55.地下の鬼
黒訝は息を潜めながら影に溶け、地下へと繋がる入り口を見つめている。
耀が持っていた壺。あれには何が入っているのか。
気になりつつも、地下に降りるのは躊躇ってしまう。
地下の狭い空間では、いくら影になっていたとしても見つかる可能性がとても高い。
黒訝が迷っていると、そこへ、朱炎が現れた。彼はためらいもなく地下に続く階段へと足を踏み入れる。
黒訝の胸がざわつく。
やはり降りるべきか。引き返すべきか。
しかし、どうしても無視する事ができない。
静かに、慎重に。
気配を消して影へ潜り込み、地下へと身を忍ばせる。
そこは、異様な空間だった。
薄暗い地下には、鬼たちのうめき声が響き渡っていた。
烈炎が立ち、朱炎と耀がその光景を見下ろしている。
何をしている?
黒訝の目が、周囲に集う鬼たちを捉えた。
低級鬼、中級鬼。そして、その中の何匹かが、異様な変貌を遂げていた。
皮膚が裂け、角が歪に伸び、目は濁り、もはや意思を持たぬ獣のように吠えている。
悪鬼。
悪鬼に堕ちた鬼を、烈炎がためらいなく斬り捨てている。
黒訝の喉が強張った。
一族の者だろう!?
朱炎は冷然と見下ろしているだけだった。
耀も烈炎も、まるで当然のことのように処理している。
異様な寒気が黒訝の背を這い上がった。
何をしている?
何を考えている?
目の前の光景が理解できないまま、黒訝はさらに目を凝らした。
よく見ると、悪鬼に堕ちた低級鬼の中で、たった一匹だけ違う者がいた。
化け物じみた姿だが、完全に理性を失ってはいない。
むしろ、成長したように見えた。身体は大きく、鬼としての力が増している。
その鬼は、朱炎の前に跪き、恭しく頭を下げた。
何が起こっている?
黒訝の困惑は深まる。
耀が次の鬼に盃を差し出した。
黒訝の目が、その盃へと注がれる液体を捉えた瞬間、戦慄が走った。
蓮次の血。
黒訝は息を呑んだ。
耀は、盃に壺から血を注ぎ、それを鬼たちに飲ませている。
飲み干した者は苦しみ出し、うめき声をあげ、皮膚が変色した。そして、悪鬼に堕ちた者がいると烈炎がすぐさま斬る。
「……っ」
何の反応もない鬼もいる。
耀はその鬼の目を覗き込み、皮膚に触れ、何かを観察している。
黒訝の指先がかすかに震えた。
鬼たちの呻き声。悪鬼に堕ちた者の断末魔。
何の感情もなく剣を振るう烈炎。
冷然と見下ろす朱炎と耀。
黒訝の頭が混乱した。
これは何だ。
何をしている。
何を試している。
父上は。
耀は、烈炎は何を思ってこれを見ている?
何とも思わないのか?
胸の奥にざわめく感情が収まらなかった。
理解できない。
許せない。
そのときだった。
「……!」
朱炎の手が、影の中に突っ込まれる。
刹那、黒訝の身体が引きずり出された。
「っ——!」
強引に影から抜き取られ、黒訝は地の上に投げ出された。
見上げた視線の先には、朱炎の赤い瞳が、冷ややかに黒訝を見下ろしていた。
喉が凍りつく。
黒訝は思わず、身を縮こまらせた。
どうする。逃げるか?
いや、動けない……




