59.刻まれた雷撃
耀は静かに跪き、深く頭を垂れた。
「申し訳ございません。私がついていながら、蓮次様に任務を果たさせることができませんでした」
静かな声色の奥には、自責の念が滲んでいる。
耀はゆっくりと顔を上げ、一拍置いて淡々と事の次第を語り出した。
「……黒訝様が、我々よりも先に目的地へ向かわれました」
部屋の空気が張り詰める。
「我々もすぐに向かうつもりでしたが……途中、蓮次様が突然、ある場所で様子を変えました」
一瞬、朱炎の目が細まる。その反応に耀は確信する。この場で説明するまでもなく、朱炎はすでに察しているのだと。
「……あの場所でございます」
その一言が、室内の温度をわずかに下げた。
そこはかつて、朱炎が蓮次に雷を落とした場所。
まだ幼かった「過去の蓮次」が、己の未熟さ故に朱炎の怒りを買い、その裁きを受けた地だ。
あの頃の蓮次には傷を再生する力もほとんどなく、雷撃を受けた体は裂かれ、焼かれ、倒れ伏したその瞬間から、死の淵を彷徨うこととなった。
この時、蓮次に深く刻まれたのは痛みではない。
――父の怒り、そのものへの恐怖。
「蓮次様は……まるで別人のようでした。突然、何かに駆られるように逃げ出し、信じがたい速度で視界から消えそうになり……やむを得ず攻撃を仕掛けましたが、すぐに回復され……ほとんど効果を成しませんでした」
静かに語る耀の言葉の端に、朱炎は僅かな違和感を覚える。
「仕方なく、さらに強い一撃を加え、崖へ落としました。しばらくして……蓮次様は元に戻られました」
部屋はひどく静かだった。
朱炎は何も言わない。ただ耀の報告を聞きながら、目を細めているだけだ。
その目には、期待にも似た色が滲む。しかし、それだけではない。
耀は、悟ってしまう。
朱炎は、蓮次の中に眠る鬼の力を見たのだ。
その力が、最強の鬼へと蘇る可能性を秘めていることを。
静かな空気が次第に重さを増していく。耀は目を伏せたまま、慎重に言葉を選ぶ。
「朱炎様……どうか、蓮次様を、今の蓮次様をお見守りください」
耀は深く頭を下げる。その瞬間、空気が一変した。
鋭い。息が詰まるほどに。
まるで刃を突きつけられたかのような、研ぎ澄まされた圧力。
朱炎が怒りを見せたわけではない。ただ、彼は今、耀の言葉を吟味しているのだ。そして、それが自身の意に沿うものか否かを。
耀は朱炎をよく理解している。
彼が力のためなら手段を選ばない鬼であることを。
彼が蓮次を最強の鬼として育てることを、決して諦めていないことを。
暴走した蓮次には、確かに過去の蓮次の気配があった。だが、それは決して強さだけではなく、脆さも孕んでいた。
だからこそ、耀はそれを伝えられなかった。
蓮次の奥底に眠る力を否定することは、すなわち、朱炎の期待を否定することに等しい。
頭を垂れたまま、耀は静かに呼吸を整える。室内に張り詰めた圧は、ゆっくりと霧散していった。
朱炎は蓮次の力を試すだろう。
そして蓮次は、それに応えざるを得なくなる。
朱炎が退室を命じると、耀は深く一礼し、静かに部屋を後にした。
***
耀が退室し、屋敷は再び静寂に包まれる。
朱炎は目を閉じた。
屋敷全体に広がる気配を、深い水底を探るように確かめる。
長い廊下の向こう、奥の一室──そこに蓮次がいる。息づきは穏やかだが、眠りは浅いようだった。
朱炎はゆるやかに目を開く。
思いのほか早く反応を見せたものだ、と口角が微かに上がっていた。
あの場所で、蓮次の中に残る何かが疼いたのだろう。記憶を持たぬはずの身体が、雷の痛みを覚えていると。
耀の言葉が脳裏をかすめる。
──今の蓮次を見守ってほしい。
かつて紅葉も、同じ願いを口にしたことがある。
二人の気持ちは、わからぬではない。
だが──弱すぎる。
怯え、逃げ、自我を手放すなど、鬼にあるまじき脆さ。
記憶を失ってなお、影に呑まれかけるなど、情けないと言ってよい。
未熟なのだ、あまりにも。
「……蓮次」
名を呟き、朱炎は再び瞼を閉じた。
その奥底に眠る力をどう引きずり出すべきかと、彼は静かに思考の底へ潜る。
その唇に浮かんだのは、愛とも期待ともつかぬ、
鬼の笑みだった。




