、鬼の骨とも見える黒ずんだ残骸が散らばっていた。しかし、それらは長く形を留めてはいられない。


火の粉が降る。焼かれ、消えていく。


ここは、絶対に堕ちてはならない地獄の谷。

普段は鬼達も近づかない。特別な理由がない限り。


黒訝も蓮次も、この場所を訪れたのは初めてだ。だが、それでも理解できる。


この谷では、“何も”残らないのだと――。


黒訝と蓮次は足を止めることなく進んでいた。

だが、どちらの方向へ向かえばいいのか分からない。


足元の岩は、炎に照らされるたび、不気味に赤く浮かび上がる。それは火の赤か、血の赤か。


ところどころにある穴の奥底では、時折、炎の轟音のほかに別の音が聞こえた気がした。




蓮次は立ち止まり、目を閉じた。


気配を探る。


何も掴めない。


ただ焼けるような空気が流れている。

周囲の気配は霧散していた。


「……ごめん」


目を開き、ぽつりと呟く。


「また助けられた。なのに、俺は……何もできない。」


悔しさと情けなさが滲んだ声音だった。


黒訝は苛立っていた。


「それ以上喋るな」


低い声。怒りが宿っている。


蓮次はそれ以上何も言わなかった。


重い沈黙が落ちる。


やがて、黒訝が口を開く。


「……ここは、父上が火を放った場所だ」


蓮次は驚き、無言のまま黒訝の言葉を待った。


「もともと、この谷は変な匂いがしていたらしい。だから、一族がこの山に移り住んだあと、父上が火を放った。この場所では、火が燃え続けると分かったから」


黒訝は足元に目を落とし、岩の隙間から滲み出る赤黒い炎を見つめる。


「……けど、この火はもう父上のものじゃない。この谷は、勝手に燃え続けている」


「……だから、ここで鬼が死ぬのか?」


蓮次の問いに、黒訝はゆっくりと頷く。


「朱炎一族は鬼を殺してはならない。でも、この火で焼かれて消えるのは、鬼の勝手だ」


黒訝の声は、次第に力を失い、小さくなっていく。


蓮次の胸に、違和感のようなものが広がる。


死なない苦しみを知っている――


鬼は飢えても死なない。斬られても、再生する。

強い鬼ほど、簡単には死なない。


「朱炎一族は強い。だから、死ねない」


それは呪いのような言葉だった。


「だから父上は、この場所を用意した。鬼たちが死を求めるとき、安らかに死ねるように」


蓮次は全身が粟立つのを感じた。


鬼が、安らかに死ねる場所――。


その言葉が、胸の奥に突き刺さる。


そして、その瞬間だった。


胸の奥で、何かが軋むように震え、うねった。

内側から焼き付けるような灼熱感。


「……っ」


蓮次は思わず胸を押さえ、膝をついた。


違う、これは――。




「おい!!」


黒訝の声が響く。


 


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