表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: Yonohitomi
一章
5/151

5.「父」の影





 蓮次はいつもと変わらぬ足取りで、屋敷の見回りへと出た。

 今宵の同行者は父ではなく、家臣の一人だった。

 父は別の用向きで手が離せぬらしい。


 見回りは蓮次に課された義務であり、誰と歩こうとも果たすべき役目に変わりはない。


 二人は屋敷の外周を巡り、建物の隅々にまで鋭い視線を走らせる。 




 夜風は冷たく、肌を切るようだった。

 その中で、唐突に胸の奥に激しい痛みが突き刺さった。

 呼吸を呑むほどの衝撃に、蓮次は足を止め、壁に手をつく。

 胸を貫いた苦痛はじわじわと全身へ広がり、芯から焼けるような感覚に変わっていく。

 堪えようとするも、膝が震え、地に踏ん張る力さえ抜けていく。


 前を歩く家臣は、蓮次の異変に気づかず進み続けていた。

 蓮次は人目を避け、建物の陰へ身を寄せる。

 奥歯を噛み締め、顔を歪めながら、ただ痛みが過ぎ去るのを待つしかなかった。


 しばらくして、苦しみはようやく薄れて身体に感覚が戻ってくる。

 蓮次は家臣に追いつき、何事もなかったような顔で歩を合わせた。




 屋敷に戻る頃は、遠くの空に月が白く輝き、星の雫が流れたりする。

 部屋へ辿り着くと、蓮次の体は糸の切れた人形のように畳の上へ崩れ落ちた。

 うつ伏せになり、目を閉じる。

 胸の奥には、痛みの残響が燻っていた。

 息をするたびに、それはかすかな呻きとなって蘇る。


 やがて、静かな足音が近づいてきた。

 気配を感じる。

 それは、父の歩みだった。


 障子の向こうに立つ影は、灯りのない室内に曖昧な輪郭を浮かび上がらせている。


 蓮次は顔を上げた。

 しかし、父はただ黙って立ち尽くし、視線を落としているだけだった。

 その無言の気配に、不思議と心が和らいだ。


 もしかして、心配してくれたのだろうか——


 期待が胸に湧きかけたその刹那、父はひと言も発さず背を向けて立ち去った。


 静かに消える影を見送る。

 今度はなぜか、蓮次の胸に嫌な予感が忍び込んだ。


 再び、冷えた畳の感触に身を沈める。

 胸の奥が軋んだ。




 突き刺すような痛み。

 焼け爛れるような苦しみ。

 現実と夢の輪郭がぼやけていく。


 この痛み——


 あの悪夢の中で感じたものと、同じではなかろうか。






 ***






 一方その頃。

 家長は廊下を進みながら考え込む。


 (蓮次。あの子はどこか異質だ……)




 記憶の底にある、ある日の情景。


 雨の降りしきる闇の中だった。

 彼は、赤子を拾った。


 白髪に、紫の瞳。

 異様なまでに白い肌。

 この世の理から逸脱した姿に、思わず足を止めたのだ。


「……奇妙な子だ」


 低く呟いた声は、風に紛れて消えた。

 拾うつもりなどなかった。ただ、目が離せなかった。

 この子は何だ?


 人か、あるいは——


 けれど、そんな疑念を抱いている間にも、赤子の体は冷えていく。

 このままでは死ぬ。そう思った瞬間、自らの内を省みることもなく、彼はその小さな命を抱き上げていた。


 屋敷の離れへ運ばせ、世間から遠ざけて育てる。

 隠すように、いつでも手放せるようにと。

 養母をつけ、静かに育てさせた。




 蓮次は何も知らない。

 自分が拾われた子であることも、父にとって不要であれば捨てられる存在であることも。


 蓮次はただ「父」の言葉を絶対と信じた。

 見回りも、夕暮れからの稽古も、すべて父の意思と信じている。


 父の思いを何も知らぬまま、蓮次は今も剣を握り続けている。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ