65.繋がる力
黒訝の後ろ姿を見送った耀。
耀はゆっくりと膝を折り、倒れた蓮次の体をそっと抱き起こした。肌に触れると、かすかに温もりを感じる。意識はないが、顔色はそれほど悪くはない。まるで深く眠っているかのようだった。
耀はわずかに目を細める。
首筋に走るひび割れ。
蓮次が限界を迎えるたびに、それは現れていた。
先ほども生じたその傷は、今はすっかり塞がっている。
静かに指先で触れてみた。
「良かった。だが、あまり、無理はさせられないな……」
耀は短く息を吐く。
「しかし、まさか、黒訝様が……」
黒訝は治癒の術を持たない。それは耀も知っていた。彼には繊細な術は使えない。
力がすべて。
やはり、朱炎の息子であり、朱炎の意志を強く継ぐ者だ。
黒訝を形作るのは、父譲りの強大な力。
今はまだ、使いこなせていないようだが。
そして、蓮次のひび割れを治した術。
あれは焦りの中で偶然誘発したものに違いない。
黒訝が蓮次の傷に手を当てた直後、彼の気配にはわずかな揺れが生じていた。
しかし、それはすぐに強く、揺るぎないものへと変わっていった。
黒訝が蓮次に与えたのは、ただの「気」ではない。
おそらく——「力」だ。
鬼の力を、黒訝は蓮次に与えた。
その瞬間に耀は理解した。
朱炎がここ最近、蓮次に力を与えなかった理由を。
(やはり、すべてお見通しだったか)
胸の奥に熱が灯る。
耀は静かに手を胸に当て、心の中で名を呼んだ。
風がざわめき、烈炎が現れる。
血相を変えて現れた烈炎だったが、一目で状況を悟ると、「ああ、またかよ」と呆れた声を上げた。
「何回倒れりゃ気が済むんだ?」
「烈炎、声が大きい。蓮次様がお休みだ」
耀の低い声に、烈炎は舌打ち混じりに肩をすくめる。
「ああ? 慌てて来てみりゃこれだよ。……で、なんで呼んだ?」
「見ての通りだ。蓮次様が倒れた。運んでくれ」
耀が静かに言うと、烈炎は大げさにため息をついた。
「……ったく、いいように使いやがって」
そう言いながらも、烈炎は躊躇なく蓮次の体を抱え上げる。
その仕草には、慣れたものがあった。
「お前だって運べるだろ」
「お前と話がしたくなった。いけなかったか?」
耀が微笑んで見せる。
それは、普段の耀には似つかわしくない、どこかぎこちない微笑だった。
だが、烈炎はその意図を察して、わざとらしく頭を掻いた。
「へいへい……」
屋敷へ向かう道すがら、耀は静かに口を開く。
「黒訝様の力が、蓮次様の首のひび割れを塞いだ」
烈炎は無言で聞いている。
「偶然とはいえ、朱炎様と同じことを、黒訝様もなされた」
朱炎は全てを計算し、見据えている。
その確信が、耀の胸の内に深く根を張っていた。
あの方の見通す未来に、死角など存在しない。
どこまでも先を見通し、揺るぎなく道を敷く。
「朱炎様は……本当に、すごいお方だ」
耀の声は、普段よりどこか柔らかだった。
烈炎は黙ってそれを聞いていた。横目で耀を見つつ、深く考えるでもなく、適当に相槌を打つ。
「で? 話したかった事ってそれか?」
「……蓮次様は、きっと……」
烈炎は呆れ顔で話を聞いている。
耀は気にせず歩みを進めていた。
風が静かに吹き抜け、言葉の余韻が流され消える。
屋敷はもう、すぐそこにある。
 




