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  作者: Yonohitomi
一章
59/177

66.赤い瞳


夜の森は、ひんやりと湿った空気に包まれている。

葉の隙間から零れる月の光が、幻想的な輝きを放っていた。

枝葉がわずかに揺れ、虫たちの声が重なりながら響いている。



蓮次は、気の向くままに森を歩いていた。

頭の片隅には、ぼんやりとした景色。

それを探し求めるように。


──滝のある場所。


見たことがあるような、ないような。

滝が流れ落ち、湖が広がり、その水面には月が映る。

水飛沫は繊細で、月光に照らされるたびに七色の光を帯びる。


それは、なぜか心の奥深くにこびりつき、離れないもの。

懐かしい──けれど、胸をざわつかせる景色だ。




体調はすっかり良くなっている。

黒訝が力を与えてくれた。朱炎の代わりに。


蓮次はそう思っていた。


昨夜の事だ。

蓮次は黒訝と共に任務に向かっていた。

しかし、事は起こってしまった。


黒訝との戦い。

戦うつもりなど無かったが……。


黒訝の攻撃は容赦がなかった。

蓮次は体力を削られるばかり。


もともと万全ではなかった身体に、それは大きく響いた。

苦しかった。けれど。

最終的に、黒訝は蓮次を助けてくれた。


だから、次に会ったら、礼を言おう。

蓮次はそう考えていた。




今、森は静かだ。


先ほど、小さな館の前を通りかかったときのこと。

館の扉が勢いよく開き、鬼たちが姿を現すと、一斉に蓮次へ頭を下げた。

その光景に、ひどく落ち着かない気分になった。

彼らが見ているのは、自分ではない。


蓮次の知らない「蓮次」に、何かを期待している。

そう思えてならなかった。


胸の奥にじわりと広がる違和感を払うように、蓮次は静かな場所を求めて歩き出した。


鬼の気配がない方へ。




そして今、深い森の中にいる。

空気は澄み、夜の森の香りがわずかに鼻をくすぐった。

風に揺れる葉の微かな音も、とても繊細だ。

ここが鬼の棲む山の一部だとは、とても思えない。


この山は、広大だった。

まだ知らない場所ばかりだ。


蓮次は体調が良くなった事もあり、気づけばずいぶんと森の奥まで来ていた。


心も体も、とても軽い。

──しかし。


いつの間にか、木々の密度が増していた。

浮かれていたのかもしれない。


気づけば、月の光すら届かないほどの暗闇が広がっていた。

蓮次はふと後ろを振り返った。だが、そこにはもう。


(……道が……ない……!?)


来た道は、もう分からなくなっていた。


(……おかしい)


蓮次は眉を寄せる。人間だった頃から遠くの気配を探る事ができた。なのに、今、自身の感覚が鈍っている。

鬼の力を宿しているのに、まさか迷うとは思わなかった。


そのとき、ふと微かに匂う。


人の──


血の匂い。


全身の毛が逆立った。


(ここは……危険だ)


直感がそう告げていた。

引き返そうと、振り向いた。そのとき──


ザッ!!


襟首を乱暴に掴まれた。

強引に引き倒されるような衝撃に視界が揺らぐ。


「何してる!!」


鋭い声が頭のすぐ近くで響いた。蓮次は息を呑み、顔を見るまでもなく相手を察する。


黒訝だった。


黒訝は怒りを露わにしながら、蓮次の着物の襟を乱暴に掴んでいた。


蓮次は容赦なく引っ張られ、足をもつれさせながら地を踏むしかない。

抗う間もなく、闇の中を引き摺られるようにして進んでいた。

やがて視界が開け、再び月の光が降り注ぐ場所に出た。


黒訝の手によって、闇の奥から引き戻されたのだ。


「助かった」


だが、蓮次が言葉を発した途端、黒訝は乱暴に手を放った。


「っ……!」


蓮次はよろけ、転げそうになる。しかし、すぐに体勢を整えた。

改めて黒訝を見る。


「ありがとう、助けてくれて」


「助けたわけじゃない!!」


低く、怒気を帯びた声。


「お前は余計なことをするな! あの場所には近づくな!!」


蓮次はその言葉をしっかりと受け止めた。


「分かった。気をつける」


黒訝の表情は、苛立ちと焦燥に満ちていた。

本当に危険な場所なのだろう──蓮次はそう理解した。


「……」


「……」


不機嫌そうに沈黙を貫く黒訝。

何も言わずに立ち去ろうとする。


「待ってくれ」


黒訝の足が、一瞬止まる。


「お前のおかげで元気になったんだ」


蓮次は黒訝の背に向かって、真剣に言葉を投げかけ続ける。


「ずっと話したいと思ってた。あの時は気分が悪くて……」


だが、蓮次が言い終わるか終わらないかのうちに、黒訝が勢いよく振り向いた。

鋭い瞳が、蓮次を真っ直ぐ射抜く。


「俺はずっと気分が悪い」


低く静かな怒気が、夜の空気を震わせた。


「お前のせいでな!!」


蓮次は息を呑む。


激しい怒り、苛立ち──それ以上の、凄まじい何かを感じ取った。だが、それでも蓮次は続ける。


「お前が力を分けてくれたんだろ?」


黒訝は朱炎の息子。強い鬼。


「すごく楽になったんだ。お前のおかげで……だから」


その瞬間──

黒訝が動いた。


蓮次に向かって、鋭い拳が突き出される。

蓮次は反射的に身を引いた。しかし、遅かった。

空気を裂く轟音が響く。


ドンッ!!


強烈な一撃が、蓮次の胸を貫いた。鋭く、重い。


蓮次は勢いよく後方へと吹き飛ばされた。

しかし、すぐに身を翻し、受け身を取って着地する。


「……っ……」


今まで一番の衝撃を喰らった。

胸の痛みに、眉を寄せる。


顔を上げると、真っ赤に燃える瞳が蓮次を見ていた。


まるで、炎のような

血の赤のような。


真紅の瞳が、朱炎の──

あの赤い瞳と重なった。



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